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9話


 皇国政治経済の中心地である皇都。そこから離れれば離れるほど経済規模は縮小し、人手も金も回らなくなっていく事は、わざわざ論客が力説せずとも感覚的に理解できるだろう。それは世界の異なる日本でも通用する理屈だ。

 

 しかし、逆のアプローチをするならば、東京から遠く離れた地方においても拠点となる大都市が存在するように、この世界にも地方に拠点となる都市は存在する。

 交易都市ガヤはまさにその地方の大都市だった。


 国土西部商取引の宿場町として生まれたこの街は、今や地方と中央、他国と自国を繋ぐ一大流通拠点として繁栄を極め、多様な文化と独自の価値観が入り交じる都市国家的な様相を呈している。

 もとより独立独歩の気質を持つ商人の町だ。つい1週間まで武力侵攻を受けていたというのに、活気にあふれる中央通りを歩くだけで、この世界の人々の逞しさを思い知る。


 青物屋で買ったリンゴを齧りながら、外縁部の宿営地に向かって歩く。

 10万からなる都市中央部に仮住まいとして提供された庁舎は、品も便も悪くないが、傭兵暮らしが長いエージにとっては肩肘張った窮屈な場所だ。

 襟に染み付いたオイルの匂いにうんざりしながら、それが香に変わったら変わったで酷く落ち着かない気分になる。要するに軽いホームシックである。


 何度か行き来するうちに覚えた近道は、表通りとはまた違う澱んだ熱気というものがあった。

 芯だけになったリンゴを無造作に放ると、台所に沸くゴキブリのように、わらわらと沸いてきた孤児たちが我先にリンゴの芯を奪い合う。

 どんな裕福な街に行こうとも、表から一本中に入った場所に息づくのは過酷な生存競争だ。

 

 布の袋に入った真っ赤なリンゴを物欲しげに眺める年端も行かない少年少女。瘦せこけた少女がリンゴをくれと手を伸ばしてくる。エージは少女の澱んだ瞳を見ながら、ゆっくりと首を横に振った。


 彼らは人の同情を引く術を知っているし、同情にかこつけて奪う術も知っている。

 みすぼらしく哀れな野良犬たちは、ひとたび弱みでも見せようものなら、直ぐに凶暴な野犬へと早変わりする。都市の路地裏は弱肉強食のサバンナだ。

 エージが純粋な善意からリンゴを恵めば、結果、酷い目に遭うのはこの少女自身であるはずだった。


「近道なんてするもんじゃねえな……」

 

 大通りに戻ってくると、再び都市の表の華やかさが顔を出す。この世界でここまでの人口密度にはなかなかお目にかかれるものではない。


 石畳の上を所狭しとすれ違うのは老いも若いも多くの町民。大声を張り上げる肉屋の主に、威勢の良い掛け声で客を捕まえる八百屋の女将。

 昼間からエールを煽ってご機嫌な職人たちの間を、妖精のように笑顔を振りまき走り回るのは、必要以上に胸元の大きく空いた飯屋の看板娘達だ。


 通りの両側に延々と連なる建物群はレンガや石造りで背が低く、『中世ヨーロッパの街並み』と聞いて安易にイメージするそのままの姿だ。

 たまに目を引かれる高い建物もせいぜいが5階建止まり。といってもそのへんは皇都も規模はさして変わらなかった。


 むしろ、窓からゴミを放る習慣の無いこの街のほうが、よほど先進的で文化的だとエージは思う。

 皇都では、すました顔の淑女が扇で口元を隠し、気品に満ちた笑みを浮かべながら窓からお淑やかに汚物を放る。その感覚だけは、この世界で21年生きてきたエージも未だに理解出来ないでいる。

 いや、正直なところ今でも理解できないことばかりだったりする。例えば、そう―――


「おーい、馬車が通るぞー」


 カラカラと乾いた音を立てて走り去っていく乗り物。『馬車』がそうだ。

 魔導アーマーという謎の超兵器が戦場を飛び回っているというのに、ひとたび一歩日常に戻れば馬車である。サスペンションがあるかすら怪しい木の荷車を、普通の馬が引いているのだ。


 レスポンスの早すぎるインターフェイスと、数トンの巨体を縦横無尽に動かすことのできる駆動部や衝撃吸収部材。概念的に感覚神経を共有する各種デバイスに、わんぱく小学生の秘奥、何とかバリア並みのご都合防御力を誇る魔導障壁。

 

 エージがいた頃の地球文明ですら実現不可能だった、夢の技術を満載した強化外骨格が時速200kmに迫るスピードで疾走するというのに、街や街道を征くのは飼葉で動くまさかの超エコカー(時速15km)である。


