行列
木々の葉も青々と茂り、夏の気配を感じさせる海からの湿った風が吹き始めました。
保土ヶ谷の宿で迎える初めての夏でございます。
そんな暑さも感じ始める季節でございますが、保土ヶ谷の宿は大忙しでございました。
それも、江戸へ上る、江戸から下る諸大名の列が多く通る季節(参勤交代が旧暦の四月)でもあるからです。
「播州屋さん。なんとかならないかね?」
「馬の飼葉ですか?それねらば、見知りの農家を当たってみましょう。値付けはどこまで?」
宿は宿泊の世話でてんてこ舞いとなっておりまして、馬などの世話に必要なものを、越後屋さんが駆け回って集めていました。
江戸へ上る東海道最後の宿ということもありまして、保土ヶ谷の宿で日にちを待ったり、馬や供揃えの見栄えを整えたりと、とにかく物が入り用となるのです。
「これだといかがか?」
急ぎと言うことで、少し高くなるとお考えのようだったのか、盤面に上がっている珠の数が多い。
回るのは私の顔見知りの農家です。もう少し、何とかなりましょう。
「それは高い。ここまで抑えられるかと」
越後屋さんの持つ算盤の珠を、いくつか下げます。
「それで任せますよ」
言うが早いか、あの話し好きの越後屋さんが、踵を返し店を飛び出していくじゃないですか。
それほどに仕事があると言うのは、嬉しいことであります。
「お初。店を頼めるかい?」
奥に声をかけますと、前掛けにほっかむりをしたお初が、手を拭き拭き出てきます。
「旦那さん。お蜜もおりますし大丈夫ですよ」
ニコリと微笑むお初。
その姿を見ますと、忙しく焦りを感じていた心も、穏やかになるようでした。
「済まないが、頼むよ。良し、颯」
「ここに」
土間で、弥七と品の並び替えをしていた颯。
名を呼びますと、即座にそばへと控えます。
「年の瀬にお世話になった農家を回りますからね。しっかりと、顔を覚えてもらってください」
「はい」
今年の年の瀬は、颯に任せてよいかもしれません。
そう思えるほどに、商人としても逞しく成長をしている颯でございます。
◆
近隣と言わず、遠くは二俣川の方の農家まで回り、馬の飼葉を手配してまいりました。
そうしまして店に戻る頃には、日も傾き始めておりましたが、小上がりで茶を飲み、お初と話しを楽しんでいる住職が居られました。
「おや。旦那のお帰りだよ」
こちらに気が付かれたようで、私の方へ細く開かれた目を向けられます。
「お帰りなさい。旦那さん。随分と回られたのですね」
「ただいま帰りましたよ。えぇ、二俣川の方まで足を伸ばしました」
「飼葉の手配はいかがでしたか?」
「越後屋さんが、多めに持たせてくださったからね。飼葉の他にも色々と都合つけてくれそうだったよ」
「二人とも。湯を持ってきましたよ」
お蜜が盥に張った湯を持ってきました。
「助かるよ」
「かたじけない」
土間に盥を置いてもらいましたが、小上がりには住職が腰掛けております。
「ほら、凛はこっちに避けときなさい」
お初が気を利かせ、住職に言って聞かせました。
「いい男、二人に挟まれたかったんだがね」
住職は渋々と、小上がりに上がり、帳場の奥、お初の背の方へと移ってくださいました。
颯と並んで小上がりに腰掛け、歩き回った足を、湯で濡らした手拭いで拭います。
「気持ちいいな。歩き回った疲れも取れるよ」
奥に戻ったお蜜に聞こえるかは分からないか、感謝の言葉を口にしました。
「それにしても、住職がいらっしゃるのも久しいですね」
三日と明けずに来ていた住職でしたが、近頃は尼寺の方でもなかなか会うことはございませんでした。
「人の世も大変そうだけどね。こっちも大変なんだよ」
肩をモミモミ。何か一仕事を終えたような雰囲気でございます。
「何かあるのですか?」
気になりましたので、絞った手拭いで足の水気を切ってから、小上がりへと上がりまして、住職の方へと向き直ります。
「京に向かう百鬼夜行が通るのよ」
