70 久しぶりにジャズについて語る2 (アドリブの聴き方について)
ジャズの話をしますけれど、僕はケニー・バレルのギターの、一聴すると冷たいようでその実、芯の部分が熱い音色が大好きです。
鉄のように冷たいというのがまずケニー・バレルのギターを聴いた瞬間の印象です。しかしその直後、暖かい情緒やクセになる味わいが直後にジワリとやってくるのです。
これは、コーヒーなどのコクとも似ている気がします。コクというのは、甘味や旨味といった味わいが、舌にしばらく残りながら徐々に変化してゆく、ついには消えてしまう、その深みのある時間に感じられる美味なのだと言われています。
つまるところ、ケニー・バレルのギターはたとえば、ひどく苦いけれどコクのあるコーヒーのようなものだと思います。上等なものは、ジャズにせよ、食べものにせよ、深みのある味わいが心の中で持続するものなのですね。
……いきなり訳のわからない話から始めてしまって恐縮です。
僕は今、好きな楽器の音について話題にしようとしています。
たとえばルイ・スミスの素朴な響きのトランペットの器用な節回しにも魅力を感じるようになってきて、最近夢中になっています。
それとティナ・ブルックスのテナーサックスの、冷たくぶっきらぼうで不器用ながらもどこかさりげなく、時々燻されているみたいに高く甘い響きの、和菓子でいうと落雁のようなクールな音色が好きです。どこか不思議な抑制の効いた吹き方も好きですね。
あるいはジュニアクックのテナーサックスの内側に甘く反響するような、全体にかすれているようで、暖かさと優しさに富んでいる、日本料理でいうとどこか濃厚な泥臭さのある甘口の鯉こくのようなファンキーな音色も好きです。愚直なくせにノリの良い吹き方も好きなのです。(我ながら表現がよくわからない)。
ボビー・ティモンズの思い切りの良いファンキーなピアノをつらぬく黒々としたスウィング感はたまりません。安定感のあるアーシーな和音が重なり合い宝石のように弾けたり、小気味のよいシングルトーンの胸踊るフレーズのリズミカルな弾け具合も大好きです。
さらには、アート・ブレイキーの野性的なドラム(それはジャングルの夜景の躍動感すら僕に抱かせてくれます。理由は謎ですが、アート・ブレイキーのドラムは、僕には民族楽器の太鼓に感じられます)や、サム・ジョーンズの弾けるようなイキの良いベースも好きな方ですから、このメンツが全員集合した、ケニー・バレルの「ブルーライツ Vol.2」は、まさに僕が長年探し求めていた名盤だということになりますね。
ちなみに、僕はかねてより素朴な、ぱっと聴くとそれほどの驚きを感じませんが、よく出汁が滲み込んでいる味わい深いおでんのようなジャズが好きでした。
それはたとえば、ケニー・バレルの「ミッドナイトブルー」のような名盤の演奏です。
最初の印象は、ただジャズらしさのある黒っぽい雰囲気が、ブルースのフィーリングで伝ってくるのに圧倒されるばかりで、ブラックミュージックへの憧れを深める一方、ケニー・バレルの演奏自体はよく分かりませんでしたが、それから何年かした今、そのギターの演奏は繰り返し聴けば聴くほど、とても味わい深くて、病みつきになるものだと分かりました。
ところで、アドリブについて雑談があります。多くのジャズ初心者が最初に挫けるのが「アドリブの聴き方」です。
どこかの界隈で、ジャズを雰囲気で聴くという若者の聴き方が問題視されていましたが、それを僕は悪いことだと思っていません。雰囲気というのはムードのことです。ムードを構成するのは、本来芸術のひとつの目標でもありました。
たとえば「イン・ア・センチメンタル・ムード」という曲名からも分かる通り、それが悪いものとされている歴史には乏しいものがあります。
ムードを構成したもので素晴らしいものはたとえば、ミンガスが参加しているアルバム「マネージャングル」に収録されている「アフリカの花」や、ローランドカークのアルバム「ドミノ」の中にも「タイム」などムードのあるものはいくつもあるし、それで聴いていけないということはないでしょう。スウィングジャズでゆうなら「キャラバン」がムードの極地ではないですか。
昔、グレン・ミラーの「ムーンライト・セレナーデ」など、ビックバンドの奏でた夢のような世界は、人々を魅了したものでした。このあたりが、かえって一般の音楽ファンにも好まれやすいのは、ひとえにムードを楽しめたからでした。
そして「ムード」は、もっと芸術的な言い回しをもってすれば「オーラ」とも言い換えることができるでしょう。
