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田舎育ちの俺が王都に出てきたら、守りたい想いが強さになった  作者: 蒼月あおい
第三章

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第51話 帰郷

 拠点のリビングに腰を下ろしたフィアナは、やっと安らぎを取り戻していた。

 身体の傷は癒え、包帯も外れていた。

 だが、瞳の奥にはまだ微かな不安が残っている。

 ダンジョンでの恐怖——あの暗闇の中で突然現れた魔物の記憶——が、彼女の心を少しだけ硬くしていた。


「フィアナ、もう大丈夫そうだね」


 アルスは優しく声をかけた。


「はい……身体は……もう平気です。でも……」


 フィアナは言葉を詰まらせ、視線を床に落とした。

 恐怖心は消えず、まだ心の奥に小さな影を宿していた。


 セレナがふとつぶやいた。


「こういうとき、どこか穏やかで安心できる場所に行けたら、恐怖も少し和らぐのに」


 その一言が、静かなリビングの空気にそっと染み渡る。

 アルスは少し考えてから、微笑みを浮かべた。


「そうだな……それなら、俺の故郷のことを話そうか」


 アルスはゆっくりと話し始めた。


「王都から馬車で五日くらいの所に、小さな農村がある。俺の故郷ルーナ村っていうんだ。森と川に囲まれていて平和な農村だけど、そこなら落ち着けるかも」


 セレナとミリアは顔を輝かせた。


「わぁ……アルス様の生まれた所ですか!…行ってみたい」


「自然がいっぱいで、心が安らぎそうね」


 フィアナも少し躊躇しながら、でも小さな笑顔を浮かべて答えた。


「みんなが行くなら……私も」


 その瞬間、ミリアの頭の中で、何かが“弾けた”。


 (——ア、アルス様の実家!? つまり、つまり……ご両親にご挨拶のチャンスでは!?)

 (ふ、ふつつか者ですが、どうか息子さんをよろしくお願いします……とか言っちゃう感じ!?)

 (“まあまあ、アルスの彼女さんね”なんて言われて、“えっ、か、かかかか彼女なんてそんな!!!”って慌てる流れ!?)

 (夕飯一緒に囲むとか、家の犬に懐かれるとか……完全に家庭ルート突入じゃないですかぁぁっ!!)


 ミリアは頭の中で爆走する妄想劇場を必死に制御しようとするが、にやけそうになる頬が止まらない。


(だ、だめ……顔に出てる……! アルス様の前でにやにやしちゃ……!)


「……ミリア?」


 セレナが不思議そうに覗き込む。


「な、なんでもないですっ!ほんとになんでもないですっ!!」


 両手をぶんぶん振って否定しながら、ミリアは窓の外に逃げるように顔を向けた。

 アルスは首を傾げるだけで、穏やかに村の話を続けていた。


「春になると、村の外れ一面に小さな白い花が咲くんだ。派手じゃないけど、風に揺れるのを見てると、なんだか気持ちが落ち着くんだよな。川も綺麗で、子どもの頃はよく魚を追いかけて遊んでた」


 その声には、王都ではあまり見せない柔らかさが滲んでいた。

 フィアナは膝の上で指を重ねたまま、そっと顔を上げる。


「……そんな場所、あるんだ」


「あるよ。何もない村だけど、そのぶん静かだし、夜は星もすごく綺麗だ」


 アルスがそう言って少しだけ笑うと、フィアナの耳がぴくりと動いた。

 怯えの色を残していた瞳に、ほんのわずかに興味の光が戻る。


「星……見たいかも」


「ふふ、いいわね」


 セレナがやわらかな声で頷く。


「王都に来てから、ずっと戦ってばかりだったもの。少し離れて、空気を変えるのは悪くないわ」


 ミリアも勢いよく身を乗り出した。


「はいっ! 賛成です! 休養も大事ですし、フィアナちゃんのためにも絶対その方がいいです!」


 言いながらも、胸の内ではまだ別の意味で鐘が鳴り続けていた。


(休養……休養です……!

 でもその実態は、アルス様のご実家訪問……!