「百鬼夜行でございますか?」
百鬼夜行。
聞いたことのない言葉でございました。
「いろんな妖が列をなして、この東海道を進むのさね」
得意そうに腕組みをし、鼻を鳴らすかのように話す住職。
「そりゃ、壮観でしょうな。一度くらいは見てみたいものですね」
妖の並ぶ姿を思い浮かべてみはしましたか、いかんせん、出会った妖など……。
「旦那じゃ、取って食われちまうよ」
想いに水を差す住職の言葉。
少しくらい夢見たところで、バチは当たらないと言うのに。
「百鬼夜行はいつ通りますんで?」
話したくてしょうがなかったのでしょうか、先を促すよう問いかけます。
「八日の後の夜たね」
「八日の後……尾張様がいらっしゃる日ですね」
先触れからの報せは、既にほうぼうへと発しております。
尾張様は大大名どころか、徳川御三家に名を連ねるお方ですので、その受け入れの準備となれば、宿場はちょっとしたお祭り騒ぎでございます。
手は足りないが金はあるといったところで、私も駆り出された次第でございました。
小間物屋としましては、江戸にお上がりなさります奥方や姫様、そのお付きの女中向けの白粉や紅、扇や簪といったものを、機がありましたら持参するくらいでございますので、それほど忙しなくないということもあり、白羽の矢がたったのでございましょう。
「尾張っていうと……大大名じゃないかい!?」
尾張様の名を聞いて、跳び上がるくらいに驚いた住職。
「そうですね。越後屋さんとも懇意とのことでして、贈った酒を献上しても良いかと、相談されましたよ」
懇意のお武家様にもと、そういう気遣いのできる越後屋のご主人。
「はぁ〜っ!それは本当かい?」
途端に頭を抱えます住職。
「えぇ。如何様にもとお答えしましたから」
「こうしちゃいられないよ。初。ごちそうさん」
キュッと湯呑みを煽り、茶を一息に飲み干しますと、湯呑みをお初に渡して立ち上ります。
そのまま、小上がりから飛び降りまして、雪駄をつっかけ播州屋を飛び出していかれました。
播州屋から駆け出していくのは、近頃の流行りなのでしょうか?
◆
今朝方、紀州様がお立ちになられたこともあり、保土ヶ谷の宿の慌ただしさも落ち着きが戻っておりました。
私も帳場でこれまでの取引を整理しておりましたが、やはり、頭に浮かぶのは百鬼夜行のことばかりです。
「どうかしましたか?」
帳場で帳面に向かうものの筆は進まず、どこかほうけたような私に、お初が心配するように声をかけてきました。
「百鬼夜行のことばかり考えてしまってね」
正直に話します。
「そのことでしたか。私は並んだことはありませんけど、凛の話しを聞いてますと、呑んで騒いで大変みたいですよ」
多くの妖が集まり酒を飲んでは騒ぐ。
人も妖も変わらない。
「やっぱり見てみたいものですね」
文机に両肘をつきまして、頭を手に乗せますと、花のさく大きな木の下で、飲めや歌えやの大宴会を楽しむ妖たちを想像しては、にやけてしまいます。
「ふふふ。お茶にしましょうね」
そんな私を見て、お初は微笑みました、
◆
明くる日。
尼寺への届け物がありましたので、颯に変わって私が届けることにしました。
尼寺への階段を登っていますと、山門の前で何やら言い争うような男女がおります。
女人の方は尼寺の僧で、ヨネと言いました。
訪ねた際に、住職の離れまで案内して下さる。そういう役目のもののようです。
男の方はと言えば、身の丈は六尺を超え、着物の上からでも分かるほどに盛り上がりを見せる筋肉。顔の方も総髪の髪を若衆髷にまとめ、ヒゲもきれいに刃を当てているようで、町中を歩けば振り返る女人も少なくないでしょう。
颯の線の細い色気とは違ったものを感じます。
「どうしたね」
ぼうっと見ているわけにもいかず、山門の二人に声をかけました。
「播州屋さん」
ヨネが声に気づいたようで、私に向かい手を振ってきました。
はて?険悪そうに見えたのは、気の所為だったのでしょうか?