 技術レベルがちぐはぐ過ぎる。

 鎧兜のオッサン方が剣と盾で突撃陣を組んでいるすぐ隣で、ブラスターやらバスターやら魔導ミサイルをぶっ放すロボがいるのだ。

 石斧担いだ原人とアサルトライフルで武装した近代軍隊が同じ戦場で戦っているようなものだ。


 なのに、この世界の住民は誰一人としてその事に違和感を感じていない。

 今まで何度もその事実を指摘したが、みな不思議そうな顔で首を傾げるばかりだった。ベルトランにいたっては『神の御業』の一点張りである。


 それほどまでに魔導アーマー(ヴァイヲン)はこの世界に昔から存在し定着していた。

 暴虐をまき散らす力の象徴として。

 戦場を駆ける殺戮の悪魔として。


 常識に背を向けて持て囃されるのはせいぜいが中学生までの話で、いい大人が同じことをしたらそれはもう立派な社会不適合者だ。

 だからエージは本音はともかく表向きには深く考えない事にしていた。


 転生先の世界は中世ヨーロッパ風、剣と魔法のファンタジー世界。

 しかしファンタジーのくせに、地球科学でも実現不可能な超兵器が存在する。

 そういうものだ。そういうものとして受け入れる。


「そういえばあのガキも初めてヴァイヲン見た時はチビりそうになってたな」


 その時の少女のアホ面を思い出して、エージは苦笑しながら宿営地へと向かった。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「今日はポトフの作り方を覚えたわ。みんな美味しいって言ってくれたんだから。アンタも食べなさいよね」


 小腹が空いたので食堂代わりの広間に顔を出すなり、少女が跳ねるように駆け寄ってきて言った。

 後続部隊が後詰めとして街に入ってから3日経つが、その間彼女は水回りでの手伝いをこなしている。

 

「なかなかうまそうじゃねえか」

「『うまそう』じゃなくて『うまい』のよ! ちょっと座ってて。取ってきてあげるわ」


 戦場でとっ捕まった翌日、実に清々しいほど無計画に脱走を試みた彼女は、逃げ出してから半日もしないうちに魔物に追いかけまわされ、人買いに剥かれかけるという、ある種の鉄板イベントを誠実にこなした。

 

 別にこの世界では珍しい事でも何でもないので、つまらない過程を省いて結論だけ言えば、エージが助けた。

 まるで白馬の王子様のようなタイミングで現場に現れ、物理で人買いを説得した。

 とはいえ、そもそも人買いはとっ捕まえた商品をただ味見しようとしただけなので大して悪くない。だからエージもその辺は気を使い、怪我をするような熱心な説得は行わなかった。


 以来、表面上ではあるが、少女はエージに気を許すようになった。 

 実を言うと、『さっさと探してこい』とオルガに蹴り出されて渋々の事だったのだが、それを言うメリットも無さそうなので、わざわざ言ってはいない。


 エージは、少女から椀を受け取りスプーンでスープを一口啜る。

 そのままでは塩辛過ぎて食べれない燻製肉の塩味と最低限の香辛料、それに野菜の甘みが程よく合わさって、ホッと安心する優しい味になっている。嫌いな味付けではない。


「へえ、なかなかの味だ」

「でしょ? 野菜をじっくりコトコト煮込むのがポイントなのよ」


 少女がにひひと笑う。

 年相応の心からの無邪気な笑顔ではない。取り繕っているような、少し無理をしているような、そんな笑顔。


「なによ、わたしの顔になんかついてる?」

「いや、何でもねえよ」


 彼女は自身の価値を理解している。

 現状を正しく理解し、オルガやエージの気まぐれでここに置いてもらっているだけのちっぽけな存在である事を認識し、どうしたら捨てられないだろうかと考えている。

 平和な国で愛情たっぷりに育てられた子供が、誰かの庇護を離れて一人で生きていけるほどこの世界は甘くない。脱走したところで、1晩もしないうちに死にかけ、尊厳を奪われる事は既に体験済みだ。