 ど、どうしましょう……わたし、ちゃんと清楚にしていた方がいいですよね!? いえ、いつも清楚ですけど!)


 ミリアはこほん、とわざとらしく咳払いし、どうにか顔を引き締めた。


「そ、それに、知らない土地を見るのも勉強になりますし!」


 アルスは三人の顔を順に見渡した。

 思いつきのつもりで口にした故郷の話だったが、こうして皆の反応を見るうちに、自分の中でも少しずつその考えが現実味を帯びてくる。

 けれど次の瞬間、彼はわずかに苦笑した。


「でも、いきなり全員で押しかけたら、父さんも母さんも驚くかもしれないな……」


「ご両親、いらっしゃるんですね」


 ミリアが目を瞬かせる。


「ああ。今も村で畑をやってるはずだ。手紙も最近は出せてなかったし、俺が急に帰っただけでも驚くだろうに……」


 そこまで言ってから、アルスは少し言葉を濁した。


「……それに、俺の仲間が三人とも女の子っていうのも、たぶん余計に驚かれる」


 その一言で、空気が妙に静かになった。


「……そうね」


 セレナが静かに応じる。

 その横で、ミリアの肩がぴくりと震えた。


(き、来ました……!

 “仲間が三人とも女の子”発言……!

 ご家族から見たらどう見ても、どう見ても何かしらの関係を疑われるやつです……!)


 フィアナはきょとんとして首を傾げる。


「それって、そんなに変かな?」


「……変、というより、田舎だと目立つのよ」


 セレナが淡々と言うと、アルスは困ったように頷いた。


「うん。たぶん村中に広まる」


「アルスが女の人を三人も連れて帰ってきたって?」


「そういう意味じゃないからな!?」


 思わず身を乗り出したアルスに、フィアナがくすっと笑う。

 その小さな笑みを見た瞬間、部屋の空気がほんの少しやわらいだ。

 アルスも気づかぬうちに、張っていた肩の力を抜く。


「……でも」


 フィアナが、おずおずと声を出した。


「もし……本当に行ってもいいなら、行ってみたい」


 皆の視線が集まる。

 フィアナは少し緊張したように耳を伏せたが、それでも言葉を続けた。


「まだ、ちょっと怖いのは残ってる。

 夜になると、あの時のこと思い出しそうになるし……また暗いところに入るの、少しだけ怖い」


 その声はかすかに震えていた。


「でも、ここでずっと怖いままなのは、やだ。

 だから……みんなと一緒なら、違う景色を見に行きたい」


 アルスは、しばらく何も言わなかった。

 その言葉が、軽い気休めではなく、フィアナなりの前向きな願いだと分かったからだ。

 やがて彼は、静かに頷いた。


「……分かった」


 その一言に、フィアナの耳がぴんと立つ。


「それなら、行こう。少しだけダンジョン攻略は休んで、みんなでルーナ村に行く」


「アルス様……!」


 ミリアの声がぱっと明るくなる。

 セレナも小さく息をつき、穏やかに微笑んだ。


「決まりね」


 アルスは腕を組み、現実的な段取りを考え始める。


「ただ、行くなら準備は必要だな。馬車の手配もいるし、しばらく王都を空けるならギルドにも伝えた方がいい。拠点の戸締まりや保存食の用意もしておかないと」


「食料でしたら、私も準備を手伝います!」


 ミリアがすぐに手を挙げる。


「お、お弁当とか、干し肉とか、焼き菓子とか……! 旅の途中で食べやすいもの、いっぱい作れます!」


「わたし、水袋とか荷物の整理やる!」


 フィアナも、さっきよりずっと明るい顔で言った。


「村まで五日って言ってたよね? だったら途中で休む場所も考えないと」


「ええ。道中の安全も確認しておきたいわね」


 セレナが自然に話を引き継ぐ。


「明日は準備に使って、出発はその次の日くらいが妥当かしら」


「そうだな。それなら慌てずに済む」


 アルスがそう答えると、ミリアは胸の前でそっと両手を握りしめた。


(しゅ、出発はその次の日……!

 つ、ついに現実になるんですね……アルス様の故郷訪問……!