「お前さんは?」
ヨネに合わせてゆっくりとこちらに振り返る美丈夫。
「私は麓で小間物屋を営んでおります、播州屋と申します」
「お前が播州屋か!」
美丈夫がニコリと笑顔になりますと、私の方へと下ってきて、私の両の肩をがっしりと掴みます。
「藤五郎の酒はあるのか?」
美丈夫の問いかけに、住職が焦る理由を察しました。
◆
離れに通された美丈夫と二人。
いつもの縁側ではなく、来客があった際に通される部屋の方でした。
ヨネが下がってしばらくしますと、ヨネともう一人の尼僧に両脇を抱えられダラリと引き摺られた住職が、部屋に投げ込まれます。
何とも荒々しい。
「お凛。達者なようだな」
「は、ははははは…。」
潰れたまま笑い声をあげます住職に、いつものような快活さはありません。
どこか諦めのような気配も感じられます。
「住職。ちゃんと話して頂きませんと、藤五郎の酒だって、すぐには届かないのですよ」
越後屋さんに商家のお礼として贈った二樽と、うちにある徳利がいくつか。
それが、この宿場にある藤五郎の全てだと思います。
「なんだ。酒はないのか」
酒がないと知った美丈夫は、しょんぼりと肩を落とします。
よほどの酒好きだったのでございましょう。
「はい……。すいません」
起きあがり座ってはおりますが、俯いたままの住職。
今にも消え入りそうな声で答えたようですが、よく聞き取れません。
「いやいや。そうじゃなくって、百鬼夜行の夜に藤五郎で、宴会でもやろうって話しになってたんじゃないですかい?」
藤五郎の酒を五合徳利を一つ分、住職にも分けておりましたので、そのことをどこかの妖に自慢でもしたのでしょう。
そうしたら、藤五郎の酒の味を知っている妖がいて、是非にもと言われ、断れなくなってしまったと、安請け合いにも程がありますし、もう少し早く聞いていれば、藤五郎に回してもらえましたものを……。
「俺はそう聞いておったが、違うのか?」
やはり、察したとおりだったようです。
「うぅ……。」
住職は俯いて呻くばかりで、何も発しはしません。
私もどこまで人が良いのやら…。
「はぁ…。住職。もう日もありませんし、皆に力を借りて何とかしましょう。私も一肌脱ぎますよ」
私の声に顔を上げる住職。いつもは細く開かれているだけの目が、期待に満ちてパッと開かれております。
「ほんとかい!」
「やはり滞っておったか。よし、俺もやるぞ!」
美丈夫の方は、住職の手配が滞ることを見越し、宴会が潰れてしまわぬよう助力するつもりでいたようです。
その美丈夫の言葉を聞くかいなや、並んで座る私と美丈夫に抱きついてきました。
◆
美丈夫と二人。
途端に喋るようになった住職を見て、呆気にとられてしまいます。
兎に角、百鬼夜行での宴席の準備は進んでいて、会場はこの尼寺境内で、食材や酒の手配もつつがなく済んでおりまして、品の方も順に運び込まれているそうです。
では、何が落ち度なのかと……。
「藤五郎の酒を忘れてたのさ」
関東にも名前が知れている名杜氏。その名も藤五郎。
男の仕込んだ酒は、播磨の男酒の中でも飲みやすく、合わせる料理も選ばないほどだと言われています。
言われていると言いますのも、私は酒はからっきしでして、一口でひっくり返ってしまう下戸。
「越後屋の旦那が二樽持ってるのは知ってたから、それを都合してもらおうと思ってたんだよ」
紀州様の行列の後に話しをと思っていたら、播州屋でその後に尾張様が来るのを聞き、百鬼夜行の日ともかち合ってしまうのもあって、慌てて越後屋さんに酒のことを聞きに行ったそうなのです。