問題は、ムードを楽しむのがいけないのではなく、アドリブの聴き方がわからないというところです。テーマからアドリブに演奏が進行すると、構築されたアンサンブルの一体感が事実上、崩壊をきたしますから、そこからそれぞれのインプロビゼーションがムードを再構築する形になります。ちなみに僕は物書きで、絵描きなので、音楽の演奏のことはちっとも分かりません。つまるところ、これは芸術の一般論を言っているのです。
ムードを重視した場合、アンサンブルの一体感が重視され、テーマ中心になるのはやむない。それではアドリブをどう考えるか。
アドリブとはその名の通り、即興演奏のことであり、瞬間的なひらめきに特化しています。即興演奏とは時間的に「今」であることです。「今」を追求したのが即興演奏ということになるのです。
さて、時間とは本来「今」の連続であります。ジャズはまさに生きた「今」という感覚を追求していると言えるでしょう。
若干、話が違う方向に向かいましたので修正すると(この問題を突き詰めたい方は禅を学んで下さい)アドリブは「今」の連続であるとして、それは絶え間ない変化の連続のことでもあります。そして、それはフレーズ(メロディー)が絶え間なく創造され消失することを意味しています。
ジャズに馴染みのない方は、この変化に頭がついてゆけない、とりわけ、パターン化されたフレーズの反復によって構成された(Aメロ、Bメロ、サビ)ポップスのリスナーには馴染みづらいものなのでしょう。
ジャズのアドリブを聴くと、[1]まず一番はじめに楽器の音色が聴覚にガツンと入ってきます。[2]次にグルーヴ感(スウィング感)が鑑賞者の首から下、背骨と腰骨を支配します。[3]そしてフレーズ(メロディー)が脳を刺激します。これが僕が思う基本的な三段変化です。
それが結果的には、やはりひとつの巨大なムードないしはオーラとなって涙を誘ったり、強い意思を感じさせたりするのです。
これらが次から次へとサックスやトランペットから吐き出されて、この三段階の化学反応が全身を駆け巡るのが、比較的一般的なジャズアドリブの鑑賞法ではないでしょうか。
重要なのは、ソロ演奏であればこれだけでも一応ジャズが説明づけられるのですが、多くの場合、ジャズはアンサンブルであり、演奏者間の高度な影響の与え合い(つまり禅でいうところの以心伝心のような、きわめてエモーショナルな相互関係)によって、斬新な演奏が生み出されているところです。
こうした演奏者の相互関係による驚くべき効果は、インタープレイといわれるもので、ジャズのアドリブを考える上でもっとも重要な要素のひとつでしょう。
そしてインタープレイといえば、ビル・エヴァンスとジム・ホールの名盤「アンダーカレント」を聴いてみることをおすすめします。
多元的な、フレーズの海(洪水?)をどう呑み込むか……。
ところでジャズにとって重要な要素、楽器の音色とは何なのか。僕はデクスター・ゴードンとジョニー・グリフィンのサックスの音色を聴き比べてみましたが、どちらも甲乙付け難いものです。ただ、音色の豪快さ、フレーズの潔さではデクスター・ゴードンが好きで、音色の香り立つような色気と超絶的なテクニックという点では、グリフィンの方が好きでした。つまるところ、ふたつの音色は一般的にどちらが良いという問題ではなくて、ひたすら「好み」の問題なのです。そして「ひたすら自分の好みを追求できる人」がジャズを本物に楽しめる人だと思うのです。
まず、好きな音色を見つけること。
グルーヴ感についてはさまざまなものがあります。オスカー・ピーターソンのピアノのようにわかりやすく昔ながらの感覚でスウィングする演奏もあれば、シダー・ウォルトンのようにどこか平面的でデジタルで端正な演奏もあります。
オスカー・ピーターソンの「トリオ」とシダー・ウォルトンの「イースタン・リベリオン」を聴き比べてみると良いでしょう。(他にもっとわかりやすい例があった気もしますが)
しかしジャズのリズムの楽しみ方でもっとも基本的なのは「タメ」の感覚です。このため、あるいはためらいとか、焦らされているような、ちょっと遅れてくるリズム感覚こそ、ジャズの味わい深さになっていると思います。
ソニー・クラークのピアノでも聴いてください。「ソニー・クラーク・トリオ」でも聴いてみたら良いのではないでしょうか。
このタメの感覚に中毒になると、パウエル派のジャズピアノは永久に楽しめる……。
第三の問題ですが、フレーズについては、次々と溢れ出てくるフレーズの洪水をじっくり味わって楽しめるようになったら、いやあ、大したもんですね。
(湧いてくるフレーズを楽しむには、バド・パウエルとビル・エヴァンスの名盤を聴いてみることをおすすめします)




