①
誰もが〈鐘〉を待っている。
広場に集まった人々の熱気はこちら側にも十分に届いている。広場だけではない。町の中心を貫くように走る大通りにも、建物の間の狭い路地にも、家の中にも、店の中にも、人がそこにいられるあらゆる場所が〈鐘〉の〈声〉を待つ人々で埋め尽くされている。
風が、仕切りのカーテンを揺らす。
その隙間から流れ込んでくるのは、人々の思い。それぞれの思いを抱えて、〈鐘〉の歌声を待ちわびる。そうして〈鐘〉がその歌声によってもたらすのは、救いであり、安心であり、癒しであり、奇跡であり、神の体温であり、……あらん限りの祝福だ。
カーテンが開かれる。
午後になったばかりの陽射しが〈鐘〉を包み込む。その髪が、肌が、祭服の刺繍が、まばゆく輝く。
〈鐘〉が、一歩、踏み出す。
誰もが未来を待っている。
深い森に、この国は守られている。
中心に空洞のある丸い焼き菓子を想像するとわかりやすい。可食部が森で、小さな穴の内側に人々の暮らしがある。
森の木々は一年を通して葉を落とさない。春から秋にかけては季節ごとにその色を変えながら様々な命を芽吹かせ、厳しい冬には雪の重みを受け止めつつ静かに人々の生活を抱いている。森は、この国にとって神聖なものだ。交通や交易、狩猟や木の実の採取など、日常的に足を踏み入れることはあるものの、この国の人間であれば、誰もが、その存在の意義深さを理解している。
――数世代前の大戦時がまさにそうだった。この国は、森によって難を逃れた。
当時、この国の周辺諸国では領土拡大を目論む動きが活発化していた。どの国も自ら小さな火種を起こしては、それを周辺国に飛び火させ、いつ大火が発生するかと、緊張と情報の糸を張り巡らせていた。その中で、この国は永く中立的な立場をとっていたものの、それは戦略的な決定でも確固たる決意でもなく、単純な「先延ばし」であり、その日和見主義的な隙が戦禍の糸に絡め取られることになるのは、自然な成り行きだったといえる。
この国に目をつけたのは、隣国である西の大国だった。正確には、この国、というより、この国の森に目をつけた。
すでに大火は発生していた。領土拡大を推し進める西の大国は、一番の難敵である、この国を挟んで反対側に位置する東の大国との衝突に備え、この国の森が自然の要塞になると考えた。この国には、広大で深い森以外、これといったものはない。領土も狭く、人口も少ない。軍事力も劣る。西の大国にとって、 森を手に入れるための懸念材料は何もなかった。
しかし、その目論見を覆したのが、森そのものだった。
当時も、森には交通や貿易のための道が通っていたものの、もちろん現在よりは遥かに少なく、舗装も簡素だった。大火が発生した直後、君主によって、森に通るすべての道を一時的に封鎖する命令が下された。元々が巨大迷路のような森だ。木々を倒し、ダミーの道を作り、標識を撤去してしまうと、森に慣れている人間でも以前の道を思い出すことは難しい。急ごしらえの作戦ではあったが、いざ進軍をはじめた西の大国の足止めには成功した。そして、この間に、この国はようやく大戦における自国の身の振り方を決断することになった。
世論は二分された。中立的な立場を維持しつつ他国の干渉に抗うため立ち上がるべきという参戦派と、大国との併合を視野に入れてでもこの国の形を残すべきという防衛派。今までこの国が戦禍の火種を回避してこられたのは、領土としての価値が低かったのもあるが、それを含めて運が良かったからに過ぎない。その運が、ついに尽きようとしている。
――結果、この国はどうなったのか。国民の誰もが知っている。語り継がれている。歴史上最も激化したとされるこの大戦において、この国は勝利を収めた。
終戦をほとんど無傷の状態で迎えられたのは、軍事力や交渉力による結果ではなかった。それでも、西の大国に森が奪取されることも、大国に併合されることもなかった。