もちろん。寝耳に水の越後屋さんですから、尾張様の夕餉にと、既に本陣、軽部様へお届け済とあり、一樽どころかお猪口に一杯も、手に入らないこととなってしまったようです。
「俺たちゃ、他の酒でも満足できるがな。味を知ってる御爺がどうだろね」
妖のなかにも、藤五郎の味を知るものがいるようですが、どうやら誤魔化すことも考えていたようで、図星を突かれて動揺している様が手に取るようでございます。
「うぅ……。」
再び項垂れる住職。
「藤五郎の蔵まで、早くても半月はかかりますし…。」
播磨ですから、東海道を行くだけでも、それだけかかりますし、荷を作り、舟を手配して、乗せて横浜で荷受けしてと、順調に行きましても、やはり二月は見ないといけません。
「お前さん。藤五郎とは?」
美丈夫は私の方に向きますと、そう尋ねました。
「えぇ、縁がありまして、越後屋さんの二樽も私が贈ったものですよ」
私の答えを聞いた美丈夫は、何かよい考えが浮かんだのか、飛び上がりそうなくらいに喜びます。
「おい!お凛。播州屋がいれば、何とかなるんじゃないのか?」
住職にも酒の手配ご間に合いそうだと仰られた。
「あと、四日もないんだよ!どうするのさ」
そうなのです。
いくら見知りの私がいたところで、播磨までとなりますと間に合わないのです。
「まぁまぁ、そこは俺に任せろ」
己の考えに余程自信があるのか、腕組みをして爽やかな笑顔となりました。
「善は急げって、言葉が人にはあるんだよな」
「ありますね」
「明日の昼に、ここへ戻ってくるから、播州屋。面倒だが落ち合っちゃくれんかね」
「分かりました。旅装も支度しておきます」
「それには及ばんよ。なにせ、うまくいけばひとっとびだからな」
そう言った美丈夫は、豪快に笑いました。
「よし。ひとっ走り行ってくる」
言うが早いか美丈夫か立ち上がり、縁側から庭に飛び出て駆け出していってしまいました。
「で、どなた様たったんです?」
美丈夫が飛び出た後に、名を聞くのも忘れていたことに気づきましたので、住職に尋ねてみます。
「祇園様。そうい事にしといとくれよ」
住職にしては、どこか歯切れの悪い答えでした。
◆
明けて翌日。
祇園様のお言葉通りに尼寺の離れで、住職と並んで茶を飲みながら待っていましたが、待てど暮らせど、祇園様は帰っては来られませんでした。
「どうしたものでしょう」
「どこかで酒でも呑んでるんですかね」
一番の懸念を請け負ってくれる者の出現で、気が抜けたのか、いつもの軽い口調の住職に戻っております。
酒は好きそうでしたからね。
「一旦、店に戻っておりますので、何か変わりましたら知らせてください」
「そうだね。アタシも準備を進めないといけないもの」
そう契って尼寺を後にします。
しかし、その日の夜半頃、夕餉を皆で囲んでおりますと、表の戸を叩く音が聞こえてきました。
「こんな夜半に誰でしょう?」
さっと立ち上り店の方へと、滑るように駆けていく颯。
こういうことも颯がいてくれて、本当に助かっております。
戸が開く音が聞こえまして、颯が来客を案内する声が聞こえてまいりました。
「夕餉どきであったか!済まないな」
廊下側の障子が開かれて現れたのは、待ちに待っていた祇園様でございました。
「祇園様!」
「ん。その名は……まぁ、よいか」
そう言いますと、私の斜向かいにどっかりと腰を下ろします。
「お初にお蜜。祇園様にも夕餉の膳と、藤五郎をお持ちしてください」
「「はい。只今」」
