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魔法の薬  作者: にゃーせ
2/2

後編


 僕はひったくるように彼女の手から小瓶を奪った。蓋を開けると強いアルコールの匂いが鼻を刺激する。

 何だろう、これ? 本当に大丈夫なのかな……。

 一瞬自分の浅はかさを後悔したがもう遅い、覚悟を決めて鼻をつまみ一気にそれを飲み干した。


「フラニー……?」


 気遣うようなアギーの声が聞こえた。どこから? 前から?

 小瓶が手から離れて、ガラスの砕ける音が遠くに聞こえる。なんだ、随分安物の瓶だったんだな。下は草むらで柔らかい大地なのに。

 足元がふらついてたたらを踏む。頭がガンガンと大音響で騒音を奏で、目眩がして、立ってるのがやっとだった。

 僕はどうしたんだろう?


「あ、アギー、これ……」

「ねえ、大丈夫?」

 

 伸ばした手を誰かがギュッと繋いでくれた。柔らかくて安心出来る温もり。


「フラニー、ねえったら大丈夫なの?」


 僕を支えてくれてるのはアギーだった。

 心配そうにこちらを覗き込んでくる彼女の顔。

 嘘みたいだった。こんな心細げな彼女、見たことがない。僕を心底案じている彼女なんて見たことがない。


「あ、アギー……」

「フラニー」


 アギーと見つめあった瞬間、血が勢いよく流れて行くのが分かった。心臓はどくんどくんと猛スピードで早鐘を打ち、身体中がカッと熱く燃え上がる。

 何? これは……?

 初めての感覚に思考が追いつかない。まるで熱病にかかったみたいだ。

 だっておかしいだろう? アギーを見て胸がドキドキするなんて。顔が火を噴く程に熱いだなんて。


「ねえ、フラニー……どんな気分?」

「えっ……?」

「薬を飲んで……どんな気分……?」


 アギーの言葉に全身が爆発した気がした。

 そうだ、僕は彼女に言われるままに惚れ薬を飲んで……。

 てことは、こ、これって本物だったのか? 僕の身体の変化は、もしかしてあの惚れ薬のせいなの……?


「アギー、あの……」

「フラニー?」


 アギーの目が涙で潤んでいる。いつもの彼女とはまるで違う、悲しげな微笑に目が奪われる。青い瞳は、水をたたえた海の水面のようにゆらゆらと揺れていて、それがとても綺麗で、僕は知らず見惚れていた。

 いや、僕は知っていた。彼女は少々意地悪で横暴だけど、だけど本当は素直じゃないだけの寂しがり屋で、甘えん坊で、おまけにちょっと見ないくらいに可愛い女の子だってこと……。

 僕は、心配しないで、大丈夫だからって言おうとして、柔らかい感触に阻まれる。は、話せない、何で?


「フラニー、ごめんね」


 アギーの温かくて柔らかい唇が僕の口を塞いでいた。口と口がくっついている。これの意味することは、いくら九つの子供でも知っている。


 は? え? アギーってば何をしているの?


 パニック状態の僕は声も出せなくてされるがままだ。声どころか指一本動かせない、全くもって普通の身体じゃなかった。

 アギーは唇を離すと悲しげに目を伏せ、ブランコの側に僕の体をゆっくりと横たわらせたあと、背中を向けて走り出した。

 待って……という声は彼女には届かない。小さくなる彼女の姿を見つめたまま、僕は深い闇の中に意識を落としていったんだ。



 ことの顛末を話そう。

 結局、僕が口にしたのは惚れ薬でもなんでもなかった。それは強い蒸留酒で子供の僕にはきつすぎて、それで身体があんな反応を起こしただけだった。

 あのあと、僕はアギーが連れてきた大人達によって、屋敷へと運ばれた。情けないことにそのまま高熱を出して寝込んでしまい、心配した両親と共に早々に彼女の屋敷を引き揚げることとなった。


 以来、夏に彼女のいるオルコット邸へ僕が行くことはなかった。

 仕方ないだろう。こちらは思春期に足を突っ込んだばかりの子供だったんだ。

 そんな子供があの時の記憶が残る場所へ赴くなど、気恥ずかしくて出来るわけがない。ましてや彼女の前へ出ることなど考えられるわけもない。

 僕は初等学校から中等学校へと順当に進学していき、卒業の日を迎えた。新たな道へと向かう岐路に辿り着き、長い時間の経過を感じた。僕とアギーは結局、あれから再会することはなかった。

