11.家族(2)
何日かして母は僕と妹と父を残して家から去り、その後もしばらくは、時折家に来ていた。その間、まるで離婚の話なんてなかったかのように僕も母も振る舞った。おかげで、少なくとも制度上の親子として、母と最後に何を話したのか覚えていない。感傷的な別れの言葉を交わす機会も、たぶんなかったのだろう。
それでも母を見るたびに、僕は、まだどうにかできるのではないかと考えていた。どういう書類をどこに出すとか、こんなときの手続きについては何も知らないけれど、もしかしたらまだそれが終わっていないのかもしれないから、と。しかしその方法もそのために必要な言葉も、何も分からなかった。
僕がこんな考えをいつまでも引きずっていたのには、明確な理由がある。母が父を非難する言葉の中に、僕の名前が出てきたからだ。
離婚の前までは、母が家に帰るのは遅く、日によって時間が違い、父はもっと早く、ほとんどいつも決まった時間に帰ってきていた。僕や妹も含めて家事については役割分担をしていたので、何の問題も感じていなかった。それはたぶん、母も同じだっただろう。
状況が変わったのは、離婚を告げられた一年ほど前だった。僕や妹がしばらく学校に行けなかったのと同じ事情が原因で、父は家で仕事をするようになった。僕と妹は当然のようにサボりを満喫していた(ただし、おかげで宿題を手伝わされもした)けれど、父は居間でずっと難しい顔をしていた。正午頃には食事を用意し、いくらか朗らかになったけれど、片付けが終わればまた元に戻る。しかも夜まで続いてしまっていた。
一方で、母は対照的に、家では仕事ができないからと言って、変わらずに会社に通っていた。「うちに顕微鏡があればいいけどね。一億円の」と聞かされたことがある。そして、それまでよりもさらに帰るのが遅くなってもいた。
時間の差だけではなく、働き方というか、生活の様式まで違ってきてしまったことが、二人の間の軋轢を増したのだろう。あるいは、それまでは平気でいられた、無視できていたものを、どうしても気にしなければならないほどにまで表に現れさせてしまったのだろう。その結果、僕までが、父を責めるために使われるようになってしまった。あの踵の傷跡のことまで持ち出されていたのには呆れたけれど。しかし、そんなところにまで来てしまっているのだと、僕は思った。




