昼食の席にて
長くなってしまいましたすみません…
新キャラ登場します!
殿下の部屋に着くと、わたしはせがまれるままに旅の3年間を語りました。
……リィリィに向けていたしかめ面など幻だったかのように、美しい空色のひとみをキラキラとさせながら楽しそうにあれこれとお聞きになるので、話すのが得意というわけではないわたしの口も止まることなく動き続けました。
それから暫くして昼食の席が別室に用意されたのですが、その席にはすでにカナ様と、なんとノエが座っています!
思いがけない懐かしい顔との邂逅にわたしは扉口に立ち尽くしてしまいました。
「あたしもレビロ様とお話したいってずっと言ってたのに!アレクだけ先に会ってるなんて!」
小さな唇を尖らせて殿下を睨むカナ様。殿下はカナ様の隣に座ると、おかしそうに笑いながらカナ様の頭をぐしゃぐしゃと撫でました。
「午前の講義を早く終わらせないカナが悪いんだろ!」
「まったく、カナはいつにも増して集中していなくて、どれだけ苛々させられたことか。明日の歴史の宿題を増やしてやったのでこれに懲りて少しは集中力というものを身につけて頂きたいものです」
ノエは深い溜息をついて、おそらくまぬけな顔をしているだろうわたしの方を見やりました。
「お久しぶりですね、ビィ。何をぼさっとしているのです、さっさとお座りなさい」
「…お久しぶりです、ノエ。…まさか、ノエがここにいらっしゃるとは思ってなくて…とても驚いたわ」
わたしは慌てて空いていたノエの隣の席に座りました。まじまじと彼の顔を見つめてしまいます。4年ぶりくらいでしょうか。以前はわたしよりも小柄で殿下に負けず劣らずの可愛らしい顔立ちをしていましたが、今はわたしよりも背丈が大きくなったようです。わたしをちらりと見やる冷たい眼差しとその冷たさを増長させる眼鏡は変わっていません。懐かしさに胸がじわりと熱くなります。
ノエ…ノエル・セルディーネはわたしと同時期に殿下のご友人兼お目付役兼教育係の任を賜りました。といっても、ノエは殿下の引き起こした数々の騒動に我関せずといった調子で一人涼しく本を読んでいたので駆けずり回っていたのはわたし1人だったのですが。
「てっきりまだラビリスに留学しているものだと…」
「貴女が抜けた穴を埋めるべく、予定よりも早くテオドラに戻されたのですよ。人生設計が狂わされました。大いに感謝し、責任を取ってほしいものですね」
「……それはそれは、申し訳ないことをしました。お変わりないようで嬉しいわ」
「貴女のズボラさも数年たっても変わっていないようですね。なんですか、その手入れのなっていない耳と尻尾は」
……あと、何を言っても嫌味ったらしく聞こえる口調は変わっていないようです。いや、嫌味なんですかね。思わぬ再会に熱くなっていた胸の内は一気に冷えました。
しかしながら、ノエの髪と同じ色の艶やかな漆黒の耳を見れば、確かにわたしのモノはボサボサとパサついてると言えるでしょう。少々恥ずかしくなって、ぐっと黙るしかありません。
ノエはわたしと同じく獣人の血の入った一族の生まれで、わたしは狼族、彼は豹族の特徴を受け継いでいます。テオドラ建国の際に尽力したことから『剣』と『盾』の称号を与えられた一族の者同士、仲良くしたいと思っているのですが、如何せんイヌ科とネコ科の性なのかお互い宿敵視していて、手と手を繋いで仲良くとはいかないようです。わたしは、明晰な頭脳を持っていてさり気なく人に優しくできるノエのことを好ましく思っています。時々鋭利すぎる言葉にグサリとヤられることはありますが、まあそれも性格なのでしょう…。
「まあまあ。ビィは旅に出てたんだし仕方がないよ。それにノエが言うほど傷んでないから大丈夫だよ」
「先生ひっどい!女の子に言う言葉じゃないよ!…その耳と尻尾、お手入れするのね、ぜひお手入れするところを見たいというか手伝わせてほしいというか…」
殿下と、思いがけずカナ様にも擁護して頂きました。
カナ様の後半の言葉はごにょごにょと尻すぼみでしたが、人よりも多く聞き取ることができる耳にはばっちり聞こえてしまい反射的にバッと耳を手で押さえてしまいます。なんとなく、そうしなければならない気がしたのです、野生の勘です!
