帷子川の水神様
かたびらがわ
「弥兵衛さん。ここですわ」
保土ヶ谷の宿。
商家や旅籠の集まる地域からは、少し離れてはいるが、遍照寺のお寺近く、その街道沿いにある空き家を前にする。
間口も四間(約七.二八メートル)と広く、構えも申し分ない。
「空いてからだいぶ経ってるもんでね」
戸板を外して、中を見る。
ホコリとクモの巣で、とても入っていけるような場所ではない。
外からの見ただけでは細かいところは分からないが、土間も広く手広く出来そうだ。
「駿河屋の大旦那には世話になってましてんで、安くしますよ」
案内してくれているのは、本陣近くに店を構える越後屋の主人。
駿河屋の大旦那の紹介で訪ねてみれば、上も下もいかぬ丁寧な計らいに頭が下がるばかり。
「どのくらいになりますか?」
越後屋の主人は、連れていた小僧からそろばんを取ると、あーだこーだと言いながら、珠を弾いてみせる。
「弥兵衛さん。ここいらてどうかね」
聞いていた相場よりも随分と安い。
これは何かあるなと訝しんてはみるものの、どうせもののけの類であろうと、たかをくくって商い用の笑みを浮かべる。
長年、日本橋の店でやりくりしていた経験からの勘ばたらきてすね。
とは言いましても値付けも随分と安くしてもらえたので、それを追求はすまい。
「越後屋さん。是非、お願いしますよ」
私の返事に、ニンマリと笑みを浮かべる越後屋の旦那。
それに気づかぬふりをする。
◆
買い受けた商家の掃除やら手直しやらに、ひと月はかかるそうで、そちらは越後屋の旦那が手配りして下さり、私はその間、やることがなくなってしまった。
本当ならば、新しい生活に必要な家財の手配や、商いの品なんかを手配しないといけないのだが、預け置くところもないので、動くに動けない。
そんな事情もあって旅籠の部屋で、ゴロゴロと何をするでもなく考えている。
買い付け辺りは、越後屋の旦那にも相談してみるとして…。
お初に会いに行ってみるか?
戸塚の鬼の女を思い出すが、それは、店が準備できてからにしたい。
少しくらいは格好をつけてからでも、バチは当たらないだろう。
そうなると、散策くらいしかないのだ。
「川があったな。そこまで行ってみるか」
身体を起こし旅籠の部屋を出た。
◆
帷子川と呼ばれている川。
保土ヶ谷の宿の江戸方見附近くを流れている。
※後年、治水工事などにより当時よりも北に流域が変わっている。
川幅もそこまで広くはなく、船が行き来するのもたいへんだろう。
とは言え、横浜の港も近い。
この川が江戸川や荒川くらいの広さならば、相模との往来も盛んになるのではと考えてしまう。
何でも商売に結びつけてしまうのは、商いを生業としているモノの悪い癖だ。
川辺を上流に向けて足を進める。
季節は夏が終わりを迎え、そろそろ秋の気配を感じ始める頃。
田んぼの稲穂も刈り取られ、落ち穂にありつくスズメが主役だ。
少し先に腰を掛けるにはちょうど良さそうな岩が見える。
「そこで、ひと息つきますかね」
岩場に腰を下ろして、ひと息つく。
タバコ入れを帯から外して、一服の支度を始めた。
キセルの先に刻みタバコを詰め、火点けを擦るとチリチリとタバコの葉が赤く光を放つようになるのて、吸い口から一息吸い込む。
すると、タバコに火がつき煙がくゆり始める。
「なぁ、旦那さん。キュウリ持ってねぇか?」
川の方から声が聞こえた。
声の方へ顔を向けると、いつの間にか現れたのか、緑の肌をしたモノが立っていた。
「キュウリ?生憎、手持ちにはないねぇ」
はぁっと煙を吐いた。
「なんだ!?妖術か?」
タバコの煙を見て、驚いたようだ。
「タバコってやつだよ」
「タバコ?旨いのか?」
嗜みに吸ってはいるが、味に関しては旨いものではないが、そうかと言って、それをそのまま伝えるのも癪に思う。
「旨いから吸ってるってもんですよ」
苦い顔をしていないといいのですがね。
「そりゃ、そうか。それより相撲しよう」
緑の肌をしたモノ……いえ、線の細い肢体に甲羅と頭の皿。
河童と呼ばれる妖でしょう。
しかし、服を着ていないので、わずかに膨らんだ乳房につるんとした股。
齢の頃は十四、五くらいだろうか?