一体、勝利の要因は何だったのか。そこには様々な理由――森に施した細工が想定以上に功を奏したこと。戦禍が長引く中、自給自足力の高さで飢えを回避できたこと。戦況が激化するにつれ、周辺諸国間で軍事力の削り合いが起こり、この国の陥落が後回しにされたこと――がある。が、それはあくまで、この国の外側から見た結果だ。内側から見ると、景色は少し……いや、大きく変わる。
愛。あるいは、意志。
神によってもたらされたそれがこの国を勝利へと導いた。……この国の人間はそう信じている。疑っていない。なぜなら、本来ならとりとめのないはずの「愛」や「意志」を、明確な「形」として受け取ったのだから。
――声授
現在、「愛」や「意志」はそう呼ばれる。それは特別な〈声〉だった。神様はその〈声〉を授けた。
はじまりは、一人の司祭だった。森との境に位置する東の外れの地域に住んでいたその人は、まだ若く、勤勉で、美しい歌声の持ち主だった。戦時下、人々が日増しに疲弊していくのを見かね、司祭は教会で詠唱を行うようになった。詠唱は、通常、ミサの前に短く行われるものだったが、人々の癒しになればと、司祭は日時に関係なく歌声を響かせた。
人々は聴き入った。その歌声を聴いている時だけは、日々の不安や未来の絶望は遠く彼方へ押しやられ、心穏やかになれる……。評判は瞬く間に広がり、やがてそれは教区外にまで波及し、教会には日夜多くの人が詰めかけるようになった。また、司祭の方からも教区外に足を運び、教会に来られない人々のため各地で詠唱を行った。自分の歌声を必要としてくれる大勢のため、時にはたった一人のため、司祭は歌い続けた。
そんなある日のこと。司祭が、突然、人々の前から姿を消した。教会には連日のように人々が詰めかけていたが、次の日も、その次の日も……司祭が現れることはなかった。森の向こうでは、戦禍の気配が日増しに濃くなっていた。人々には司祭の歌声が必要だった。たとえ一時であっても、この不安や恐怖を美しい歌声で忘れさせてほしい……。人々は祈った。司祭の無事と、また姿を見せてくれることを。詠唱が聴けることを。
その願いは、神に届いた。
姿を消した時と同じように前触れなく、司祭が教会に現れたのだ。少しやつれてはいたものの、怪我や大病を患っていた様子はなかった。人々は安堵した。これでまた心に平穏が訪れる。人々は、安堵とはやる気持ちをない交ぜにしながら、詠唱を聴くため耳を澄ませた。
人々の前に立った司祭は、ふと、視線を持ち上げた後で、いつものように息を吸い込んだ。
直後、その場にいた誰もが、神の御業の目撃者となる。
司祭の歌声は……その声量は、およそ人間のそれではなかった。聴く者の鼓膜を震え上がらせ、脳を激しく揺さぶり、心を射るように貫いた。まるで巨大な鐘を目の前で打ち鳴らされているかのような衝撃だった。しかし、誰一人として耳を塞ぐことはなかった。司祭の歌声自体は変わらず美しい。そこに神の御業が加わったことで、人々は己の不安や恐怖が今までよりももっと遠く、深い森の向こうまで追いやられていくように感じた。
司祭の歌声は、まったく新しい〈声〉だった。
それから、司祭は野外で詠唱を行うようになった。教会内では〈声〉が反響してしまい、自分にも人々にも負担がかかるためだ。
司祭の〈声〉は響き渡った。目の前で聴いている者たちにはもちろん、家の中にいる者にも、遠く離れた場所にいる者にも、その歌声がはっきりと届いた。必然的に、司祭の〈声〉を耳にする人々の数は増え、その心の数だけ「安らぎ」がもたらされては広がっていった。
その〈声〉は、やがてこの国の中枢……王宮や中央教会の耳にも入る。人々の評判に背中を押されるようにして、司祭は、中央教会の広場で詠唱を行った。美しく響き渡る、奇跡の歌声。それは君主や宰相たちに届き、彼らもまた、市井の人々と同じように不安や恐怖から解放されると同時に、祈りが通じるような「安らぎ」を受け取った。そして、誰もが、見つめ直す。この国のあるべき姿を――思い出す。