私の掛けたのもありましたが、二人ともにいつもよりも引き締まった顔と声でございましたし、案内してきた颯も、部屋には入らず、廊下に座っております。
事情を知らない弥七だけが、祇園様の膝元で遊んでほしそうに転がっておりました。
「ところで、お手配の方は?」
「それなんだがな。ちと、難しくてのう…お前にも知恵を借りたいのだよ」
膝元の弥七のクビをあやしながら、手配に難儀している様を聞かせてくださいました。
どうやら、お相手は代替わりして間もない土地神様で、顔も見知らず、幼くもあり、なかなかに戸を開いてはくれぬようでございます。
その戸を開かせる妙案はないものか、そういうことでこざいました。
「童……見知った方がいるといいのですが」
「そこなのだよ!」
そう言ったところで、お初とお蜜が戻ってまいりまして、祇園様の前に膳と、酒を置きました。
「先ずは一献。えぇと……す。」
お蜜のお酌の前に、祇園様はその唇を指で押さえます。
「祇園だ祇園。気を遣わんでくれ、勝手に汲んで呑むからな」
そう言って笑い声を上げますが、やはり豪快ながらもどこか爽やかさを感じさせる祇園様の笑い声。
「ところで、本日はどちらまで行かれましたので?」
「相模との境くらいだな。白瀧ってのを知らんか?」
「白瀧!ならば、もしかすると……。」
懐に肌見放さす持っております、三ツ境の水神琉夏からもらった青い珠を取り出します。
祇園様もそれにギョッとしましたが、昨年の秋頃のカッパとの出会いから、琉夏とも見知りの仲になったことを話しました。
それに、妻のお初とも古い仲であることも一通り祇園様に説明をしましてから、その青い珠に念を込めまして、琉夏と話します。
白瀧の新しい主を知っているかと。
「はい。存じておりますわ」
「ならば、話しが早い。どうかつなぎ役をやってはもらえないでしょうか?」
「そんな大仰な。大丈夫ですよ……ただ、おまんじゅうがあると、もっといいかもしれません」
そんなやり取りがありまして、到着しましたら話しかけると伝えて、琉夏との話しを終わりにしました。
「いやはや。お前に頼んで良かった。しかし、この藤五郎はなんとも美味よな」
「そう言って頂けますと、藤五郎も喜びます」
褒められて、照れくさそうに笑う友の顔が、私の中に浮かびました。
◆
朝も早くから旅支度の私と祇園様は、連れ立って厚木の街道を歩いております。さすがの私も祇園様に合わせて走って行くことなどてきませんからね。
一刻も歩けば、二俣川ではございますが、祇園様との話しは面白く、あっと思う間に着いてしまいそうです。
「ここだ」
岩をくり抜いて作られたような堂に、小さな祠が祀られておりました。
懐から青い珠を取り出しまして、琉夏に話しかけます。
すると、珠から光が漏れまして、私の頭のうえに琉夏が現れたではありませんか。
驚きで固まっておりましたが、落ちてくる琉夏は祇園様が華麗に抱きとめまして、地におろしました。
「まぁっ!す……。」
琉夏の唇も、昨夜のお蜜のように指で塞いでしまいます。
「今は祇園だ」
言うと片目をつぶる祇園様。
祇園様は抱えておられた琉夏を、そっと降ろして地に立たせました。
すると、琉夏は祠の前に行きまして、中に声をかけます。
「ひー坊。いるんでしょ?」
「琉夏姉ちゃん?!開けるね」
幼い声が聞こえてきました。
「お客さんもいるのだけど、大丈夫?」
「琉夏姉ちゃんの友達なら大丈夫!」
その答えに、私たち三人は顔を見合わせて、ほっこりとした笑顔が自然と浮かびました。
「では、こちらへ」
「播州屋。お前は俺と手をつないでこう」
そう言って私の手を掴みます。
