第四十五話 再チャレンジ
校長室を後にして、教室に戻った後、俺は急いで体操服に着替えた。
というのも、戻った時には男子が着替えを始めていたからだ。
この時、体操服がなくなっていたり、机に落書きされているのではないかと心配していたが、杞憂に終わった。
それから何事もなく着替え、体育館に向かい、一斉に準備体操をして授業が始まった。
二限を跨いだ体育の授業。
クラス別で行われて、学期ごとにさまざまな種目のスポーツをしていくことになっている。
しかし、決まった時期に決まったスポーツの授業を行う訳ではなく、一貫性は全くない。
去年のA組の場合、一学期はサッカーを行っていたのに対し、一昨年はバレーボールを行っている。
どうしてそうなっているのか分からないが、恐らく大人の事情が絡んでいるのだろう。
そして、今年の一学期はバスケットボールを行っている。
授業開始早々、俺はある問題に直面していた。
それはパス練習をする相手がいないということだ。
奇数人数ならまだしも偶数人数でそうなっている。
理由は簡単で、二人ペアになっている中で不自然にも三人ペアができているからである。
どうやらここでも嫌がらせは続いているらしい。
周囲からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
俺は呆れて溜め息をつくと、体育館の脇で腰に手を当てている男性教員に目を向けた。
ジャージ姿で強面の中年男性で、首にはホイッスルをぶら下げていて如何にも体育教師といった容姿だ。
偉そうに立っているが、不自然なペアに組み合わせに気付いていないのかと思いながら、俺はその教師に近付いた。
「あの、少しいいですか?」
「どうした?」
その状況なら、ペアがいないことに関してどうするべきか判断を問うかもしれない。
が、俺はそうしなかった。
「実は先程、うちの担任から伝言を預かっておりまして、この後至急職員室に来てほしいとのことです」
「何?」
体育教師は顔を顰める。
「どうして先に言わなかった?」
「すみません、伝えるタイミングを逃してしまいました」
軽く会釈をする。
「ったく」
体育教師は不機嫌そうなに頭を掻きながら体育館を出ていった。
それが嘘だと知らずに。
姿が見えなくなったところを確認すると、俺はある一つのペアの方に向かった。
他と比べてパスのキレが違い、ボールが真っ直ぐ飛んで行き交っている。
「邪魔者はいなくなった。戻ってくる前にとっとと始めるぞ」
俺はそのペアの一人、高宮タクミに声を掛けた。
向かってきたボールを両手でしっかり受け止めると、こちらに顔を向けた。
「まさかそのために追い出したのかい?」
「この後野暮用があってな。できるだけ早く済ませたいんだ」
「成程、いいだろう。すぐにでも始めるとしよう」
それからすぐに準備が行われた。
といっても、試合ができる程のスペースが確保できるように、他の人たちを移動させただけである。
体育館のコート半分を使用して、その周囲を囲うように人が集まっている状態だ。
騒いで盛り上がる者もいれば、状況に困惑する者や全く興味なさそうな態度をとる者もいた。
今、コートの真ん中にいるのは俺とタクミの二人。
勝負の内容は、制限時間七分の1on1で相手より得点が多い方が勝ちというシンプルなものである。
正規の大会では複雑なルールがあるらしいが、生憎俺自身がバスケのルールをそこまで熟知している訳ではないので、細かい制限はないものにしてもらった。
それでも基本的なルールは熟知しているが。
タクミは手に持っているボールを俺の方に投げ渡した。
「君が先攻でいいよ。これは僕からのハンデさ」
余裕な表情でそう答える。
「素直に受け取っておくよ。だけどプレイ中は本気で来いよな」
「もちろんさ。君こそ怪我しないように気を付けることだね」
お互い安い挑発をし合うと、途端に黙り込み睨み合った。
それを察したようで、周囲も沈黙になる。
お互い一切動きを見せず、ただ相手がどう動くのかじっくり観察している状態が続く。
だが、先手を取ったのが俺である以上、最初に動くのは決まってしまう。
重心を僅かに右の方に傾けた。
「っ!」
直後、タクミは足を前に出し動き始めた。
今!
