飛んで火に入る夏の虫
なずなと最期に交わした言葉は何だっただろうか――
「じゃあね」
だったか、
「またね」
だったか、
「今日も頑張ってね」
だったか、
いずれにせよ、他愛もない言葉だったと思う。
三限の授業に向かうためになずなの家を出た際、玄関先で交わした言葉――これから先何度でも交わされるであろうと思っていた言葉が、最期の言葉になってしまった。
出発がギリギリになってしまった私は急いでいて、なずなと去り際にハグをしたり、キスをしたりすることさえなかったのである。
なずなは自殺をした――とされている。
なずなが死亡した当日のバッグの中から、なずなの直筆の遺書が見つかったからだ。
また、当日、なずなが口を付けた物――ペットボトルの水などには毒が混入されていなかった。
要するに、ライブ中に、なずな本人が直接毒を摂取したと考えざるを得なかったことも、自殺という結論を支えている。
――とんだ茶番である。
なずなは自殺したのではない。殺されたのだ。
そのことは、誰よりも私が知っている。
なずなは、私に「私と付き合ってくれる?」と言ったのだ。
恋人同士になった私たちは、これからたくさんデートをして、ディズニーランドにも、USJにも、全部行こうと約束したのだ。
なずなが、その翌日に自殺するだなんて、ありえない。
しかも、私に何も相談しないままに先に逝ってしまうなど、絶対にあり得ないことだ。
なずなは、これから先、私とともに人生を歩もうとしていた。
なずなは何者かに殺された。
――否、もっとハッキリ言おう。
なずなは、アイラッシュのメンバーの誰かに殺された。
なずなが殺されたのはライブ中である。
毒の種類や形状は特定されていないそうだが、なずなが飲まされた毒は、飲まされてから数分で人を死に至らしめるものだったらしい。
VRアイドルのライブでは、中の人はステージにおらず、モーションキャプチャーを装着して、別室で歌って踊っている。
その空間にいたのは、メンバーと、何人かのスタッフ。
とはいえ、ライブ中になずなに無理やり毒を飲ませられるほどの至近距離にいたのは、メンバーだけだろう。
メンバーならば、ダンス中に、なずなとすれ違うこともあれば、なずなの身体に触れることもある。
なずなに毒を飲ませることができたのは、メンバーだけ――つまり、アイラッシュの中の人である、凛奈、珠里、真央李のいずれかが犯人だ。
真相を明らかにしよう。
なずながなぜ殺されなければならなかったのか、なずなの恋人である私には、当然に知る権利があるし、知らなければならないという義務もある。
なずなの恋人――たった1日だけだったが、私はなずなの恋人だったのである。
私は、なずなの恋人として、なずなのためにできることは全てやらなければならない。
なずながそれを望んでいると分かれば、私は、犯人への復讐も辞さない。
「……なずなちゃん、私に任せて」
そうは口に出してみるものの、実際の私には、なずなの死があまりにも重たくのしかかっていて、布団の中から起き上がることさえできていない。
もうすでに夕方である。
一睡もできぬまま、食事も喉に通らないまま、なずなの死から早くも二十四時間が経過しようとしている。
「ともかく、かのちゃんは、私のことで大学の授業をサボっちゃダメ」
昨日、なずなは私にそう言っていた。
「……なずなちゃん、そんなの無理だよ……」
もう枯れ果てたと思っていたのに、目に涙が溢れてくる。私がこのまま水分を摂取しないままでいても、それでも涙は枯れ果てることがないのだろうか。
ピコン――
着信音とともにスマホが振動する。
布団に横たわりながら、スマホの通知画面を見て、私は笑みを浮かべる。
「ふふふ。なずなちゃん、飛んで火に入る夏の虫だよ」
それは、アイラッシュのプロデューサーの風華からのLINEだった。
風華のメッセージには、「果乃に会って話したいことがある」とあった。
ちょうど、私も風華に会いたいと思っていた。
なずなの死の真相を知るために、私は、アイラッシュに接近する必要があるのである。
「ぜひ」と返すと、すぐに既読が付いた。
「今から1時間後にここに来れる?」
風華から、立て続けにメッセージとURLが送られてくる。
私は、送られてきたURLをタップする。
風華が待ち合わせ場所に指定したのは、九段下にある「クラクション」という名前の喫茶店だった。




