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8章2話 悲しみの中に

「私に触れるな!お願いをしているわけではない!私を通しなさい!」

「む!?何をしている!」

「どきなさい」

「お前は、ラフエルの――」


 頭の隅で、何か騒ぎが起きているというのは認識していたものの、それについて何が起きているのかを考えること、何かを考えること自体を頭が拒否しているように感じていた。


 ふと、椅子に座ったまま、誰かに頭を抱きしめられる。

 それは、いつもなじんだ感触や匂いのようでいて、つい最近のようにも感じる物だった。


「アプロテ、様……?」

「大丈夫よ、何があったかは知らないけれど、私はここにいるわ」


 いろんな思いがこみ上げてくる気がした。激しく崩れ落ちそうな悲しみと、喪失感。これからどうすればいいのか、何をすればいいのか、そういえば俺は何か目的があって日々を生きていただろうか。

 そんないろいろな思いが重なり合って、やっと口について出てきた言葉は――


「――なぜ?」


 だった。単純に、今なぜここにアプロテがいるのか、ただそれだけだった。


「あなたが悲しんでいるからよ」

「それ、だけで?」

「それだけ?あなたが一人では立ち上がるのが辛いほど悲しんでいる。だから私はそばにいるのよ。確かに、それだけの事よ」


 そのとき、アプロテが何かに気がついたかのように、隣のアプトにも手を伸ばす。


「ほら、しょうがないわね。本当ならあなたもラフエルを支えなければならないのよ」

「ぅ、ぐすっ、すいま、すいひぐっ」

「いいから」


 そう言ってアプロテは俺とアプトの頭をその小さい胸に抱え込む。


「小さいは余計よ」


 どれぐらいそうしていたのだろう、まだ心が持ち上がりはしなかったが、しゃくりあげるような悲しみを少し押さえられるようになった頃、グラスドールが気を使うように声をかけてくる。


「部屋を用意させよう、今日はここで休んでいくといい」

「そうね、そうしたいところだけど、ここは明日騒がしくなるわ」

「!!確かに、そうだな。送らせよう」


 その後、グラスドールが用意してくれた馬車に揺られ、ウェンデール館へ戻ると、まだ日が出ているのもかまわずベッドに倒れ込む。

 疲れていた心に引きずられるように、自然と瞼が閉じ、そのまま深い眠りに落ちていく。


「もう、着替えぐらい……」アプロテのそんな言葉が聞こえたような気がしたが、俺は意識を手放していた。



 見覚えのある何もない、白い部屋。

 いや、部屋自体は同じ様な白さのはずなのだが、どことなく薄暗い。

 明かりのない部屋に西日が射しているような、そんな寂しさがある。


 どこだ、ここ。


 一瞬アプロテを探してしまうが、強い違和感を感じる。


 なんだ?アプロテ様の部屋じゃない、暗いからか?いや、なんだっけ……


「くすくす」


 どこかから、少女のようなさえずるような笑い声が聞こえてくる。

 俺は声の主を捜そうと、きょろきょろしていると、また声が聞こえる。


「こっちよ、こっち」


 その予想以上に近くから聞こえた声に驚いて振り向くと、黒い薄手のレースで出来た寝間着を着て、妖艶な笑みを浮かべながら寝そべる少女がいた。

 腰まで伸びた長髪は引き込まれそうなほどの漆黒で、前髪が眉毛のあたりで切りそろえられているのも相まって、日本人形のような印象を与える。

 だが、その必要以上に細く見える体に違和感を感じる。ただ単に痩せているだけではなく、女性的な丸みも薄い。


 だれ、だ?


「誰とはひどいわ。私はあなたを良く知っているのよ」


 知っている?


「えぇ、知っているわ。あなたのことも、あなたの周りにいる大切な人のことも」


 頭がぼんやりとしたまま、アプロテの顔が浮かぶ。


「嫌な顔ね」


 その後、アプト、父、母、兄弟、ハイン……

 あれ、ハインが何だっけ?何かあったような……


「そう、その人」


 え?