 運良くそれほど危険ではない集団に保護された。とりあえずの安全を確保するために、少しでも団員との距離を縮め、あわよくば自分の居場所を確保しよう。

 一つ一つのしぐさからそんな必死さが滲み出ていた。

 そして駆け引きも知らない未熟なガキの打算を見抜けないほど、ここにいる大人たちは鈍感では無い。

 幸いなのは、一生懸命足掻く少女に同情的な連中が多い事だろうか。



「おお、今日の仕出しは小鹿(バンビ)ちゃんが作ったのか?」

「いい匂いだ。ちゃんとメシの香りがするぜぇ?」

「おいおい見ろよ、年下好きのご主人サマがご帰宅あそばれていらっしゃる。邪魔しに来たぜ。最高の気分だ」

「ははッ 違ぇねえッ!!」



 ガヤガヤと騒がしく広間に入ってきたのは、【黒の大剣】の整備班の連中だ。

 汚れ放題の作業着に身を包んだ厳つい男たちが、何が面白いのか必要以上の大声で豪快に笑う。

 作業着に染み込んだ汗と油と体臭の程よくブレンドされた匂いがツンと鼻を刺激した。

 

 雨風吹き曝しの長距離移動をこなし、やっと街に到着した彼らは、すぐさま戦闘を終えた機体整備に駆り出され、ゆっくりと体を拭くヒマもなく急ピッチで作業を進めている。多少の匂いには目を瞑るべきだ。

 戦場で運命を共にするヴァイヲンの整備士のご機嫌を損ねたくないし、何より今回、一番機体を損壊させてくれたのは、他でもないエージなのだ。


 整備士たちの野太い声にビクリと震える少女。

 彼らは豪快に笑いながら自分でポトフを椀によそい、空いたテーブルにドカリと座る。そして食前の祈りをたった一つの単語で済ませて、椀の中身を啜り始めた。


「おっ なかなかうめえじゃねえか」 

「心温まる味付けだ。ウチの料理音痴共に食わせてやりたいよ」

「エメラダが作るスープの100倍はうまい。あいつは堂々と『料理が得意』と言ってのけるくせに、肥溜めと残飯を煮込んだものをシチューだと思ってやがる」


 髭だらけのむさ苦しい野郎共が、少女の作ったポトフを口々に称賛し平らげていく。

 当の少女は、いつの間にかエージの背後に隠れ服の裾をギュッと掴んでいた。呼び名通り、まるで小鹿(バンビ)のように震えている。

 明るく振舞っているが、少女はエージたちを敵だと認識している。未だ自身の名を言おうとしないのがその証拠だ。

 

 世話役だという事と、危ないところを助けた事でエージには多少こころを許しているものの、大した面識も無い厳つい大男の集団が怖かったのだろう。

 自分が初めてここに連れてこられた時の事を思い出すと馬鹿には出来なかった。子供にとって、見上げるような大人たちは、ただそれだけで脅威である。



「おい、おめえらがガサツなせいで小鹿ちゃんが怯えてるじゃねえか」

「いやきっと俺たちが男前過ぎて興奮してんのさ。もしここにご主人サマがいなかったら、小鹿ちゃんはとっくに俺の耳元で愛を囁いてる。まいっちまうぜ」

「はははっ 『立ちんぼ』の客引きと混同してやがる。これだから童貞は」



 チラリと少女を振り返ると、少女は忙しなく視線を彷徨わせ、小さな口をギュッと引き結んでいた。

 エージは気付かれないよう溜息をつく。

 フォローしてやってもいいが、きっとそれは良くない事だと思う。

 ペットの里親探しと一緒だ。いつまでここに置いておけるかわからないし、情は移さないほうがいい。

 

 しかし、エージがそんな事を考えていると、なんと、少女がエージの背中から恐る恐る顔を出し、無理やりといった感じでニカッと笑った。


「お、お、おおいしいでしょ!? 嬉しいわ! が、が頑張ってつくったんだから!」 


 どもりながら、震えながら、歯を打ち鳴らしながら、目に涙を浮かべながら。

 少女は闘っていた。大男たちを前に、必死の笑顔で。


 今、こうする事が彼女にとっての戦いだ。

 口も手も出さない方がいい。頼りにされるのは嫌いではないが、いざという時に近くにいるとは限らないし、そもそも勝負の運次第、オルガの気まぐれ次第で、いとも簡単に少女は奴隷落ちだ

 この世界で生きていくためには強くならなければならない。その邪魔をすべきではない。


 整備班の連中が一瞬シンっとなる。そして数秒間顔を見合わせてから、豪快に笑い始めた。また一人、少女を受け入れる者が増えたのだ。

 

「おおおおおかわりはどう!? よそったげるわッ!」


 男たちに「頼むぞ」と視線をやると、整備班の一人がそれに気づきバチンと最高に気持ち悪いウインクを返す

 エージはこみ上げる吐き気に悪態をつきながら、少女がせわしなく飛び回る広間を振り返ることなく後にした。

 


 

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