北へ:中
「開店だよ!」
ノエルはその元気な声で目を覚ました。部屋の窓を開け外を見ると、夜には重かった雰囲気の通りが人で賑わっていた。街の中央広場に繋がる大通りには所狭しと出店が並んでいる。
天幕を利用した簡易的なテントには食料品がずらりと並んでいる。青々とした野菜は新鮮で、瑞々しく輝いている。
「レオ……。寝てるし」
ノエルが振り返ると、隣のベッドには未だに目を覚ます様子のないレオが寝息を立てている。
ふと、好奇心からレオの顔を覗き込む。近づいても起きる気配の全くないレオ。試しにと思い頬をつつく。
プニプニ……。
「柔らかい」
意外にも柔らかい触り心地に手が止まらないノエル。改めてしっかりと顔を見るのはこれが初めてかもしれないと、レオの顔をよく観察する。
まつ毛は長く目鼻立も整っている。客観的に見れば美形と言えるだろう。伸びた前髪を指で払うと顔が見やすくなる。
「あー、どういう状況だ?」
と、ノエルが髪を避けたところでレオの目がパチリと開く。
「おはよう」
目を覚ましたレオの視界にはノエルがいる。何か用でもあるのかとレオは体を起こす。
「レオが起きないから」
「ああ、そうか。すまない」
ノエルに指摘されてことで久しぶりに熟睡できたことと、少し気が緩んでいたことに気がつく。死なないという体質のせいで、警戒心が薄れている。見張りが必要ないとはいえ、寝ている間も警戒を怠ってはいけないと、レオは自分を戒めた。
「なんだ、これ?」
ベッドから起き上がったレオは外の光景を見て呟きを零す。そこには、レオの想像もつかない光景が広がっている。街の人間は朝市を目的に通りを散策している。昨日までの重い空気が嘘のように街は活気づいていた。
先にこの景色を見ていたノエルは、レオが驚くのを見て笑っている。
「そういうことか」
レオは納得がいった。カンディスは冒険者がいなく、活気のない街などではなかったのだ。
夜は次の日に向けて早く寝る。冒険者の数も少なく夜は静か。その代わりに、この街は朝からが活発なのだ。
「こういう街もあるんだな」
レオはまだ二つの街しか見ていないが、少しだけミュール帝国に行くのが楽しみになっっていた。
「レオ、朝市なら食料も安く買えるかも。行こ」
「そうだな」
ノエルに従いお互いに準備を始める。移動用の装備ではなく普段用の服だ。レオは腰に短剣を佩く。冒険者のいない街であの大きな鎌は目立ちすぎる。
着替えを済ませた頃にはノエルも準備を終わらせていた。十日間も同じ空間で過ごした経験はこんなところでも生きてくる。着替えのスペースが限られている中でどう着替えるか。
初めの頃はノエルが気にしていたが、最近はそんなこともない。羞恥心とは慣れてしまえば感じないものだ。
街の外に出れば先ほどの熱気が直接肌で感じられる。すれ違う人たちは、皆嬉しそうに袋や物を抱えている。喧騒に紛れてお使いを頼まれたであろう子供が、菓子類を片手に笑い合っている声が聞こえる。
ふと、微笑ましい風景の中に自分のような罪人は似合わないのではないかと考えるレオ。そんなレオの右手が握られた。
「どうした?」
「迷子防止」
「……せめて左手にしてくれ」
「分かった」
利き手の右手は常に空けておかなければ不足の事態に陥った時に対応が遅れる。ノエルは右手でしっかりとレオを捕まえている。これでは本当にレオが子供のようだ。
大通りを行く人々と何度もすれ違った頃、街の中央広場に到達した。
「賑わってるね」
「ああ、売り切れる前に買ってしまおう」
レオたちの目的は旅に持っていく食料の確保だ。保存の効く燻製の物があればいい。堅パンがあれば楽でいい。道中、獣を狩って食料を調達することもあるが、それ頼みになってしまうと獲れなかった時が辛い。レオはともかくノエルはしっかりと食べなければ死んでしまう。
パン類を取り扱っている店は見当たらない。代わりに魔道具を売っている爺さんが二人に話しかけてきた。見た目は完全に爺さんだが、レオよりは年下だ。