 落ち着いて、ミリア、落ち着いて……これは旅です、ただの旅……でも実家……っ!)


 頬が緩みそうになるのを必死でこらえながら、彼女は真面目な顔を装って頷く。


「で、では今日は準備の計画を立てましょうか!」


「……ミリア、なんだか妙に元気ね」


 セレナがじっと見つめる。


「き、気のせいですっ!」


 即答するミリアに、フィアナがまた小さく笑った。

 その笑い声は、先ほどまでの重たさを少しずつ追い払っていく。

 ダンジョンの暗闇から持ち帰ってしまった恐怖も、今はもう部屋の隅で小さくなっているようだった。


 アルスはそんな仲間たちを見つめ、ふと胸の奥があたたかくなるのを感じた。

 故郷に帰ることは、自分一人の話ではなくなっていた。

 そこは、仲間を連れて行きたい場所になっていたのだ。


「よし、じゃあ決まりだ」


 アルスが改めて言う。


「少し休んで、準備を整えたら――みんなでルーナ村へ行こう」


 その言葉に、三人の表情がぱっと明るくなった。


「はい!」


「ええ」


「うんっ!」


 それぞれの声が重なる。

 リビングの窓から差し込む夕暮れの光は、少しずつ色を深めていた。

 新しい拠点に満ちるその温かな光の中で、次に向かう場所が決まったのだと、誰もが静かに実感していた。


 そう決まったあとで、フィアナは少しだけ耳を伏せた。


「……ごめんね。わたしのせいで」


「違うわ」


 すぐにセレナが言った。


「これは誰か一人のためじゃないもの。私たち全員が、少し休むための旅よ」


 アルスも頷く。


「そういうことだ。どうせ行くなら、無理なく行ける方がいい」


 その声音は穏やかで、気負いがなかった。

 フィアナはその言葉を聞いて、ようやく小さく笑う。


「……うん」


 王都から馬車で五日。

 森と川に囲まれた小さな農村、ルーナ村。

 それはフィアナの心を癒やすための旅であり、同時にアルス自身がもう一度、自分の原点へと向き合う旅の始まりでもあった。


 リビングの空気は、少しずつ旅支度の色を帯びていった。

 恐怖から逃れるためだけではない。

 皆で少し先の景色を見に行くための支度は、その夜のうちに静かに動き始めていた。


 そして二日後。

 ――村へ向かう朝が来た。


 アルスが借りてきた馬車に荷物を載せ、全員が乗り込む。

 最初に手綱を握るのはアルスだった。

 ミリアもフィアナも馬の扱いには不慣れだったため、手綱はアルスとセレナが交代で握ることに決めていた。


 馬車が動き出すと、車輪が街道の土をゆっくりと噛み、軽やかな蹄の音が旅の始まりを告げた。

 遠ざかる王都の塔を背に、四人は揺れる車内でそれぞれに窓の外を見つめる。

 森のあいだを縫う道には小川のせせらぎが寄り添い、風に揺れる草花が陽を受けて白く瞬いていた。

 街の喧騒とは違う、澄んだ静けさが、少しずつ彼らの肩の力をほどいていった。


 御者台で手綱を握るアルスは、肩越しに仲間たちを振り返りながら、ぽつりと話し始めた。


「小さな村だよ。畑と森と、鍛冶屋が一軒あるくらいの静かな場所だ。俺の家もそのはずれにある」


「へぇ……エルフの里と、どっちが静かなのか興味があるわ」


 セレナが頬杖をつきながら笑う。

 アルスはその笑顔に目を細め、少し間を置いてから続けた。


「……けど、あの村の空気は好きなんだ。風が澄んでて、夜になると星がよく見える」


 フィアナが目を閉じ、想像するように小さく息を漏らす。


「星が……見える村、ですか。きっと静かで、優しいところなんですね」


 アルスは、ふと思い出したように笑みを浮かべた。


「それに……ジルさんにも会えるかもしれないな」


「ジル……さん?」


 フィアナが首を傾げる。

 セレナとミリアはほぼ同時に反応した。


「もしかして、“不動の大剣士”ジル・カイロスのこと?」


「えっ、本物!? あの伝説級の冒険者がアルス様の村にいるの!?」


 アルスは苦笑して肩をすくめた。