それも、人であればですがね。
吸いかけのタバコを火入れ箱に落とし、立ち上がる。
「相撲。巣鴨の谷風と言われた手前と?」
相撲には少しばかり覚えがある。
「谷風?なんじゃそりゃ…どうでもいいから、やろうやろう」
無邪気にはしゃぐその姿は、年頃の娘ではなく、小僧っ子そのものだ。
凹凸も無ければ、色香も無い。
キセルを腰に戻して立ち上がり、その場で四股を踏んでみせれば、飛び上がって喜んでみせてくる。
「よしっ!はっけよい」
喜び勇んで胸に飛び込んでくる娘。
ツルンとしていてつかむところはありませんが、昔とった杵柄。
そこは上手く脇などに引っ掛けて投げ飛ばす。
しかし、投げ飛ばされても、投げ飛ばされても、飛び込んでくる軽い肢体。
「これならどうだっ!」
河童の娘が頭を下げ、姿勢低く飛び込んで来たと思えば、膝の辺りに腕を回して持ち上げようとするではないか。
足を取られた。
これはいけない。
そう思うが先か、身体の芯がぶれてしまうと早いもので、あっと言う間もなく尻から地についた。
「一本取られたね」
組み付く河童の娘は、目を丸くして驚いたような顔になっている。
そして、立ち上がって右腕を空に向けて突き上げてみせた。
「どうよ!」
やりきった顔をする河童の娘。
「強いんだねぇ」
そういうと、私は尻をはたいて立ち上がる。
「何度も投げ飛ばしといて、よく言うよ」
口を尖らせて、少し拗ねているようだ。
「挫けないで、幾度も向ってくる心のことだよ」
「ほうっ!オレは強いか」
私の話しに顔がほころぶ。
すると、背中のあたりに手をやって、何やらゴソゴソと探っているようだ。
河童の甲羅にはそんな使い方があるのかと、感心しながら見ていると、しばらく探った後に腕を私の方に差し出し、手のひらを開いてみせた。
「旦那。コレやるよ」
日の光を映してキラキラと輝く小さな青い玉。
それを私に差し出す。
娘の手のひらから、それを人差し指と親指でつまみ上げると、よく見えるよう目の前に持ってくるのだが、いくら見てもよく分からない。
とんぼ玉だろうか?
「これは、なんです?」
分からなければ、聞くに限る。
しかし、河童の娘は頭をポリポリと後ろ頭を掻きながら、目をそこらへ泳がせて、何かを思い出そうとしているみたいだ。
待てども待てども、答えはなく、ウンウンとうなってはあっちをウロウロ、こっちをウロウロとしていましたが、どうやら諦めたよう。
私の方に振り返り、ぺろっと舌を出す。
「へへっ。思い出したら教えるわ」
そう言うと川の方へ身を翻して、瞬く間もなく、河童の娘の姿は消え去った。
◆
河童の娘と別れ(?)旅籠に戻った私は、主人に言って湯をもらい、土やほこりを落としてから部屋に戻ることにした。
着替えは手持ちがなかったが、主人の浴衣を借り受ける。
さっぱりとして部屋に戻ると、そこには河童の娘がいた。
いつの間に、上がり込んだのやら。
「旦那。珠のことだけどよ」
思い出したらと言ってましたが、こんなに早いとは思わなんだ。
他の客に見られぬよう、後ろ手に障子を閉めて河童の娘と向かい合う。
「何だったんです?」
気にはなっていたので、問いかける。
「水の近くでそれを握ると、オレと話しができる玉みたいだぜ」
みたい?
結局のところ思い出すことはできず、誰かに聞いてきたようだ。
「水の近くですね。話しをしたくなったら、やってみましょう」
「相撲でもいいぜ」
ケラケラと笑う河童の娘。
「じゃ、オレは帰る。またな」
言うことを言うと、窓から身を翻して去っていった。
慌ただしい娘だ。
◆
後日。
掃除と手直しされた商家の引き渡しも終わり、とりあえずの生活ができるようにはなった。
それまでは家財を揃えたり、細々としたものを揃えたり、商いを始める前の仕入れに走ったりと、東奔西走の忙しさで、珠を試す暇もありません。
それがようやく落ち着くと、あの珠のことを思い出し、家の井戸端で試してみた。
青く薄っすらと光る珠。
それを握って、念じる。
「河童の娘」
『ひゃっ!誰?』
ひゃっ?
