風華となずな
待ち合わせ場所に指定されたのは、「クラクション」という名前の喫茶店だった。
喫茶店に行くのは、久しぶりである。今の生活には、そんな洒落た場所に行く時間のゆとりも、心のゆとりもない。
九段下の駅で降りるのも久しぶりだ。たしかあれは日本武道館に、来日したポール・マッカートニーを観に行ったのだった。
今となっては考えられないが、当時の私は音楽漬けの生活を送っていたのである。
平日も休日もずっとライブ会場にいた。仕事も音楽関係で、趣味も音楽だった。
しかし、今では、職場で流れている流行りの音楽を仕方なく浴びているだけである。
低俗な歌詞とメロディーに吐き気を覚えたのは最初だけで、今では何も感じなくなった。
そして何より、喫茶店で待ち合わせている少女とも、久しぶりの再会である。
少女から「会いたい」とLINEが来た時、私は、スマホの誤作動なのではないかとすら思った。
少女からのLINEは五年ぶりだった。
少女とは、五年前に関係が断絶し、もう二度と会うことはないと思っていたのである。
「クラクション」に到着したのは、約束の十分前だった。
それにも関わらず、スマホの画面を見ると、「もう着いた」という少女からのLINEが、三分前に届いている。
入り口から全体が見渡せる狭い店内。客はそれなりに入っていて、満席に近い。
私は、すぐに待ち合わせ相手が座っている席を見つけた。
しばらく待っても店員が寄ってくる気配もないので、私は、まっすぐにその席に向かう。
少女には五年前の面影はほとんどなかったが、人違いの可能性はないだろうと思った。
当時も今も、少女は他の追随を許さないほどに美しかったからだ。
五年ぶりの再会である。
私は少女のことを何と呼ぶべきか悩んだものの、無難に下の名前で呼ぶことにした。
「なずな」
私が呼び掛けると、メニューの冊子を眺めていた美少女――楠木なずなが、顔を上げる。
相変わらず何でも似合うスタイルの良さなので、黒地のワンピースも当然に似合っている。
「……ふうかちゃん?」
なずなの方は、五年ぶりに会う私の変化に戸惑っているようだ。
「そうだよ。久しぶり」
「……キャップを被ってないから分からなかった」
冗談か本当か分からなかったが、なずなはそう言った。
たしかに、アイドルプロデュースをやっていた頃の私は、室内でも常にキャップを被っていた。
キャップが、私のトレードマークだったのである。
なずなが座っていたのは、二人掛けの席だった。私は、丸机を挟んで、なずなの正面の椅子に腰を掛ける。
「ふうかちゃんが元気そうで良かった」
なずなはそう言って微笑んでみせたが、これは冗談に違いない。
私には、プロデューサーをやってた頃の覇気はない。
社会の歯車として、毎日心をすり減らしているからだ。
決して痩せたいわけではなかったのに、体重は当時より十キロ近く落ちている。
「ふうかちゃんは今何をやってるの?」
「コンビニの店長」
「店長やってるの? すごい!」
「雇われ店長だよ」
「それでもすごいよ!」
アルバイトと違うところは、シフト管理を任されていることと、残業代が付かないことくらいである。
とはいえ、目の前の少女に、そんな生々しい話をしても仕方ないだろう。
「なずなも元気そうだね」
「思ったよりも」と付けた方が正確だっかもしれない。
なずなからも、昔の活気は感じられない。
無論、歳を重ねたことによって落ち着きを得た、という部分もあるかもしれないが、それだけではない。
その理由は、本人に訊くまでもなく、私にはよく分かっていた。
「ふうかちゃんはたしかブラックコーヒーだっけ?」
なずなに言われて、たしかに当時はカッコつけてブラックコーヒーばかり飲んでいたな、と思い出す。
しかし、プロデューサーを辞めてからは、めっきり飲んでいない。
「カフェオレにするよ。なずなはオレンジジュース?」
「私はブラックコーヒー」
あれ? そんなもの飲んだっけ――
なずなも、決して当時のままではないということだろう。
五年の月日の長さを改めて思い知る。
注文した飲み物が運ばれるまでは、私もなずなも黙り込んでいた。
マグカップに入った黒い液体を一口啜った後、なずながようやく話し出す。
「ふうかちゃん、私が今日ふうかちゃんに声を掛けた理由なんだけど」
「どうしたの?」
「ふうかちゃん、VRアイドルって知ってる?」
VRアイドル――聞いたことがない。
そこで、素直に「知らない」と答える。
「バーチャルなアイドルなの。二.五次元というか、中に人はいるんだけど、アイドル自体はホログラムなの」
「Vtuberみたいな感じ?」
「そうそう。それのアイドル版」
「へえ」
突如として始まったVRアイドルの話題に、平静を装いながらも、内心は落ち着かなかった。
てっきり「アイドル」の話は、私たちの間では禁句なのだと思っていたからだ。
「……それで、なずな、その、VRアイドルとやらがどうしたの?」
「ふうかちゃん、VRアイドルをプロデュースしてくれない?」
「え!?」
五年ぶりに突然会いたいなどと言われたのだから、それなりの用事があるのだろうとは思っていたが、まさかこのようなお願いをされるだなんて、少しも想像していなかった。
私は、反射的に、なずなのお願いを拒絶する。
「なずな、ごめんね。私、もうその業界からは足を洗ったから……」
アイドルにはもう二度と関わらないと決めている。
VRアイドルも、一種のアイドルだろう。
「お願い。ふうかちゃんにしか頼めないの」
「私、今はコンビニの雇われ店長で、昔みたいに曲を書くこともできないし……」
「書けるよ。ふうかちゃんは天才なんだから」
「天才」と昔はよく言われていた。
アイドルのプロデュースだけでなく、マネジメントも、作詞作曲も、簡単な振り付けも、私一人でこなしていたからだと思う。
「どうして、私なの?」
「ふうかちゃんじゃないとダメなの」
「なずながVRアイドルをやりたいなら、別に私のプロデュースじゃなくても良いんじゃない?」
なずなは大きく首を振る。
「違う。ふうかちゃん、私がVRアイドルをやりたいわけじゃないの」
「……え?」
「私はただの発起人。ふうかちゃんが作るVRアイドルユニットのメンバーに、私は入らない」
なずなが何を求めているのか、私にはサッパリ分からない。
――率直に訊いてみよう。
「……なずな、一体何が目的なの?」
「それはね――」