ノエもどうやら聞こえていたようで、嫌そうに腕をさすっています。
「……絶対、嫌ですからね。我々のコレはそう易易と他人に触らせるものではありません。気を許した家族や恋人ならば別ですが」
「…え、聞こえてた?わぁ恥ずかしい!やっぱりその耳って性能が良いんだねぇ!そっか、恋人なら、いいんだね…うふふふ…」
頬を微かに染める様はとても可愛らしいのですが、先ほどの小声に含まれた、漸く見つけた獲物を狙うかのような響きが恐ろしくてぶるぶると震えてしまいます。なんだったのでしょうかアレは……恐るべしです、カナ様。
「いいなぁ、おれも行ってみたい」
砂漠を越えた先にある美しいオアシスの風景について見たこと感じたことを話すと、殿下は羨ましそうに唇を尖らせました。わたしは笑って、
「いつかきっと行けますよ。殿下がご自分の魅了の力を制御できるようになりましたら!わたしが居らぬ間に、講義の時間に出奔したり勝手に遊びに出掛けたりはしませんでしたよね?」
「サボったりなんかしてないよ!」
わたしの問いかけに対し声を大きくさせた殿下を、ノエは顔をしかめて首を振りました。
「嘘です、帰国してから何度殿下を椅子に括り付けたことか」
「アレクは本当に勉強が嫌いだよねぇ」
と、カナ様。
「貴女も殿下のことは言えませんよ、カナ。殿下の御上手な口車に乗せられて私の講義をサボって大道芸を見に行ったではありませんか。私の講義を、サボって」
「もー悪かったってば!ごめんなさいもうしません!お土産の黄金のひよこ亭の限定シュークリーム、買って来てあげたじゃん!」
「…確かにあれはとても美味でしたが、それで全てが許されると思ったら大間違いですからね」
カナ様がはーいと元気良く返事をすれば、ノエがやれやれという風に溜息をつきました。どうやら苦労をしているようですが、仲は良好のようです。
殿下は気まずそうにしています。本来なら小言を言うべき所ですが、久しぶりなので見逃がしてあげましょう。決してそんな気まずそうな顔も大変可愛らしいから甘やかしたいといった理由ではありませんよ!
「少しは逃げたりしたけどさ…でも3年前よりずっと彼らはおれが望まないことをしなくなったよ。それに少し前から国内の遺跡の調査に同行したりしてるんだ。おれも、ビィの居ない間に少しでも成長したくて」
この言葉がどれだけ嬉しかったことでしょう!
今度はわたしがあれこれと殿下の3年間を聞く番でした。
殿下の言う彼らとは、殿下のことが大好きで堪らない精霊たちのことです。わたしには稀に薄ぼんやり見えることはありますが普通には見えないので、大分彼らには迷惑をかけられました。尤も、殿下に対する大好きの気持ちは彼らに負けませんがね!