慌ただしく、小僧っ子のような娘からは思いもよらない声ですよ。
「どちら様で?」
『あなた様こそ、どちら様でございましょう?』
丁寧な言葉遣いに、心地よい声音。
跳ねっ返り娘でないことは確か。
「手前、近々、保土ヶ谷の宿で播州屋と号します小間物屋を開く、弥兵衛と申します」
こちらも丁寧に名乗りを上げる。
わざわざ商いの宣伝まで入れてしまったのは、やり過ぎたかもしれません。
『これは丁寧にありがとうございます。私は琉夏と申します』
声音もそうですが、話し方も穏やかで心地よく、いつまでも聞いていたいと思わせる。
「河童の快活な娘さんとお知り合いで?」
しかし、そうはいってもいられない。
本題の河童の娘について聞いてみると。
『河童の……あぁ、ハナでございますね。もしかしましたら、青い珠を受け取りましたか?』
何やら合点がいつたようだ。
「えぇ。先日、相撲をとった礼にと」
『そうでしたか。たいへんなご迷惑をおかけしましたようですね』
珠の向こう側で、深々と頭を下げる姿が容易に想像できる。
「いえいえ。こちらも久方ぶりの相撲に、小僧だった頃を思い出しました」
大人気なく、ハナを何度も投げ飛ばしたことは黙っておいた。
『お優しいのですね』
そう言って微笑んだのだろう。
これは、俄然お会いしてみたくなりました。
「お琉夏さん。こちらの珠はお返しした方がよろしいですね」
その口実を作ってみる。
『そうでございますね。人には過ぎたものになりますでしょう』
人には?
河童からもらったものだ、それが龍神様の珠だとしても驚くまい。
「で、ございますれば、どちらにお持ちすれば」
問いかけると、「まぁ!」と驚いたような声が聞こえた。
『ほんとうにお優しい。では、お言葉に甘えてしまいましょう。私は……』
お琉夏さんは、帷子川を相模国の方へと一刻と少し上った、泉に祀られている水の神様であった。
※現在の神奈川県横浜市旭区下川井の辺り。
水神の祠と銘打った石碑が建立しているが、祭神や由来は不明。
東海道を播磨まで行くと思えば、ちょっとした御使いですな。
機をみて、伺うことにした。
◆
秋が深くなり、日も短くなってきた。
商いも始まり、お初を迎え、小僧を雇い、越後屋さんの紹介で宿場の主人衆とも顔なじみになってきている。
商いの方は、播磨の革細工や、京ちりめんの手提げと、ここらでは扱いが少ないものがよく売れており、値付けも手が出しやすいところで、見栄えもよいとの評判で、町家の人々も買いに来てくれていた。
「旦那さん。お出かけですか?」
店の方で、遠出の支度をしていると、奥から出てきたお初に尋ねられる。
「これを返しにいくのだよ」
懐から手拭いに包んだ珠を出して、お初に見せた。
「おや、まぁ。珍しいものをお持ちでしたか」
感心したように声を上げる。
「何か知っているのかい?」
「水珠と言って、水辺の近くで色々とできると聞いてますよ」
それは聞いていなかったなと思ったが、あの娘のことだ、憶えきれなかったのであろう。
「どちらまで?」
いつもの散策ではないので、旅行に近い格好をしているから、相当の遠出になると思っているようだ。
「二俣川の方までね」
それでと、合点がいってようだ。
するとお初は台所の方へ行き、しばらくすると何かこさえてやってきた。
「お弁当をお持ちよ。それに水筒も」
こういう気遣いはありがたい。
道々、茶屋で済まそうとも思っていたのだが、ちゃんと飯を持っていけるのは、心強いものだ。
「では、行ってくるよ」
「戸塚の鬼が、笑ってたとお伝えください」
出掛けにかけられた言葉は、よく分からなかったが、伝えておくよと返事をして家を出た。
◆
よく晴れていて、風も穏やか。
遠出をするにはちょうど良い日だった。
「旦那。旦那。待っておくれよ」
振り返ると、茶トラの猫が追いかけてきていた。
家の屋根裏に住み着いていた化け猫の弥七。
「弥七。付いてきてしまったのかい?」
妙に私に懐くもので、どこに行くにも付いてくるようになってしまっていた。
「お初姉さんが、ついていけって」
そういうことですか。
昼間の街道とは言いましても、何があるか分かりませんからね。
「そうですか。店の方は?」
残されたお初だけでは大変だろうと思い、弥七に尋ねてみる。
「お妙さんと吉之助が遊びに来てた」