 いや、本当は一度だけチャンスがあった。

 彼女が社交界へデビューを迎える年に、両親を通してパートナーになって欲しいとの打診を受けた事がある。

 だが、その頃僕は十五になったばかりの多感な年頃で、冗談じゃないって断ってしまったわけさ。そうさ、ガキだったんだ。今もそんなに変わってないけど。

 だけど、そんないささか非礼とも言える返答だったのに、オルコット伯は何も言わずあっさりと引いてくれたから、きっとあちらの方でもお断りだったんだろう。有り得る話だ。


 初夏の景色はあの頃と何も変わらない。

 僕はジャケットを脱いで、ついでに首を締めるタイを外した。

 丘を登って行くと息が上がる。十年の年月は僕を本当に成長させているのだろうか? 懐疑的になる程に、九つの時と同じく、荒い息を吐いてる自分がいる。

 登り着ると、心地の良い風が背中を抜けていった。

 そよそよと木の葉を揺らす風の音。木陰を作る葉の下には古いブランコが揺れている。当時のままに。

 そのブランコを揺らす影に、近づきたくても近寄れなくて僕は足を止めた。本当に情けないったらありゃしない。


「いつ来たの?」


 長い金髪が風に揺られて靡く。ふわふわと。ギィギィとブランコが動く度に広がる、髪の毛と漕ぎ手の着ているドレス。

 その風の悪戯と反比例するがごとく、ほっそりとした後ろ姿だった。抜けるように白い手が袖口から覗く。まるでこのブランコと共にこのまま飛んでいくのではないかと、そんなおかしな錯覚に陥る光景だった。


「久しぶりね、フラニー坊や」


 僕は騒ぐ胸を抑えながら声をかけた。


「まだ、僕をそう呼んでくれるの?」


 ブランコに座る人物は、少しだけ考えて答えた。


「ええ、私にとってあなたは、幾つになっても生意気な弟、フラニー坊やだもの」

「アギー」


 勇気を奮い起こして一歩近づくと、彼女のーー、アギーの金髪が微かに跳ねる。


「な、なあに?」

「君は知っていたんだね、僕達のこと」


 僕はブランコの前に回り込んでアギーと向き合った。

 驚愕に広がる青い瞳。うっすらと紅潮する白い頬。赤く色づく形のよい唇。声も出さず僕を見つめる女性は、記憶の中にいる少女から、大人へと成長したアギーだった。


「知ってたって、な、何を……?」

「僕らが、許婚いいなずけ 同士だったってことをさ」


 アギーは顔色を変え視線を逸らす。


「え、ええ……だけどそれは親同士が勝手に決めた事で……」

「あの頃君は僕にキツく当たってたよね。それは勝手に決められた将来に対する精一杯の反抗だったんだ。そんなこと何も知らないで僕は……。さぞかし憎らしかったろう?」


 僕の問いかけにアギーは目をうろうろと泳がせる。そんなちょっとした仕草が、当時の少女を思い出させ僕に力を与えてくれた。


「そんな憎むだなんて……。確かに馬鹿な子だとは思ってたけど。そんなことより、あなた過去の私への文句を言いに来たの?」

「うん、僕は本当に馬鹿だった。あれで君より大人だと思ってたんだから始末に負えない」

「フラニー、聞いてる? あなたが何故今頃になって現れたのか聞いてるのよ。許婚の事なら心配いらないわ。あなたがパッタリと顔を見せなくなって、父もすっかり諦めたの」

「でも、君はまだ名目上は婚約者のままだ、僕のーー」


 そう、僕達の婚約は解消されてなんかない。

 アギーは気まずげに唇を噛んだ。


「そ、それは単なる隠れ蓑よ。婚約すらしてないと色々とうるさいのよ、田舎は。だけど見くびらないで。私はまだまだ諦めたんじゃないんですからね夢を」

「白馬の王子様だっけ? 君の前に跪いて一生の忠誠を誓うってやつ」

「忠誠じゃないわ、愛よ。いやだあなた、やっぱり馬鹿にしてるのね」

「馬鹿に? まさか」

「いいえ、馬鹿にしてる。もういいからそこをどいてよ! これ以上の日焼けはよくないから私は戻るわ」

「アギー!」


 立ち上がりかけた彼女を制するため、僕は大声で呼び止めた。アギーは驚いたように僕を見上げたまま固まっている。

 僕は彼女から目を逸らさないで、ゆっくりとその場に膝をついた。


「アギー、いや、アグネス・オルコット嬢。このままここにいて、僕の話を聞いてくれる? 僕は騎士物語に出てくるような、美しくて強い騎士じゃない」

「フラニー?」

「背の高さも普通だし顔立ちも取り立てて良いとは言えないだろう。頭の方は努力をしたけど、首席で卒業できるような優秀な成績を修めたわけじゃない。つまり、普通だ。どこにでもいる普通の男だ」