「そんな大層な人じゃないさ。村じゃただの“頑固で酒好きの隠居”だよ。でも、俺に剣を教えてくれた恩人なんだ」


 ミリアの瞳がさらに輝く。


「弟子だったんですか!? どおりであの構えが……! “間合いを読む”って言ってましたもんね! もしかして、“剣豪の極意”も——」


「……いや、それはまだ教えてもらえてないな」


 アルスが少し照れたように笑うと、セレナが目を細めて頷いた。


「“機を見る”っていう戦い方、あなたらしいわね。焦らず、でも確実に動く。たぶん、その師匠の影響なんでしょうね」


「ジル・カイロス……」


 フィアナは小さくその名を繰り返す。


「どんな方なんですか?」


「見た目は怖いけど、実際は優しい人だよ。昔はすごい冒険者だったけど、今は村でのんびりしてる。俺が小さいころ、剣を振り回して木を折ったときも——」


 アルスは少し笑いながら、昔の記憶を語る。


「“剣は人を傷つけるためじゃなく、守るために振るえ”って、真剣な顔で叱られた。……あの人の言葉が、今でも時々頭に浮かぶんだ」


 その言葉に、セレナは柔らかく微笑んだ。


「優しい人ね」


「うん。きっと、今も俺たちが行ったら笑って迎えてくれるさ」


 ミリアが胸をときめかせながら拳を握る。


「な、なんだか緊張してきました……! 伝説の剣士に会えるなんて……アルス様の先生……!」


「落ち着いて、ミリア」


 セレナが苦笑しながら肩をすくめた。


「まあ、村人もみんな穏やかだし、うちの両親も喜ぶと思う」


 アルスのその言葉に、セレナが少し首を傾げて笑う。


「そういえば、アルスのご両親に会うのって初めてだね。……ちゃんと挨拶、考えておかないと」


 その軽口に、ミリアが反応する。


「私も挨拶しなきゃ……!」


 セレナも少しだけ視線を逸らした。

 彼女の頬にも、淡く紅が差すとフィアナがくすっと笑い、馬車の中に柔らかな笑い声が広がった。


 道はやがて森へと続く。

 陽光を受けて揺れる木漏れ日が、旅人たちの影を優しく照らしていた——。


 アルスはふと遠くを見つめ、静かに口を開く。


「そういえば……思い出すな。初めて街へ向かうときも、こんな感じだった。道端で荷馬車の修理をしていて、あの白い口髭の商人に声をかけられてな……」


 少し間を置き、笑みを含ませて続ける。


「後で知ったけど、あの時フードを深くかぶってた人が、セレナだったんだよな」


 セレナは少し驚いた顔でアルスを見る。


「えっ……あの時のこと、覚えていたの?」


 セレナは目を瞬かせた。

 荷馬車の隅でフードを深くかぶり、誰とも話さずに座っていたあの日の自分を思い出す。

 見知らぬ人々の声や笑いが耳に入るたび、怖さの奥でほんの少しだけ安心していたことも。

 セレナは小さく微笑み、肩の力を抜いた。


「……あの時は少し緊張したけど、楽しかったわ」


 その言葉のあとも、馬車は王都を遠く離れ、街道をゆっくりと進んでいった。

 一日目はまだ石畳の名残が残る道を走り、二日目には森の深い緑が窓の外を埋めた。

 途中の宿場町で夜を明かし、朝露に濡れた草原を抜け、川沿いの道を越えるころには、王都の喧騒もすっかり遠いものになっていた。

 旅のあいだ、フィアナは最初こそ揺れるたびに身を強ばらせていたが、窓の外に広がる景色を眺めるうちに、少しずつその表情をやわらげていった。

 夜ごと見上げる空には無数の星が瞬き、昼には風に揺れる草花が道端を彩る。

 急ぐ旅ではないことが、かえって四人の心を静かにほどいていった。


 そうして五日目の夕暮れ。

 馬車は森を抜け、夕陽に染まる広い農地の向こうに、ようやくルーナ村の姿を現した。

 のどかな小川が畑の脇を流れ、木柵の奥には素朴な家々が並んでいる。

 家畜の世話をする村人の声や、駆け回る子どもたちの笑い声が風に混じり、王都とはまるで違う時間がそこには流れていた。


 馬車を降りたフィアナは、やわらかな土の匂いを吸い込みながら、小さく息をついた。


「……ここが、アルスさんの村……」