「そこのお嬢さん、お兄さん。儂の魔道具見ていかんか?」
「面白そう」
魔道具に興味を持ったノエルが店の前で立ち止まる。何が面白いのかレオには分からないが、ノエルと爺さんは話し始め、次第に盛り上がっていく。
「ノエル。売り切れてしまうぞ」
「ごめんお爺さん。また」
「そうかそうか。まあ気が向いたら来たらいい」
レオはノエルの手を引いて歩き出す。人混みを掻き分けながら進むレオに、ノエルは遅れないようにぴったりとくっつく。
野菜に肉、食べ物だけでなくアクセサリーや衣服まで。広場で販売されている物は多岐にわたる。
何軒かの店を回り食料を買い込む二人。三日分の食料となると思ったよりも嵩張り、レオは持ってきた袋を抱えて歩く。抱えるといっても前が見えなくなるほどの量では無いが。
隣を歩くレオは両手が塞がっているため、ノエルは服の端をつまんで歩く。
「この後はどうするんだ?」
本来であれば買い物はもう少し遅い時間に始め、午前中にこの街を離れる予定だった。
しかし、朝市のおかげで早い時間に必要な物の殆どを買い揃えることができた。見た目の混雑ほど時間がかからなかったため、出発の予定時刻まではかなりある。
「馬車の時間を確認して一番早いので行こう」
乗合馬車は定期的に出ている。天候や道の状況によって出ていないこともあるが今日の天気を見る限りは大丈夫だろうとノエルは上を確認した。
二人は荷物を纏めて宿から去る。大きな荷物を背負い、店主のエルフに軽く挨拶をすると、華やかな笑顔で送られた。
乗合馬車は街の北と南に乗り場が設置されている。レオたちはミュール帝国へ向かうため北の入り口に向かった。
「人、結構いるね」
街の北口には数人の人集りが出来ていた。中には冒険者の様な格好の者もいる。乗合馬車を利用する客か、それとも護衛を依頼されたかのどちらかだ。
「時間、確認するか」
乗合馬車を経営している建物の中には簡易的な時刻表が貼ってある。ミュール帝国へ向かう馬車の時間だけでなく他の国への物もある。
レオたちが今回利用するのは、大手輸送商会の馬車だ。世界中に繋がりを持っている商会、カイリオン商会だ。
商会の頭首であるカリオット・カイリオンはミュール帝国から爵位を賜った貴族である。その貴族が運営する商会は世界中に名が知れ渡っている。
目当ての時刻表を見つけた二人は、まだ席に空きがあることを知り、すぐに手続きを済ませた。
ミュール帝国に向かう馬車は、荷を運ぶものも含めて全部で四台。護衛の冒険者がそれぞれの馬車につくため、移動中は何があっても大抵のことに対応ができる。
「ノエル、夜は三時間交代で大丈夫か?」
「問題ない」
馬車が出発するまではおよそ三十分。それまでは荷物の確認や手入れを行い時間を潰す。待合所にぞろぞろと人が増え始めたのは、それなりに時間が経った頃だった。
「お待たせいたしました。御者統括を担当させていただくシイカと申します。ご自分の札と
同じ札の馬車に乗っていただきますので、我々の指示に従ってください」
丁寧な口調に綺麗な身なり。それなりに稼いでいるだろう格好の紳士然としたシイカが、客たちを先導し馬車へと連れて行く。
「レオ、行くよ」
レオは出していた短剣を鞘に収め、ノエルの後に続いて馬車に乗り込んだ。雨避けの天幕のついた馬車の中は広くない。それでも落ち着いて座れるだけのスペースはあるのだから文句は言えない。移動中は特にすることもないため座るだけのスペースで十分だ。
馬車に設置された席は向かい合う様に二列になっている。隣に座るノエルの肩が、馬車が揺れるのに連動するように跳ねている。
綺麗な白銀色の髪に蒼の瞳。覗き込めば吸い込まれそうになる目は、何を見ているのか。何を考えているのか。肩越しに見える唇は柔らかく淡い色で艶やかだ。肌は銀髪に劣らないくらい白く綺麗だ。
レオはノエルに気づかれる前に視線を外した。