「何……を?」

「いいから聞いて! もう少しだけ僕の話を」


 息を呑むアギーに僕は慌てて謝罪する。


「大声を出してごめん。もう少しだけだから」


 唇はかさつき、口の中はカラカラだった。彼女の反応が怖くてまともに見返す勇気もない。だが、それでは先に進めない。僕は意を決して顔を上げた。


「僕は白馬の王子からは程遠いかもしれない。だけど約束する。君に今と変わらない生活を約束する。誰よりも君を大切にして、一生守ることを誓う」


 アギーは戸惑って混乱していた。僕の言ってる事を半分も理解してないみたいに。


「フラニー……いえ、フランシス、これは何なの? 意味が分からないんだけど……」

「本当に分からない? プロポーズだよ、アグネス。すっかり遅くなってしまったけど……、君の理想には程遠いかもしれないけど。これが僕の、精一杯の求婚なんだ」


 僕は視線を落として彼女に手を差し伸べた。深く息を吐き出し一気に言葉を続ける。


「アグネス・オルコット嬢。どうか僕と一生を共にしてください。君の人生を僕にくれませんか」


 重苦しい沈黙のあと彼女の声が耳に届いた。


「残念ながら、及第点はあげられないわ、フランシス」


 冷たい響きが僕から勇気を剥ぎ取る。僕は下を向いたまま、その場で石になって押し黙るしかなかった。


「まず、プレゼントがないのがどうしようもないわね。指輪は最悪あとからでもいいけど、花束もないんじゃ話にならないわ。それから肝心の言葉はどうしたの? 昔教えてあげたわよね? 一生誓うのは愛なのよ。愛の言葉がなくてどう……する……のよ……」


 目を上げると唇を震わす彼女が見える。アギーは両手を目元に押し当て、懸命に何かを堪えていた。いや、何かじゃなくて涙だ。彼女は少女のように、溢れる涙で顔をぐちゃぐちゃにしていた。


「あ、アギー」


 まさか泣いているとは思わなかった僕は、おろおろするだけで彼女の更なる怒りを買ってしまう。


「ハンカチ、ちょうだい。持ってるん……でしょ!」


 僕はジャケットの中から、ヨレヨレになったハンカチを差し出した。ひったくるようにそれを取り上げ、アギーは嗚咽を漏らす。


「な、なん……なのよっ……、なん……なっ……のよ……ほんっ……とに……」

「アギー、ごめん」

「ごめ……じゃ……ないわ……よ」

「あ、愛してる」

「い、今更何いっ……て! し、白々しい……パ、パートナー……にっ……なってもくれな……かったくせに……」

「それはまだ子供だったから、今は深く反省してる。心からあの時のことを悔いてるんだよ」

「し、信じ……られないわ、私……てっきり……フラ……ニーに……嫌われた……かと、思っ……て……」

「違う、気づくのが遅すぎたんだ。アギーと一緒で君との事を聞いた時、僕も反発を止められなかった。そんなくだらない意地で君を拒絶するような真似をして、僕は……本当に馬鹿だったよ……」

「あのね、わ、私だって……傷つく……のよ……。これでも女なん……だから……。もの凄く、もの凄……く、傷ついたんですからね」

「本当にごめん!」


 震えるアギーの肩に僕はそっと手を置いた。そのまま、こわごわと肩を抱きしめる。彼女はビクリとしながらも、その手を払いのけることはなかった。


「ねえ、アギー。あの日僕が飲んだ惚れ薬を覚えてる?」


 アギーは一瞬物思いにふけり、それからコクンと頷く。


「確か、惚れ薬じゃなくて……お酒だったのよね。あなたには悪いことをしたわ」


 彼女は小さく笑った。腕の中にすっぽりと収まって、安心したように笑ってる君。

 僕は眩しい笑みから、照れくさくなって視線を逸らす。輝くような美しい笑みを浮かべる、愛しい婚約者から。


「違う。あの薬は本物だったんだよ。だってあの薬で僕は魔法にかかったんだから。怒りっぽくて偉そうで、でも本当は心配性で寂しがり屋の女の子に」


 そうさ、僕は君に恋をした。


 永遠に解けない恋の魔法に落ちたんだ。



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