 フィアナが小さく呟き、緑に囲まれた景色を見上げた。

 セレナはふっと微笑み、その肩に手を置く。


「静かで、いいところね。アルスが時々話していたのよ、ここの星空が綺麗だって」


 ミリアは草道の先に並ぶ素朴な木造の家々を、興味津々に見回した。


「うわぁ……空気まで柔らかいね。街とは全然違う。ここなら、夜に焚火しても怒られなさそう」


「焚火より、まずは挨拶だな」


 アルスが小さく笑いながら歩みを進めると、道の先に一軒の家が見えた。

 古びてはいるが、しっかり手入れされた木壁。

 窓からは温かな明かりが漏れている。


「……ただいま」


 扉の前に立ち、アルスが小さく呟くように言った。

 その声に反応するように、内側から軽やかな足音が響く。


「アルス!? 本当にアルスなの?」


 戸が勢いよく開き、そこに立っていたのは明るい栗色の髪をまとめた女性だった。

 優しい瞳が一瞬にして潤み、彼女は微笑みと涙を同時に浮かべて息子に駆け寄った。


「母さん……久しぶり」


「もう、いつ帰ってくるのかと思ってたのよ!」


 母エリナはアルスを抱きしめたまま、しばらく離れようとしなかった。

 その様子を見て、セレナたちは思わず頬を緩める。


 やがて、奥から低く響く声がした。


「おう、アルス。ちゃんと生きて帰ってきたか」


 現れたのは、筋骨たくましい男。

 日焼けした腕に農具の跡が刻まれ、だがその瞳には誇らしさが宿っていた。


「父さんも元気そうだな。無茶してないか?」


「誰に言ってる。お前より丈夫さ」


 父ローランは照れ隠しのように鼻を鳴らすと、後ろに立つ三人へと視線を向けた。


「……で、アルス」


 少し間を置いて、口角を上げる。


「お前の“良い人”は、どの娘だ?」


 アルスは一瞬固まり、『は?』と呆気に取られたように声を漏らした。


「ちょっ、ちょっとあなた!」


 エリナが慌ててローランの腕を叩く。


「初対面でそんなこと言わないの!」


「はは、冗談だよ。……いや、半分くらいは本気かもしれんがな」


 セレナの耳がぴくりと動き、顔がみるみるうちに赤く染まる。


「そ、そんなっ! わ、わたしはその……!」


 ミリアは口元を押さえて「ふふっ」と笑いを堪えるが、視線は落ち着かない。


「い、いい人って……そ、それはちょっと早いんじゃないかなぁ……?」


 そしてフィアナは、ぽかんとした顔で二人を見つめていた。


「“良い人”って……お手伝いをしてくれる方、という意味ですか?」


 無邪気な問いかけに、ローランとエリナは思わず吹き出した。


「ふふっ、なんて可愛い子なの!」


「アルス、お前、本当に面白い仲間を連れてきたな」


 その空気に、ようやくアルスも照れくさそうに笑みを浮かべる。


「……まあ、いろいろあって。みんな、大切な仲間なんだ」


 暖かな笑いが家中に広がっていく。

 扉の外では、オレンジ色の夕陽が山影に沈み、鳥たちの帰り鳴きが響いていた。


 暖炉の火がぱちぱちと音を立て、古い木の梁が夕風に軋む。

 アルスの実家の食卓は、久しぶりの団らんに賑やかさを取り戻していた。


「さぁさ、旅の疲れを癒してちょうだい。大したものじゃないけどね」


 母エリナが笑顔で皿を並べていく。

 野菜の煮込み、香草を添えた焼き鳥、蜂蜜入りのパン、そして温かいスープ。

 どれも素朴で、どこか懐かしい香りがした。


「うわぁ……これ、畑の人参ですか? すごく甘いです!」


 ミリアが嬉しそうに頬を押さえ、口の中の味を噛みしめる。


「市場で売ってるのよりずっと香りがいい……」


「この村の土がいいのよ。ほら、セレナちゃんも遠慮しないで」


「はい……ありがとうございます」


 セレナは微笑みながら、スプーンをそっと手に取った。

 その優しい味に、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 どれほどの戦いや別れを経ても、“家”の温もりには敵わないのだと、改めて感じさせられる。