お二方はちょいとしたことで知り合うことになった、神社の狛犬で、お初に懐いてしまい、店の方に良く顔を出すようになっていた。
「それなら大丈夫でしょう…それより弥七」
「おっと、いけね」
くるんと宙返りをすると、茶トラの猫が店の小僧姿に変わる。
「弥七も上手くなったねぇ」
褒められたことに照れているのか、頭の後ろをかいてみせた。
「それじゃあ、いきますか」
化け猫の弥七と街道を進む。
◆
厚木街道を相模国へと向かう。
街道の両側は、稲穂が刈り取られた後の田んぼが広がっており、少し寒々しい。
雑木林や山の木々の葉も赤や黄色に色付いたものが、わずかばかりに残るだけ。
冬がやってくる。
途中でお初の持たせてくれた弁当を食べたり、道すがら柿をもいで齧ってみたりと、楽しみながらの旅程となった。
◆
目的の石碑の前。
石碑は木々に囲まれ、後ろには、こんこんと水が湧く泉に、そこから流れる小川が田畑へ続いています。
「旦那さん。なんかいるね」
化け猫だけに、何かの気配を感じたのかもしれない。
そういうことならば、少しだけ気を張っておく必要がありそうだ。
石碑の前に膝をつき、懐からあの珠を取り出す。
手拭いを開いたと思ったら、青い光が強くなり、目の前が真っ白になってしまった。
しかし、それも長くは続かず、強かった光も和らいで行く。
「弥兵衛さん。」
目が色を取り戻すと、水縹(ミズハナダ:薄い青)地に水仙の花をあしらった着物の女人が立っていた。
「琉夏様でございますね」
恭しく頭を垂れる。
「イヤですよ。そんなに改まって」
水神様であるのですが、ここまで畏まられるのは、こそばゆいのかもしれません。
ついていた膝を立たせ、土を払う。
「では、琉夏さんでどうでしょう?」
私の提案に、合点がいったように手を打つ水神様。
「そのくらいの気安さだと、私も嬉しいですね」
なんともお付き合いしやすい神様なのですが、弥七も興味津々といった顔で、琉夏さんの周りをウロウロしていた。
「弥七。これ、やめなさい」
さすがにクンクンはしていないが……。
「お初姉さんみたいに、いい匂いがするよ」
琉夏さんが袖で口元を隠した。
弥七の真っ直ぐな言葉に照れてしまったのだろう。
しかし、琉夏さんの見た目は、私が以前に想像していたものの上をいっていた。
黒く絹のように滑らかな光沢のある髪に、僅かに紅を差したような、小さいながらもふっくらとした唇。
それがより強く残る、白く透き通るような肌。
柳のようにしなやかに凹凸する肢体は、着物の上からでも分かる。
そして、お初ほどではないものの、はち切れんばかりに張り出した胸元。
「お初?戸塚の初でございますか?」
琉夏さんが私の手をとる。
「戸塚の鬼が、笑ってたとの言伝を」
「まぁっ!それはおめでたいことです」
手を離せば踊りだしそうなほどのはしゃぎよう。
余程の仲なのだろうことが、想像できるものだ。
「それで、初のお相手はもしかして、弥兵衛さんでございますか?」
琉夏さんの青みがかった瞳が、喜びと期待で輝きを帯び私を真っすぐに見ている。
今度はこちらが照れてしまう番になってしまった。
「へぇ、この夏に祝言をあげさせてもらいました」
なんともおもはゆい。
「我がことのように嬉しいことです」
話しを聞けば二人は鎌倉の世の辺りからの知り合いであったそうだ。
生まれたばかりの神と、子供の鬼。
これまで色々とあったことだろう。
「お初も連れてくればよかったな」
久しく会っていないということを聞いて、口から溢れた。
その言葉ではっとなり、何かを思いついたようです。
「それならば、その珠はお持ちになっててください」
「よろしいので?」
人には過ぎたものと言っていたように思うのですが。
「初の旦那様なら、間違うことはないでしょう。それに、珠があるところには出ていけますので、こちらから会いにも行けるようになるのですよ」
ぽんと手を打つ。
「そりゃ、いい。お初も喜ぶってもんですよ」
◆
琉夏さんの祠を弥七を連れて後にする。
青い珠は返せずに、持ち帰ることになった。
「旦那。琉夏さんいい人だったね」
無邪気に笑う化け猫。
「そうだね」
「遊びに来てくれるかな」
キラキラと目を光らせて、弥七が尋ねてきます。
しかし、私も来てくださることを期待して、弥七の頭を撫でつけながら、こう言いました。
「来てくれるさね」
日が沈み始める街道を保土ヶ谷への帰り道。
親子のような影が伸びていく。




