クラクション
喫茶店「クラクション」に到着する。
満員の店内だったが、風華がどこにいるかはすぐに分かった。
風華は、室内であっても、常にトレードマークの、黒いキャップを被っているのである。
「ふうかちゃん」
私はスマホの画面を見ていた風華に声を掛けた。
下の名前で呼ばないと、「オバさん扱いしないで」と怒られるのである。
「あ、果乃……早かったね」
風華からLINEで呼び出しを受けてから、1時間も経っていない。化粧もろくにせず、急いで来たことは事実である。
私が、丸机を挟んで風華の向かいの席に座ると、風華は、「このたびはご愁傷様」と声を落とす。
私は、「いえ……」と適当に言葉を濁す。
「果乃、何か頼む? 私が出すよ」
「……ありがとう。私、ブラックコーヒーにする」
「なずなと同じだ」
「え?」
「昔、この喫茶店になずなと来たことがあるの。その時、なずなもブラックコーヒーを頼んでた」
「……そう」
ブラックコーヒーが好きということは、なずなはコーヒーを愛飲していたということだろうか。
なずなが生きていれば、朝のコーヒータイムを一緒に過ごすことができたのかもしれない。
風華は店員を呼び出すと、ブラックコーヒーを二つ注文した。
「……ちょっと聞きにくい話なんだけど、果乃って、なずなと付き合ってたんだよね?」
「うん」
私は即答する。たった一日かもしれないが、私となずなが恋人同士だったことは紛れもない事実である。
「あの後、なずなに会えた?」
私は首を振る。
「そうか……」
風華が、申し訳無さそうに俯く。
私は、なずなの恋人なのに、なずなの死体と対面することができなかった。
幕が閉じるやいなや、客席を飛び出し、なずながいる三階に向かおうとしたのだが、階段の入り口で警備員に止められた。ここから先の通行には「関係者証」が必要だと言われたのである。
仕方なく、私は、風華にLINE通話をしようとしたのだが、一切繋がらなかった。それどころではなかったのだろう。
やがて、大手町VR劇場からは客が捌け、代わりに、サイレンの音とともに救急車とパトカーがやってきた。
フラフラと救急車に近付いていこうとした私は、今度は制服の警官に制止された。
「なずなの恋人」と言っても信じてもらえなかった。
同性愛への無理解だけではないだろう。VRアイドルの中のタレントに、ファンが嘘をついて近付こうとしていると思われたに違いない。
なずなの葬式がどうなるのかは分からないが、おそらくそこにも私が入り込む余地はないだろう。
「……果乃、ごめんね。私、現場でマネジメントをしていた者として強く責任を感じてる……」
なずなは、ライブパフォーマンス中に亡くなった。
風華は、なずなが死んだ時、他のメンバーと同様、なずなと同じ部屋にいた。
なずなの死は「自殺」であるとされているので、風華が「強く責任を感じてる」と言ったのは、なずなの自殺を止められなかったことに関して、という意味だろう。
日頃のメンタルケアが不十分だったことや、当日、服毒に気付けなかったことについて、謝罪しているのだ。
「ふうかちゃんが謝ることは何もないよ」
私は、本心からそう言う。
なぜならば、なずなが死んでしまったのは、端的に、メンバーの誰かのせいなのである。なずなを殺害したメンバー以外に、罪を償うべき者はいない、と私は思う。
「私は、途中で曲を止めるべきだった」
「止めてももう手遅れだったと思う」
心からそう思う。なずなが飲まされたのは、とても強力な毒だったに違いないからだ。
注文からほど無くして、マグカップに入ったコーヒーが二つ到着する。
試しに口に含んでみたが、苦味も含め、何も味を感じることができない。
「果乃は、元々シオンのファンなんだよね?」
「うん。そうだよ」
シオン――どうしても、昨日の「バーチャル」での姿を思い出してしまう。
ファンの声援に支えられながら、苦しみの中で踊るシオン。
シオンのラストパフォーマンスは、痛々しくも、気高いものだった。
風華があえて曲を止めなかった気持ちも理解できる。
「果乃、私が今日ここに果乃を呼び出した理由なんだけど」
「何?」
「今すぐに結論を出してもらえるとは思ってないんだけど、果乃に検討して欲しいことがあるの」
「何?」
私に検討して欲しいこととは一体何だろうか?
「気分を害したらごめんね。でも、私たちは真剣に考えた結果なの」
「だから何?」
風華は、もったいぶっている、というより、とても言いにくそうにしている。
「じゃあ、言うね。アイラッシュのメンバーと話し合った結果、果乃には――」
風華の提案は、私にとって、あまりにも予期せぬものだった。
「果乃には、新しくシオンの中の人になって欲しいの」