分厚いながらも柔らかで、力強い手。
帳面くらいしかやらない私の手とは大違いでございます。
琉夏の後に続きますと、ぐにゃりと捻れるような感じがしまして、胃の腑もぎゅっと掴まれたように縮みます。
思わず中の物を戻してしまいそうでございました。
そんな体験が済みますと、広く、天井も高い洞窟の中に現れたようです。
中には天から流れ落ちる一筋の滝に、その滝壺。
また、畔には床の高くなった社がございました。
「琉夏姉ちゃん。その人たちは誰なの?」
私たちを待っていたのは、身の丈二間(約三.六メートル)程の白い身体の龍でございました。
私は腰を抜かして、その場に尻をついてしまいます。
「播州屋。龍は初めてか?」
「ボクは白龍だよ。そっちは人なんたね」
なぜか、その場で正座となりまして、頭を下げます。
やはり、幼いとは言いましても、龍の威厳と言うものを感じたのしょう。
「私、播州屋の弥兵衛と申します」
「食べたりしないから、大丈夫だよ」
「ひー坊はおまんじゅうが好きだものね」
「うん。甘いの大好き!」
そういうことでしたか、道すがらの茶屋で買い付けた饅頭の包を取り出します。
その場で立ち上がり、白龍様の方へと進み出て、その包を差し出しました。
「くれるの?」
「はい。大好きなお饅頭でございます」
それを受け取って、子供のようにはしゃぐ白龍様。
そこからは話も早く、その背に乗って播磨まで、飛んでくださることになりました。
◆
龍の背は吹き飛びされてしまいそうな風で、しがみついているだけでもやっとの思いなのかと思っていたのですが、風もなく快適な空の旅となっております。
ただ、速さは凄まじく、富士の山が見えたと思えばまたたく間に後ろの方へと流れていきました。
この調子ですと、播磨にも一刻と経たずに着いてしまいそうです。
「空の旅ってのも速くていいね」
「速いと言われましても、馬よりも速いじゃないですか!」
「もっと、もぉっと速いよぉ〜」
◆
昼を少し過ぎたくらいに、藤五郎の蔵へと着きました。
さすがに白瀧様に乗ったままとはいきませんので、近くの人目につきそうもない山の中へ降りてもらい、そこからは徒で来たというわけです。
杉玉の下がった門をくぐりまして、職人たちの集う待ち合い小屋の暖簾を潜りました。
「ごめんくださいよ。藤五郎さんは……。」
小屋に入るとすぐに見知った顔の藤五郎がおりました。
「弥兵衛やないかい!せんどぶりやな」
「ご無沙汰しておりました。藤五郎も達者のようで」
「俺は元気なだけが取り柄やからな」
「奥方もお達者で?」
「あれ?さっきまでそこにおってんけどな」
土間の奥から、こちらを覗いている目がありまして、そこに奥方がいるのだと分かりました。
「お律さん。大丈夫ですよ。あなたを何とかしようって方じゃないですから」
「ほんま?なんや、えらい神々しくて、おとろしかったど」
奥からおずおずと出てきた、ふっくらと丸みを帯びた女人。
こちらが藤五郎の奥方のお律さん。
化け狸でございまして、二人の間を取り持つことになったのが、私でございました。
そのお話しは、また別に語ることになりますでしょう。
「そや。そちらのお二方はどちらさんなんや?」
藤五郎が私の後に控えてくださっている、お二方……二柱と言った方が……を指して聞いてきます。
「こちらは祇園様と……」
「「祇園様やて?」」
藤五郎とお律の声がピタリと重なります。
「お前たちの言いたいことは分るが、今は播州屋の手代ってことにしといてくれよ」
「ボクは白瀧だよ!」