「会いたい?その人に?」


 ハイン……ハイン!そうだ!生きているのか!?


「今は生きているわよ〜」


 今は?


「そう、これから先は、あなたの答え次第」


 そう言って目の前の少女が唇をなめる。


「私の物になりなさい。そうすればあなたの望む物を与えて上げるわ」


 望む、もの?


「そうよ。ほしい物を思い浮かべてごらんなさい」


 今この瞬間に思い浮かべたのは、なぜかアプロテの顔だった。


「あら、酷い人。あなたに忠節を尽くした男を見捨てるなんて」


 ハインは望んで手に入れるものではありません。彼からの忠節には誠実に生きることで答えます。


「面白くないわ。とりあえずそうね、私の元に来なさい。そうすれば、お前の大事な男を帰してあげるわ」


 少女がその細い腕を伸ばし、俺の顔を覆うと急速に意識が遠のいていく。

 アプロテの暖かみのある手と違い、その手は恐ろしく冷え冷え(ひえびえ)としていた。



「うわぁ!」


 暗闇にとらわれるような恐怖を感じ、思わず声を出してしまう。


「ゆ、夢?」

「もう、どうしたの?」


 隣で寝ていたアプロテが、気怠そうに体を起こす。


「ごめん、夢を……嫌な夢を見たと思ったんだけど、あれ?」

「仕方ないわよ。休みましょ……ん?」


 ついと、アプロテが俺の肩に手を伸ばしてくる。いや、今そんな気分じゃないんだけど……


「これ、何?」


 そう言ってアプロテが、俺の肩に付いていたらしい何かを摘んで俺の目の前にぶら下げる。

 暗くてよく見えないので、魔法で僅かに明かりを灯す。アプトも寝ているから、暗めにね。

 その、薄暗い明かりに照らされたのは、一本の長い黒髪だった。


 あれ?


「こんな長い黒髪の人、いたかしら?それとも、まだ私の知らない、いい人がいるのかしら?」

「いません!いません!いませ……ん?」


 あれ?つい最近こんな黒髪を見たような?


「何で疑問系なのよ!」

「いえ、いないはずなんですが、つい最近、会ったような?」

「へぇ〜、それは興味深い話ね」

「それに、何かすごく大事なことを……ハイン、そうだ、ハインは生きている……」

「……何を、()たの?」

「分かりません。はっきりと覚えていないんですが、ハインが、私の助けを待っている、そんな気が……いえ、確かにそうなんです!」


 アプロテが手を俺の顔にのばし、いつになく真面目な顔でのぞき込んでくる。


「何かが来たのね?」


 そう言って、俺の中を全て視るような目でじっと顔を近づけてくる。

 うぅ、まだ恥ずかしい。

 アプロテが目を見開き、俺の顔を掴んでいる手に力が入ったと思った瞬間、頭の中の黒い靄がこそぎ取られるような感触があった。

 いや、感触だけではなく、薄暗い明かりの中に、黒いもやが現れて消えていく。


「あのおんなぁぁぁ!!」

「え、あ、アプロテ様」

「頭は晴れたでしょ。あいつは何て言ってきたの?」

「あ!……怒らないでくださいね?」

「内容次第よ」

「……私の物になりなさいと……痛い痛い痛い!」


 アプロテが頭を掴んだ手に力を込めてくる。


「誰がやるもんですか!続けて!」

「大切な人を知っていると言われて」

「誰?」

「その、まずアプロテ様の顔が浮かびました」


 アプロテの手が緩み、顔がふにゃっとする。

 あ、取り繕うようにきりっとしてる。


「その後、父母兄弟、ハインの顔が浮かんだら、ハインに会わせてやると……」

「ふん!あの女のやりそうな事だわ!」

「アプロテ様は、誰か知っているのですか?その、あの少女が」


「……ロウレス、死と闇と再生を司る女神よ」

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