後編
稽古中に恋焦がれている先輩から「誕生日プレゼント何が欲しい?」と聞かれ、咄嗟に思ったこと、それは……
ちゃぽーん
深さのある湯船に身を投じながら頭の中を占めるのは、今日突然訪れたあの瞬間の私の想い。
あなたが欲しいって何、あなたが欲しいって何、あなたが欲しいって何。
浴槽に背を預け、お湯から出した両手の甲で両目を覆う。
もらってどうすんの、もらってどうすんの、もらってどうすんの。
ぼんやり思い浮かべた真中先輩が、爽やかに私に向かってこう言った。
「もらった後、どうするの?」
すみません!対処できません!!!
なのに。
「鴨さん、真中先輩がね、誕生日プレゼントくれるんだって」
あれから毎日、池の鴨さんに同じ相談をしている。
この降って湧いたような誕生日プレゼントの件とは、毎年剣道部の一年生に部から誕生日プレゼントが用意されるという、ただそれだけのことで。
たまたま私以外の一年生の誕生日が一学期に集中していたという奇妙なことが起こっていたために、私はそんなイベントをあの時すぐに思い出すことが出来なかった。
そう、あの時。
面金に顔を覆われた真中先輩は、付け足すようにこう言った。
「三浦、いつも俺と目が合いそうになるとどっか行っちゃうから、このタイミングで聞いてみた」
最後ににっこりと笑って。
ああ……神々しい。
違う、違う、そんなこと思い出してる場合じゃなくて。
「鴨さん、誕生日プレゼント、何がいいかな」
鴨さんは今日も安定の浮かぶのみ。
はぁ。
ため息と、締めつけられる胸と、中くらいしか開かない瞼。
本当は。
冷え切った空気の中、制服のスカートをひらめかせ自転車を漕いでいる時も。
聞いているのか聞いていないのか自分でも「不明」なほどの脳の動きしかできない、退屈な授業中も。
防具に身を包んだ私が、着座した状態で紐を解き、面を外した瞬間も。
真中先輩、あなたが。
あなたが、あなたが、あなたが。
ほし……
「三浦―っ」
頭の手ぬぐいをはらりと外し終えたばかりの私に、またも突然訪れる、真中先輩による声の襲来。
「欲しいもの、決まった?」
しかも真中先輩の隣には、真理ちゃん。
こちらを見る、無表情の、真理ちゃん。
私は。
あなたが、あなたが、あなたが。
あー……
「あ……め」
「ん?」
「飴が……欲しい……です……」
「飴?」
「はい……」
「はは、分かった、おいしそうなの見つけてくるなー」
私は咄嗟に笑顔を作った、そして。
その場を勢いよく立ち、一目散に玄関の方へ。
ガラス扉越しに向かってくる私に、今日は特に何もしてきていなかった油断気味のあいつが慄く。
バンッと両手で透明なガラス板を叩いて、頭をこつんと預けた。
周りからは、いつものように目の前にいるこいつのからかいに怒っているかのように見えるかな?
本当は、泣きたい。
不甲斐ない自分に、泣きたい。
私が真中先輩からもらえるのは一生、
飴だけだ。
「真中先輩からまた飴がもらえるなんて最高じゃない、ねえ、鴨さん」
鴨さんは今日も。略。
「いちご味かなぁ」
まるで、夕陽を反射した水面のきらめきと心の揺らめきが重なっているかのよう。
「めろん味かなぁ」
私はきっと。
「さくらんぼ味かなぁ」
想いを告げたかったんだ。
ずっとずっと胸に秘めてきた想いを、伝えるチャンスをもらったのではないかと。
そう思って、毎日毎日呪文のように、ばかみたいに、あなたが欲しいです、と。
でもチャンスは自分でつかむものだから。
甘えてはいけないんだ。
もし本当に想いを伝えるなら、自分から、自分から動かなきゃ。
凛とした冷たい空気、ベンチに座っている私は口元までぐるぐるに覆われた赤いマフラーに鼻を埋めた。
いつの間にか、鴨さんがもう一匹増えている。
二匹は顔を見合わせるように徐々に近づいてゆく。
ああ、真中先輩。
会いたい。
「泣きそうな顔して、なんかあった?」
舞い落ちる優しい声と同時に視界に飛び込んできたのは、手にものすごくキュートな物を持った……
「真中先輩!」
先輩は、ベンチに座る私の前でしゃがみ、頬の高さまであげた手には大きな……
「ほら、そんな悲しそうな顔してる子には、もう誕生日プレゼントあげちゃおう」
黄色と水色のパステルカラーでぐるぐるの。
「ペロペロキャンディ……」
ああ……これは一体何の奇跡が起こって……?
「これ、三浦のプレゼントさっき買って、公園の横通ったら、ちょうど赤いマフラーが見えてさ」
キャンディを片手に持つ真中先輩、背景にある水面がきらめきを増し、その姿を縁どる。
「俺、女の子に誕生日プレゼント買ったの初めてだよ」
え。嘘でしょ!
「真中先輩……私、目が回りそうです」
嬉しくて。
「え!これ、目、回る?」
そう言ってペロペロキャンディのぐるぐるを覗き込んだ真中先輩!
「まなかせんぱぁぁぁい」
好き好き好き好きーっ。
「ん、何っ?」
可愛くてかっこよくて、この人は、この人は……
「そういえば三浦がこんなに俺と喋ってくれたの初めてかも。いつも、なんだ、あのテニス部の一年とは楽しそうにしてんのに、俺とまともに喋ってくれないじゃん」
え、あいつのこと?
「ま、とりあえず、何があったか分からないけど、元気出してよ」
差し出されたペロペロキャンディの棒伝いに、ほんの少し、手が触れ合う。
ほんの少し、目と目が合う。
「お、俺、今日塾なんだ。送ってあげたいんだけど……」
チラリとした先には、木の傍にある自転車が。
「良かったら今度は、後ろに乗ってきなよ」
ふ、二人乗り……?真中先輩と?
「じゃあな」
真中先輩はどうしてだか最後はそそくさと行ってしまった。
黄色と水色のパステルカラーペロペロキャンディを片手に、目で想い人を追い続けていた私はまた自然と池の方に向き直る。
この数分で何が起こってた?
ああ……ちゃんと思い出そう。ちゃんと思い出してちゃんと思い出して、そして。
よく分からないけど、もし本当に二人乗りが実現するなら。
真中先輩の背中越しに言いたい。
好きです、って。
ね、鴨さん。
冬の終わりを告げるような柔らかい風、その流れにつられるように水面に目を移すと。
さっきまで一緒にいた二羽の鴨さんが、それぞれ別方向に向けて水面に軌跡を残している。
まるでそれは、ハート形半分を描いたかのような軌跡。
残す跡は、恋。
お写真は白田まろんさまからお借りしました。
ありがとうございました。