琴平珠里
「お姉ちゃんとは全然似てないね」
物心ついた頃から、私は、様々な場面で、様々な人からそう言われ続けていた。
その言葉を私に浴びせた人たちは、きっと悪意なく、思ったことをそのまま口に出していただけなのだろう。
しかし、その言葉は私を苦しめ続けた。
なぜなら、私の姉は、私が生まれ育った地域でも有名な美人であり、優等生だったからだ。
その姉と似ていない、ということは、お前は可愛くない、お前はデキが悪い、と言っているに等しい。
とはいえ、私が姉と似ていないことは、私自身、痛いほど分かっていた。
鏡に写った自分は、まるで姉とは正反対の生き物なのである。
短い手足。凹凸のない身体。ペシャンコの顔。
姉妹なのに、どうしてこんなにも似ないのか。
私は、不可解に思いながらも、それはあくまでも神様の残酷な悪戯なのだろうと思っていた。
十四歳の誕生日を迎えたあの日までは。
「珠里、大事な話があるんだ」
いつもの家のテーブルに、父と母と私。
高校生になった姉は、帰りが遅くなることも多かったから、我が家にとってはいつもの光景である。
しかし、父と母の物々しい雰囲気は、決していつもと同じじゃなかった。
そして、重々しい口調で、父は言った。
「珠里、お前は特別養子縁組によって迎えた子なんだ」
特別養子縁組――初めて聞いた言葉である。
しかし、なんとなくの意味は分かる。
「……つ、つまり、私はパパとママの子じゃないということ……」
父は「そうだ」と答えたが、母がすかさず訂正する。
「珠里は、間違いなく私たちの子どもよ。ただ、生物学上のパパとママは別にいるというだけで……」
フォローになっていない、と感じた。
私は、父と母から生まれた子じゃない。「本当の」父と母に捨てられて、今の父と母に引き取られたのだ。
そのことをどんな言葉で表現しようとも、事実は何も変わらない。
ハッキリ言って、私は、自分の出自のことなど知りたくなった。
ショックだったことは言うまでもない。
父と母が「本当の」父と母ではないだなんて、過去に一度も疑ったことはなかった。
日常生活に不満もなかった。
父と母は、私に、「我が子」と変わらぬ愛情を注いでくれていたのである。
しかし、自分の出自を知った途端、父と母は、父と母ではなく、優しいおじさんと優しいおばさんになってしまった。
愛情は、愛情ではなく、憐れみとなった。
私は、琴平家の子ではなく、単なる居候だったのである。
私にかけてもらったお金は、将来働いて、耳を揃えて返す必要があるだろう。そうしないと、私は、私を育ててくれた親切な人たちに報いることができない。そんな焦りがまず頭に浮かんだ。
十四歳の誕生日に、父と母が私に真実を告げたのは、悩み抜いた結果だという。
特別養子縁組で引き取られた子は、戸籍上も本当の父母との縁が切れている。そのため、法律上は、縁組をした新しい父と母の子となる。
とはいえ、実際には、「本当の」父母が存在する。
そのことを知らされないままで育つのは、養子の人権との観点で問題があるのだそうだ。養子にされた子には、自分の出自を知り、「本当の」父母を知る権利があるのだという。
余計なお世話だ、と思った。
私が、私の出自を知ったところで、一体何の得があるのだろうか。私を産み捨てた「本当の」父母は、私にとって憎むべき存在でしかない。なぜ私を捨てたのか。それならばなぜ私を産んだのか。私が「本当の」父母に会いたいと願うことなど、間違ってもあり得ない。
私は、鏡に写る自分がさらに恨めしくなった。
この短い脚も、潰れた鼻も、私を産み捨てた「本当の」父母から受け継いだものなのだ。
姉に似ていないのは何の不思議でもない。
むしろ、似るはずがないのである。
私は、私のことがますます嫌いになった。