殿下の3年間の間の成長をこの目でみれなかったことは少し残念に思いましたし、少しだけ寂しくも感じられましたが、嬉しそうに、時に自慢気に語る殿下を見ることが出来て本当に幸せな気持ちになりました。
「今度一緒に行こう!ビィと行きたいなって、ずっと思っていたんだ」
殿下は花開くような笑顔で笑っています。嬉しい言葉にきゅんきゅんと胸が高鳴ります。緩みそうになる表情筋を引き締め素直すぎる耳と尻尾が動かぬようにと願いながら何でもない顔で、
「はい。元教育係としては、殿下の成長を是非とも拝見しなければなりませんものね。それはそうと殿下、口元にソースが付いてますよ」
「ん?どこ?」
「あっ!あたしが拭いてあげるね!」
カナ様はハンカチを取り出すと、こっち向いて!と殿下に呼びかけました。素直に顔をカナ様の方に向けた殿下は大人しく口元を拭われています。
伸ばしかけた手は空を彷徨い、わたしは僅かに立ち昇った羞恥と喪失感を抑えて飲みかけのカップを手に取りました。
「アレクってば食べる時いっつも何かしらくっつけてるよね!子供じゃないんだからちゃんとしなよ」
「会食の時はちゃんと綺麗に食べれるからいいだろ。僕だって好きで付けてるわけじゃないんだ。勝手に付くんだもの」
カナ様の呆れたような物言いは、これまで何度も彼女が殿下と食事をし、殿下の口元を拭われてきたことをわたしに仄めかすようでした。殿下も拗ねたような甘えたような言い方で、カナ様に気を許されているのはありありと伝わってきます。
つきり、と胸の内にトゲが刺さったかのように痛むのを誰にも悟られたくないし、悟らせてはいけません。
しかし冷め切って苦味を残していったハーブティーは飲み干してしまったし、サンドウィッチやスープ、デザートのパウンドケーキまで食べ終わってしまっていたので、お2人をただ見守るしかありません。
「お2人は仲がよろしいんですね」「お似合いですね」などという台詞を言うにはまだ胸の内はドロドロと淀んでいましたので、口にするのは憚られます。
口元が上手に弧を描ける自信がないのです…どうしよう、と空のお皿を見ていたわたしの前に、思わぬ救いの手が差し伸べられました。
その手が差し出したお皿には、半分食べかけのパウンドケーキと、付け合わせの果実が3つ乗っていました。
「もう私はお腹いっぱいなので。……貴女、トゥルの実がお好きだったでしょう」
驚いて横を向くと、ノエはナプキンで口元を拭いながらわたしを見つめていました。
わたしは心の奥深くまで見透かすような目に耐えきれず、すぐに逸らしてしまいました。礼を述べて有難くお皿の上を食べるのに取り掛かることにします。
彼はきっとわたしの殿下への身の程知らずな懸想について知っているに違いありません。鈍感であらせられる殿下はお気付きになりませんでしたが、昔のわたしはとても分かり易かったでしょうから。
わたしの気持ちを知っていて気を使ってくれたのでしょうが、ノエが最も嫌う行為であるところの嘘をついてまで(お腹いっぱいだと言いましたがノエは繊細そうな見かけによらず大食いです)、大好物の甘いものをわたしによこしてくれたことが信じられませんでした。しかもわたしがトゥルの実が好きだってこと、知ってたんですね…言ったことありましたっけ?過去に言ったとしても、覚えているとは、さすがノエですね……
思いもよらなかったノエの助けに、目の前の殿下とカナ様の仲睦まじいご様子が目に入っても、胸の痛みは包帯越しに鈍く感じられる程度に小さくなりました。
「お2人は仲がよろしいですね」
つい数分前は決して口には出来なかったこの台詞まで言うことができました。自然な笑顔を浮かべて。ノエには後で何か甘いものを贈らなければ。
わたしのからかうような台詞に殿下は「そうだね。仲良しだよ!」と笑って幸せそうにパウンドケーキを口に運び、カナ様は初々しく頬を染めてはにかんでいます。
「アレクはこの世界に落ちて来たあたしを最初に助けてくれましたし…それに、一緒にいると元気になれるんです。これもアレクの特別な力のおかげかなあ?なんて。
最初は家族に会えなくて辛くて悲しかったけど、アレクと一緒なら、訳わかんない勉強でも一から頑張ろうって気になれたし、もっとこの世界について知りたいなって思えたの。」