 一方のフィアナは、パンをちぎりながら、そわそわと周囲を見回していた。


「……あの、このスープ……すごく優しい味です。なんだか……懐かしい気がします」


 エリナは穏やかに微笑み、フィアナの髪をそっと撫でた。


「ふふ、あなたのような子がそう言ってくれるなら、嬉しいわ。おかわりもあるからね」


「母さん、フィアナはまだ十五歳なんだ」


「そうなの? まぁまぁ、じゃあたくさん食べて行きなさい。細い腕が折れちゃうわ」


 フィアナは顔を赤くしながら、こくんと頷いた。

 その様子にローランが豪快に笑う。


「ははっ、まるで新しい子供ができたみたいだな」


 エリナも微笑み、手を差し伸べる。


「そうよ、ずっと娘が欲しかったのよ。あなたみたいな素直で可愛い子が」


 フィアナは少し俯き、声を震わせて答えた。


「お父さんも……お母さんも……私、小さい頃に……」


 言葉が途切れ、涙がぽろりと頬を伝う。

 その瞬間、エリナはそっとフィアナを抱きしめた。


「大丈夫よ、もう安心して。ここをあなたの家だと思って良いのよ、いつでもいらっしゃい」


 ローランも横で穏やかに頷き、家族の温もりがフィアナを包み込んだ。

 アルスは少し照れくさそうに笑いながら、その光景を見守る。

 セレナとミリアもまた穏やかな微笑みを浮かべ、フィアナの表情からこわばりがほどけていくのを静かに見届けていた。


 フィアナは小さく息を吐き、顔を上げる。


「……ありがとうございます……じゃあ……アルスさんは、私のお兄ちゃん……みたいな感じですか?」


 ローランはにやりと笑い、豪快に頷く。


「うむ、それなら間違いなくお前の“お兄ちゃん”だな!」


 エリナも微笑み、フィアナの肩に手を置く。


「そうね、ずっと娘が欲しかった私にとっても嬉しいわ。お兄ちゃん役、よろしくね」


 アルスは慌てて手をかざし、顔を赤らめる。


「ち、ちがう!俺は別にお兄ちゃんっていうより……えっと、仲間……いや、なんでもいいけど!」


 セレナはくすりと笑い、ちょっと納得したように首を傾げる。


「……なるほど。これで妹扱いなら、少しは安心かしら」


 ミリアは目を輝かせ、手を胸に当てて内心大興奮。


(な、なにこれ……アルス様がお兄ちゃん……!? フィアナちゃんが兄に甘えて……! あんなことやこんなこと……いやいやいや、頭が勝手に妄想モードに突入してる……! 絶対可愛いに決まってる……!)

(ほら、「お兄ちゃん、起きて」って朝起こしに行ってアルス様の上に乗って……! いやいやいや、これは……ブラコン妹爆発ルート!?)


 アルスの照れた姿を思い浮かべるだけで、ミリアの心臓はドキドキが止まらない。


(ああ、見てみたい……いや、見ちゃダメ……でも見たい……!)