豆の妖精を思い起こさせる緑の短衣を纏った、小僧のような姿の白瀧様が、元気よく仰っしゃります。
「ま、まぁ、積もる話もあるんやから、茶でも飲みもって話そ。お律。頼むよ」
その言葉に甘えたいところではありましたが、今は急ぎの用事の最中。
「済まない藤五郎。訳あって急ぎの用事なんだよ」
「なんや、急ぎかいな。その用事ってのはなんや?」
「酒を都合してもらえないだろうか?」
「ええわい。お前の頼みや。十樽もあったらええんけ?」
「助かりますよ」
「やったら搾りたてがええわいな。ちょっと待ってな」
そう言うと、藤五郎は小屋を出て酒蔵の方へと走って行きました。
「こっちで座ってまっとってや。今、お茶もお持ちするし」
お律さんも土間の奥へと消えていき、私たち三人は小座敷にあがりまして、藤五郎の準備が終わるのを待つことにいたしました。
◆
「笑っちゃ悪いが、藤五郎の顔は傑作だったな」
白瀧様の背に乗って保土ヶ谷の宿への帰りでしたが、藤五郎の酒蔵で、樽を受け取ったた時の話しを蒸し返します。
誰でも、あの変化を見たら腰も抜かしますし、開いた口だって閉じるものではありません。
お律さんも術が解けてしまい、タヌキの姿で藤五郎にヒシっと抱きついておられました。
準備ができたと呼ばれまして蔵に訪れますと、真新しい木目の樽が十本用意されております。
「自慢の酒や。持っていきや」
「ありがたい。お代はこれくらいで良かったかい」
「構へんよ。お前の頼みなんや、持っていき」
「そうはいかないよ。祝言の祝いも渡してないんだ。それだと思って、受け取ってくれ」
「いやいや。それはあきまへん。こっちも祝儀を渡せとらんのやから、それを受け取ってや」
「まぁ、まぁ、二人とも。ここは俺の顔を立てて、双方受け取って、気持ち良く締めようじゃないか」
さすがの私たちも、祇園様の顔を潰すなんてことはできません。
「コレを運べばいいんだね」
白瀧様が愛らしい小僧の姿から、恐ろしい龍の姿へと変わっていきますと、それを目にした藤五郎にお律は腰を抜かして、尻餅をついてしまいました。
「りゅ、龍神様?!」
「藤五郎。悪いな、我らは急ぎ戻らねばならんのだ」
祇園様はそう言うと、身を翻し、白瀧様の背に飛び乗ります。
白瀧様は器用に樽を背に載せますと、早く乗れと、私に手招きしました。
「藤五郎。次は私も妻を連れてくるよ!」
それだけ言いまして、私も白瀧様の背の上へと乗り込みました。
◆
そして、今は白瀧様の背の上でございます。
祇園様は、一樽を開けてしまい、手汲みで升酒を楽しんで居られます。
「昨夜も飲んだが、これは美味い!」
「お口に合いましたようで、何よりでございます」
「弥兵衛。お前も付き合わんか?」
「滅相もございません。私は下戸なもので、私に飲ませるよりも祇園様に呑んで頂いたほうが、酒も喜ぶってもんですよ」
「そうか」
祇園様は豪快に笑い飛ばします。
「これでお凛の面目もたつと言うものだな」
「聞いたときには、背筋が冷りとしましたよ」
藤五郎の酒も無事に尼寺へと運び込まれ、宴席の準備は万全となりました。
盛り上がりも凄かったようで、後日、そのお礼にと、私のところへ住職が祇園様から授かったと言う、一振りの小刀を持って参ったほどでした。
「旦那には、本当に世話になったよ。私からはこの身体くらいしか差し出せないけど…。」
店の小上がりで、住職は胸元をぐっと開きまして、私にしなだれかかってきましたが、土間で品を数えていたお初から、電光石火の速さでゲンコツを脳天に落とされておりました。