「……そう、でしたか……」
わたしはこの時になってようやく、異世界からこの世界へと落ちて来てしまったというカナ様の深い孤独に思い当たったのでした。
カナ様と殿下のご関係や、異世界についてのことばかりで、カナ様自身には目を向けることができなかった…昨夜が初対面で、まだ出会って数刻だと言えど、自分の視野の狭さや狭量さが恥ずかしい。全く異なる生活環境から突然1人見知らぬ土地に落とされて、ご家族やご友人も頼れない、一体どれだけ心細かったことだろうか……
「その頑張ろうという気があるなら、もう少し日頃の課題の正解率を上げてほしいものですね」
「うっ。……だってテオドラの文法ってエイゴと似ててさあ、あたしエイゴ苦手だしテオドラの文字も慣れないしでなかなか頭に入らないんだよね!頑張ってはいるんだけど!」
「そのエイゴとやらは6年間学んでいたのでしょう?頑張っているのは分かりますがどれだけ噛み砕いて教えても初歩のまま動かずでは、打てば響くとは言いませんがもう少し芳しい反応が返って来ないとこちらとしても自信とやる気を削がれる一方です」
「ある意味カナはすごいよね!自尊心の塊みたいなノエに、自信をなくさせるなんて!」
「アレクそれ褒めてない。貶してる」
据わった目をして殿下を小突くカナ様に、今度は自然と笑顔がこぼれます。
「殿下は昔からそういうところがありますよね。見るべきところが違うというか。今のは全くフォローにはなっていませんでしたよ」
「ですよね!やっぱりアレク、なんかズレてるんだよ!」
「えぇー?ほんとにすごいと思ったんだけどなあ」
「そんなことですごいって思われても嬉しくないの!」
「私も自尊心の塊だと称された事に異議を申し立てたいのですが」
「ノエ、それは殿下が正しいですよ」
予想外だったノエとの再会と、わたしにとっては未知数の存在だったカナ様も混じえての昼食は、こうして和やかに終わったのでした。
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「…………」
彼はひとつ小さなため息をついて、それまで食い入るように見つめていた水晶を手のひらで覆った。赤ん坊の頭部ほどの大きさのそれが映していた映像は彼の手の中で揺らめくように消え、ただの冷たい石に戻る。
先ほどまで自分が触れていたあの子の手は、長い旅で手入れを怠っていたのか乾燥でカサつき、指先も少し硬くなっていて、熱く熱を帯びていた、とリィントリジアは思い出しながら、水晶から手を離す。
本当は告白するつもりは今はまだ無かったのに、あの子の、あの瞬間自分だけに向けられた真っ赤に染まった可愛い顔を見れたから、後悔はしていない。しかしあの子を前にすると、自分でも驚くような事をしでかしてしまうのが、なんだか居た堪れない気もする。長いこと生きてきたのにもかかわらず、自分で自分を制御出来ないなんて、初めてのことばかりで、これが恋か、と振り回される自分を内心で笑いながらため息をつく。
想う娘の手やどさくさに紛れて触れた手首の薄い皮膚の感触を反芻して幸せな気分にふわふわと漂い続けていたいのに、水晶が映し出した今のあの子の楽しげな表情や、厄介な他の人物たちを思うと、リィントリジアの眉間は僅かに顰められた。
勢いのまま告白してしまったという負い目はあれど、嘘偽りのない愛の告白だ、今は自分の事だけを思い出して、混乱して、悩んで欲しかったのだ。あの子のことだから、きちんと答えを返してくれるだろうし、その間は死ぬほど悩んでくれるだろう…リィントリジアのことだけを思って!その気持ちが自分と同じ気持ちで無くとも、あの子の脳内に自分が登場すると考えるだけで気持ちが高揚する。
問題はアレクやノエといった彼女の周囲だ、……敵は多い。しかし彼は負けるつもりはないし、たとえ負けたとしても諦める気は微塵も無かった。リィントリジアにはもはや彼女を諦めるという選択肢は存在し得ない。
愛しい彼女を手に入れる。そのために彼は禁じ手とも言うべき策を講じたのだから。
ぺろり、と上唇を舐める。今や小さく寄っていた眉間の皺は消え、色付いた唇の端は緩く持ち上がっていた。