45 聖剣オンダルシア
小さな切創が刻まれていく感覚。
すっかり痛みに慣れてしまったエレナの身体はこの程度じゃ動きは鈍らない。
それでも――嫌な物は嫌だ。
もっと大きな怪我をしたことだってある。聖剣<オンダルシア>は致命傷だって癒す。
例え――頭を潰されたとしても、この聖剣は残った部位から完全に再生して見せるだろう。
疑似的な不死。<オンダルシア>はきわめて強力な聖剣だ。
ただ一点。痛みを消してくれないという欠点を除けば完璧だろう。
エレナにとってオルガは変な人と言う認識でしかない。
何故、そんなに人の事を気にするのだろう。
助けて何て言っていないのに。どうして助けようしてくれるのか。
「私は……っ!」
オルガの奇妙な剣をエレナは受け止めた。
肩に一瞬の痛み。
先程オルガが宣言した通り、オルガの太刀筋には見えない刃が付随している。
想定よりも間合いの広い刀身だと考えれば良いのだろうが、どうしても身体は目に引き摺られるし、その長さもまちまちだ。
だがこの程度の傷ならばたいした事は無い。
<オンダルシア>が直ぐに癒してくれるのだから。
「今のままで良いんです!」
このまま順当に行けば。
自分は聖騎士になれる。
そうすればきっと両親も喜んでくれる。
主家であるブランの覚えが良ければ卒業後も有利になるだろう。
エレナの家には子供が自分しかいない。
だから。家の名を汚さない為にも自分が聖騎士になって。
家の名を途絶えさせない様に夫を迎えて。
その時に主家の縁があれば家をより発展させられる人を迎えられるかもしれない。
今のままでいけば。
きっと皆が喜ぶ。
「だから言ってるだろ。知らないな! 俺は、俺の都合でお前が欲しいんだよ!」
その内面まで読み取った訳ではないが、オルガは叫び返しながら剣を握る腕に力を込めて押し切ろうとする。
「ひうっ!」
『……何かあれねプロポーズみたいね』
一瞬、エレナの剣から力が抜けた。そこを押し切ろうとしたが、直ぐに力を取り戻す。
途端に悲鳴をあげ始めた鉄剣を見て、距離を取る。
『……やっぱり武器にはこだわった方が良いわよ』
「そのうちな」
何時か金が溜まったらその時に考えようと未来の自分に投げつけた。
「何なら天秤剣借りてこようか! その前で誓えるかどうか!」
挑発の一つのつもりだったその言葉は、想像以上にエレナを穿ったらしい。
自分が天秤剣の前で、現状に満足していると誓う。
その光景が余りにも有り得なさ過ぎて、エレナは想像できなかった。
その一瞬の隙。
想定外の好機にオルガも罠を疑ったが、迷わず飛び込んだ。
オーガス流剣術壱式、鏡面・波紋斬り。
受け流すこともせず、その切っ先が二の腕を掠めた。その僅かで十分。送り込まれた振動波が爆ぜて、派手に血を噴出させる。
「っ……!」
その傷は瞬時には塞がらない。
初めてエレナが受けた真面な傷に、一番動じたのはエレナ――ではなくブランだった。
「エレナ! 何を遊んでいるの!」
「あ、遊んでなんか――」
「さっさと聖刃化してそんな奴倒してしまいなさい! まさかアンタ。わざと負けるつもりじゃないでしょうね!」
ヒステリックにそう叫ばれて、エレナは力任せにオルガを弾いて距離を取った。
『おっと、漸くその気になってくれたみたいね』
エレナは片手に聖剣<オンダルシア>をぶら下げて。
空いた手で己の目元を隠すように覆う。
「聖剣<オンダルシア>よ」
澄んだ声で告げられる聖剣の銘。それは何時かのカスタールと同じ物。
「悪鬼を斬る剣をここに。我が身が汝の心金」
今度は妨害しない。こうなる事がオルガにとっての勝利条件。
消耗戦を仕掛けても、勝ち目は薄い。中型魔獣の攻撃を受け切ったエレナの再生力の限界に挑むのは愚の骨頂だ。
だからオルガが狙うべきは別の道。
「我、この身を一振りの聖刃となす」
聖刃化。
聖剣の能力を完全開放する奥義。見るのは二度目だが、カスタールの物とは随分と様子が違うとオルガは思った。
全身甲冑となり、頭身すらも変わっていた<ノルベルト>の聖刃化。
しかし<オンダルシア>の聖刃化はその様な無骨な物では無かった。
白い、布が宙を舞う。
戦闘着の上から、まるで白衣か。或いはドレスの様に白い布が被せられた。
『さて、オルガ。残念なお知らせその2です』
聞きたくないなあと思いながらも、無言で続きを促す。
『まだ駄目ね。一回くらいドーンと回復させないと見えないかも』
そんな事だろうと思ったとオルガは覚悟を決めた。
ブランの余計な言葉のお陰で聖刃化まではいけたが、結局一撃を加えないといけない事には違いないらしい。
『大概この手のは心臓の辺りなんだけどね……どうも勝手が違うみたい』
「……降参は、してくれませんか」
「論外だ。負けたら退学だぞ俺達」
改めて考えると。ブラン達を引っ張り出すためとはいえ張り込み過ぎである。
ギャンブルには手を出さない様にしようと思うオルガだった。
こんな賭け方をしていた絶対破産すると感じるだけの感覚はあった。
「……評価点でしたら私の物を少しなら分けられます。それで退学だけは避けられますから――」
「くどい。そっちが強いなんてことは百も承知だ。けどな」
ほんの少し。エレナの道の選び方以外の所でオルガは腹立った。
「勝つのが当然見たいな顔をされると苛立たしい」
そう言うと、エレナは諦めた様に溜息を吐いた。
「この戦いが終わったらちゃんと治療します。ですから――少し我慢してくださいね」
その聖剣に、腐食の力を宿らせながら。
エレナがオルガに戦闘不能となるだけの傷を与えるべく動き出した。
速い、とオルガは先ほどまでとの落差に驚く。
見た目大した違いがある様には見えなかったが、まぎれもなくあれも聖刃化。
聖剣のあらゆる能力が底上げされている。
そして掠めただけでも大ダメージとなる刃に変貌した聖剣本体。
カスタールの時は大きさも変わっていたが、今回は本体に変化はない。
だからこそ、全体的に速度を増した今、先ほど以上の鋭さで刃が繰り出される。
その剣戟を弾きつつ、朧・陽炎斬りで牽制するが最早それは牽制にすらならなかった。
刃が通った次の瞬間には再生しているのだ。一瞬たりとも血が噴き出る事すらない。
「嘘だろ!」
想定以上の再生能力に、流石にオルガも動揺した。
男女で区別する聖剣さん