俺はすかさず重心を左に傾けると同時に、勢いよく駆け出した。
が、突如動きを変えたタクミが視界に入ったことにより制止してしまう。
それはほんの一瞬の出来事だった。
ボールは瞬きする間に奪い取られていたのだ。
「速っ」
思わずそう口にしてしまう。
そして、先程まで静まり返っていた観戦者たちは、一斉に歓声を上げ始める。
どこからともなく「すげぇ!」だの「かっこいい!」だの、声が聞こえる。
タクミ自身の人気もあるかもしれないが、その常人離れした動きに感動している人の方が殆どだろう。
現に俺も少々度肝う抜かれた。
「どうだい?まだ続けるかい?」
タクミは勝ち誇ったような態度で聞いてきた。
そんな彼に、俺は鼻で笑うと、
「まだ始まったばかりだろ?まさかたった一点取っただけで勝った気でいるのか?」
と、逆に挑発してやった。
俺がボールを取られたことにより、攻守が変更された。
タクミはボールを床に何度も叩きつけて跳ねさせている。
今にも動き出しそうな様子だが、まだどう動くか読めない。
左に行くか、右に行くか。
相手が動かないにしろ、こちらも迂闊に動くことはできない。
とにかく、俺はタクミの動きをじっくり観察していくしかない。
タクミの目を見ると、視線は一定方向を向いていなかったが、僅かに右の方を直視する回数が多いのが確認できた。
狙いは右と推測した。
そして、タクミが左に重心を傾けた瞬間、俺も素早く動いた。
傾けた重心を右に直したと同時に、勢いよくボールに手を伸ばす。
が、タクミはそれを目にも留まらぬ速さで回避し突破されてしまった。
振り向いた時には、ボールがゴールリングを潜っていた。
再度歓声が響き渡る。
タクミは振り返るや否や、鼻で笑うような態度をとってきた。
それが紳士的なキャラが崩れ始める兆候に見えた。
俺はそんな彼の態度に動じず、ただ只管『適応』することだけを考えた。
それから殆どタクミの無双状態が続き、俺はボールに触れることなくただ点数を取られ続けた。
気が付けば、試合時間は半分を過ぎており、点数は二十点程差を付けられていた。
「流石にヤバいな、これ」
バスケ自体、授業やレクレーション以外でやってこなかったため、慣れない動きばかりで結構きつい。
後のことを考えて、体力はできるだけ温存しておきたかったが、全くそんな余裕がない。
流石、全国大会で出場しただけのことはあるか。
「そろそろいい頃合いかな」
俺は再度タクミに向き直る。
相変わらず涼しい顔をしており、息一つ上がっていない。
それだけで余裕が有り余っているのを感じる。
タクミはボールを叩きつけて跳ねさせながら、ニヤリと笑みを浮かべた。
「そろそろ終わりにしよう」
そう呟くと、勢いよく動き始めた。
「そうだな、終わりにしよう」
俺は素早く立ち回ると、ボールをすかさず弾き飛ばした。
「・・・・・・」
周囲からは沈黙が走り、ダムダムとボールが弾む音だけが響く。
タクミがシュートする度に声を上げていた人たちですら、呆気に取られていた。
俺に対する歓声はなしか。
少し残念な気分だったが、それ以上気にすることはなかった。
俺はタクミに対して、笑みを浮かべながら答えた。
「次はこっちの番」
その宣言道理、今度は俺の無双状態が続いた。
彼自身、バスケットボールの経験や実力でいえば、俺なんかよりも群を抜いている。
普通に戦えば、勝てる訳がない。
しかし、もし戦う中で、短期間で適応できる学習能力を兼ね備えていたならどうだろうか。
相手の動きを観察していくことで、動きの癖を把握し、そこから予測していく。
まるで人工知能のような機械的な学習方法だが、俺はそれを可能にできる・・・・・・らしい。