 フィアナは皆の反応にくすっと笑い、少し俯きながらも安心した表情を浮かべた。


「……あの……よろしくお願いします……お兄ちゃん……」


 言葉を小さく絞り出すように言い、頬をほんのり赤く染める。

 アルスはますます照れて、どう突っ込むべきか迷いながらも、温かい空気に思わず微笑むしかなかった。


 「お兄ちゃん」と呼んだあとのフィアナの声は、少しだけやわらいでいた。

 戦いの恐怖で張りつめていた心が、ようやくほどけ始めているのを、アルスは言葉にせずとも感じていた。


 暖炉の火がぱちぱちと音を立て、食卓には再び穏やかな笑い声が広がる。

 エリナが料理を取り分け、ローランが冗談を交わす間、アルスたちはその光景を静かに楽しんでいた。


 食卓の笑い声が落ち着いたころ、エリナがふと思い出したように口を開いた。


「そういえばね、ジルさんがこの前寄ってくれたのよ。『アルスがいなくて寂しい思いをしてないか見に来た』って」


 その名が出た瞬間、セレナとミリアがわずかに顔を見合わせた。

 フィアナはスプーンを止め、小さく息をのむ。


「……やっぱり、村でも慕われているんですね。お兄ちゃんの師匠さん」


「ええ、あの人は昔から変わらないのよ」


 エリナは懐かしそうに笑みを浮かべた。


「ぶっきらぼうだけど、本当はとても優しい人。あなたたちにもすぐ気に入られると思うわ」


 アルスは苦笑しながら頷く。


「“優しい”って言うより、口より先に拳が出る人だけどな」


「ふふっ、そういう人、嫌いじゃないです」


 ミリアがくすくす笑いながら呟くと、ローランがグラスを揺らして頷いた。


「明日は久しぶりに顔を出してみるといい。お前たちの顔を見たら、きっと喜ぶさ」


 ミリアも続ける。


「私もギルドの資料で読んだことがあります。『間合いを見切り、一撃で決める剣豪』って。ミスラ級まで上り詰めた方なんて、今ではこの世界に五人しかいないんですよ」


 アルスが静かに言った。

 どこか懐かしげに、暖炉の炎を見つめながら。


「俺がまだ子どものころ、たまたま薪を運んでたジルさんに剣の握り方を教えてもらって……それが、俺の“始まり”だったんだ」


「アルスが村を出る前日、ジルさんが言ってたのよ」


 エリナが柔らかく微笑んだ。


「“あいつはもう、自分の足で歩ける。だから見送るだけだ”って」


 その言葉に、アルスは思わず目を伏せた。

 心の奥底に、師の背中が蘇る。

 あの落ち着いた声、静かな威圧感、剣を抜かずとも敵を退ける存在感。

 まさに、“不動”の名にふさわしい人だった。


「……ねえ、お兄ちゃん」


 フィアナが恐る恐る尋ねる。


「もし、明日お会いできたら……ご挨拶してもいい?」


 アルスは優しく微笑む。


「もちろんだ。きっと喜ぶさ。フィアナみたいな素直な子ならな……」


 アルスはフィアナの頭を撫でながら、ふと気になってたずねた。


「ところで……フィアナ、これからも俺のこと、お兄ちゃんって呼ぶのか?」


 フィアナは一瞬だけ視線を泳がせ、頬を赤らめながらも、そっと両手を膝の上で重ねた。


「……えっと……はい。だって、“お兄ちゃん”って呼ぶと……なんだか安心するから」


 その言葉に、アルスは苦笑しながらもどこか嬉しそうに頷いた。


「そっか……じゃあ、好きに呼んでいいよ」


 セレナは穏やかに微笑み、ミリアは内心で(尊い……!)と叫びを抑えきれず、ローランとエリナは目を細めながら、まるで本当の家族のようにその光景を見守っていた。

 その答えに、フィアナは少し頬を染めて微笑んだ。


 ローランがワインを飲み干し、満足げに笑う。


「よし、明日は久しぶりにジルのじいさんのところへ俺も行くとしよう。あの人もきっと、お前の仲間たちに興味津々だろうよ」


「はい……!」


 フィアナの声はどこか弾んでいた。

 それは戦いや血の匂いに染まっていた日々では見せなかった、柔らかな表情だった。


 窓の外では、夜の帳が村を包み、空には幾千もの星が瞬いている。

 暖炉の光に照らされた仲間たちの顔は穏やかで、まるでひとつの家族のように寄り添っていた。


 ルーナ村の夜は、静かに、そして家族のような温もりに包まれながら更けていった。

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