この国に必要なのは「変わらないこと」だ。奮い立って参戦に踏み切っても、他国と併合しても、それらがうまくいっても、この国は残らない。変わってしまう。森の加護を受けながら、神の采配という愛を感じ、ささやかな平和の中で息づいていく……そうして形作られたのがこの国だった。
参戦と併合の放棄。決断するのは容易でなかった。しかし、神の奇跡を目の当たりにしたすべての人々は、この決断こそが神の導きであると信じて疑わなかった。実際、この時と前後して、戦況が激化し、周辺諸国は戦力を削り合い、森を奪取しようとしていた西の大国は撤退を余儀なくされ……と、この国にとって追い風となる出来事が重なった。そうして結果を見れば、この国は無傷の勝利を手にしていた。
人々は思った。これはまぎれもない神様の愛。愛は、〈声〉の形をしていた。〈声〉が、大国の進軍、不安や恐怖、絶望的な未来、この国が変わってしまうこと……悪いものの一切を森の向こうへ追いやってくれた。そして、守ってくれた。人々の生活を、心を。この国そのものを、森を。あらゆる未来のすべてを。
――〈声〉は、絶えない。
終戦を迎え、国内外の情勢が落ち着いてきた頃、中央教会主導の下〈声〉の調査が開始された。〈声〉そのものを解明する調査ではなく、司祭の他に〈声〉を持つ者がいないか探すことが目的だった。奇跡に水を差しかねない、と懸念の声も上がったが、中央教会は調査を推し進めた。
すると、〈声〉を持つ者が、数人発見された。彼らは、年齢、性別、身分、居住地域、すべてがバラバラだった。しかし、全員が、自身が〈声〉を持っていることを知っていた。あれだけの〈声〉であるにも関わらず、なぜ今まで露見しなかったのか。単純に、「異質」であることを理由に隠していたからだ。〈声〉は、歌っている時だけの現象だ。隠そうと思えば隠し通すことができる。
調査を進めるにつれ、一人、また一人と、〈声〉の持ち主は発見された。中央教会は安堵した。その歌声が司祭の代わりにはならなくとも、神の愛である〈声〉が存在し続けていることが証明できた。司祭の死によって〈声〉が絶えたわけではなかった。神は、この国に愛をもたらし続けてくれている。
……例の司祭は、終戦直後に死亡していた。旅立ちには早すぎる歳だったが、まるで自らの使命を全うし力尽きたかのように一生を終えた。彼が生きていたなら、同じように〈声〉を持つ者たちを導いてくれたのではないかと、その死を嘆く声は多かった。
〈声〉は神の愛であっても、司祭がこの国の救世主であったことには変わりない。次々と〈声〉の持ち主が現れたとしても、彼の存在が人々の心から消えることはなかった。もう一度その歌声を聴きたいと願う声が後を絶たなかった。
そこで中央教会は、司祭の功績を讃えるのと同時に、彼が全うした使命を永く引き継いでいくため、司祭と同じ〈声〉を持つ者たちを招集し、彼らが活動するための組織を発足させた。
――声果隊
声果隊の活動はただ一つ。「神の愛である〈声〉で詠唱を行う」こと。そして、使命は二つ。「この国をあるべき姿に導く」こと。「悪いものを森の向こうへ遠ざける」こと。司祭がそうしたように、求められればどこへでも足を運び、大勢のため、時にはたった一人のため、その〈声〉によって神の愛を分け与えるのだ。
人々は、声果隊を歓迎した。発足から数年が経つ頃には、まるで遥か昔からこの国の一部であったかのように、誰にとってもなくてはならない存在になっていた。
声果隊に所属する者――声果隊員は、年齢・性別・身分・出身地域、さらには声質・詠唱力を問わない。〈声〉を持っていることだけが絶対であり、すべてだ。
国のため、国民のため、神より授かった〈声〉の限りを尽くして歌い続ける。その〈声〉は、たった一つの〈声〉によって国の運命が決まったあの日から数世代が過ぎた現在まで、途切れることなく響いている。