そして、それを実行するための運動神経も俺は兼ね備えている・・・・・・そうだ。
まあ、天性の才能といったところだ。
相手の動きを先読みし、それに対応した動きをとっていく。
守備を上手く回避していき、シュートを決める。
これにより着実に点数を稼いでいく。
そして、点数が同点になったところで、残り時間も僅かとなった。
お互い体力を消耗しきって、肩で息をしている。
額から汗が滲み出て、頬を伝っていく。
余裕はなく、顔は強張っている。
本当にこれが最後になりそうだ。
俺はボールを弾ませて、動き出すタイミングを見計らった。
正直、複雑なことを考えていられる程、頭は回転していない。
多分、半ば勢いで突っ込んでいく戦法を取ってしまうかもしれない。
だが、それならそれでいいような気がした。
覚悟を決め、目の前にいる相手と全力でぶつかっていこう。
そう意気込むと、
「しゃあぁっ!」
掛け声と共に勢いよく駆け出した。
タクミも遅れて動き出し、俺の前に立ちふさがる。
上手くフェイトしていき、手元のボールを死守していく。
しかし、最後というのもあってか、タクミは粘ろうとする。
攻防一体の状況。
迫る時間。
最後の最後まで、気を抜くことなどできない。
「くっ!」
一瞬ボールが手から離れそうになるが、なんとか持ち直す。
だが、この緊迫した状況がいつまでも続く訳がなかった。
相手に隙が出来たのだ。
俺は終わらせるべく、身体を前屈みになり、タクミの脇を猛ダッシュで駆け抜けた。
ドリブルをし、ゴールまで走る。
俺は寸前のところでジャンプをし、手で添えているボールを勢いよく振り下ろした。
ガンッ
鈍い金属音が鳴ると、ボールはゴールリングを潜り、俺の目前を垂直に落ちていった。
足が付いた時には、ボールは何度か床を跳ねていた。
直後、試合終了のブザー音が鳴り響いた。
「・・・・・・」
しばらく沈黙が続いた。
聞こえてくるのは、息継ぎの音だけ。
滴る汗を拭いながら、俺は周囲を見回した。
四方八方から呆気にとられたような眼差しを向けられている。
無理もない。
あれだけタクミを応援していて、負けたのだから驚くのも当然のことだ。
それでも勝負には勝ったのは俺。
それは紛れもない事実。
なにも可笑しなことなどないのだ。
それを実感すると、俺は体育館の入口へと足を運んだ。
「どうして最初から本気を出さなかった?」
背後から声がしたので振り返る。
タクミは手足を広げて、うつ伏せになっていた。
「どうして手を抜いたりした?」
その返答に、呼吸を落ち着かせてから答える。
「別に俺は最初から最後まで本気だったぞ。あれが俺の戦い方だ」
本当のことを伝えると、今度は別の質問をしてきた。
「なぜ、最初の勝負の時来なかった?あれだけの実力があって、逃げ出したなんて信じられない」
その問いには、一瞬言葉を詰まらせてしまった。
だが、ここはちゃんと返答することにした。
「俺にはやらなきゃいけない使命みたいなのがある。あの時はそれを優先しちまっただけだ」
真実を隠しつつ、本当のことを話した。
決してウソはついていないつもりだ。
「だから、お前との勝負をすっぽかすことになっちまった。そのことについては、ホントに申し訳ないと思っている。だから、今日はそのけじめを付けたかった」
「・・・・・・」
それ以上、タクミは話し掛けなくなった。
俺は再び足を動かし、扉の前に立ち引き戸を開けた。
振り返り、俺の方に視線を向けるクラスメイトたちを一瞥すると、そのまま体育館を後にした。
この時、ユイがいないことに気が付いた。




