6章4話 暗転
分厚い雲は、目に見える速度で動いている。
いや、動いているというか、このコロシアムの上空を中心として、渦を巻いているように見える。
「なんだ、これは。今日は晴れるように、教団が祈りを捧げているはずだが」
グラスドール先輩の言うとおり、大事なイベントがある日は、天候を教団の司祭達による大規模な奇跡か、魔法使い達による操作を行う。
しかしそれ以前に、今上空に現れている暗雲は、天候の操作を全くしていないにしても自然な物には全く見えなかった。
いきなり、体をまさぐられるような、纏った魔力を削ってはがされるような不快な感触が全身を襲う。
こんな感触は初めてのはずなのだが、なぜかとてつもなく危険な物のような気がする、いや、危険だ。
「グラスドール先輩、すぐにチームメンバーを戦闘態勢にしてください」
「む?どうした。何かあるのか」
「何かわかりませんが、危険な物がきます」
グラスドールがしばらく俺の目を射抜くように見つめてくる。
「確か、なんだな?」
「はい」
「全員!構え!強敵に備えろ!」
この言葉に、何の疑いもなく例の魔法の盾を構え、臨戦態勢をとるグラスドールの騎士達。
俺の言葉を素直に信じてくれたのも意外だが、何の説明もなくグラスドールの言葉に従う騎士達にも、頼もしいと感じつつも、これと戦う予定だったのかと思うと怖くもある。
「全員、密集隊形!」
俺もすぐに自分のチームに戻り、号令をかける。
こちらも何も言わずに、元兵士が正面に盾を構え、右と左をタルーニャ隊とローズ隊が固める。
「何が来るの」
真っ先に声をかけてきたのは、ローズだった。
「わかりません。ですが、かなり危険なものだと思ってください」
「……わかったわ」
「なんだよ、敵はあいつらじゃねぇのかよ?」
「ガルーダは黙ってるにゃ。ラフが何かあるって言うなら、何かあるにゃ」
「だってよ、何の説明もなしじゃ、どう対応したらいいか、分からねえじゃねぇか」
「私にもはっきりしたことが分からず申し訳ありません。ですが、今まで戦ってきた中で、最も恐ろしい物が来ると思ってください」
「最も恐ろしい物って、お前――」
ガルーダが何か言い掛けたとき、上空を渦巻く暗雲から、黒い固まりが生み出されてくるのが見えた。
それは、コロシアムの競技スペース3分の1はあるかという、巨大な黒い固まりだった。
「な、何だあれは」「何、何?これも行事の一つなの?」
観客席から困惑の声があがる。
その固まりはゆったりとした速度でコロシアム上空に到達したかと思うと、突如翼を広げ、その巨躯を延ばす。
漆黒の翼と全身を覆う艶のない黒い鱗。長く伸びた首と尻尾には威嚇するような棘が生えており、その頭部は禍々しく角と牙で装飾されていた。
その巨躯が揺れ動く度に、ドス黒い霞のようなもやが全身を漂う。
誰もが実物を見たことがないのに、誰もが知っているその姿。
黒竜だ。
「よく聞け、愚かなる父神の信徒共よ」
「な、喋った!?」
ガルーダが思ったことをそのまま口に出している。
俺も喋ったことに驚いたが、過去の伝説では喋る竜という物も登場しているので、そこは流すことにする。
「今から貴様達に選択肢を与えてやる。我が神ロウレスに恭順の意を示すか、ここで死ぬかだ」
黒竜は、返答を待つかのように翼をはためかせ、コロシアムの上空に滞空する。
ロウレス、聞いたことがある。確か東の帝国で大昔に信仰されていた神様だったはずだ。
司るのは死と闇と、それに続く再生。
「何をバカなことを!この国はすでに聖家族教の父神、アルタール様に恭順の意を示している!その様な邪神になど、誰が敬うものか!」
貴賓席にいた教皇らしき人物が、手に持った杖を振りかざして叫ぶ。
「我が神を邪神というか!」
いきなり、黒竜の肩付近に漆黒の玉が生まれたかと思うと、無造作に観客席にたたき込まれる。
玉が集団戦を見に来ていた観客数十人を飲み込み、設えれられていた長椅子などと共に吸い込まれていく。
黒い玉が一瞬収縮したかと思うと、その姿が消え、後に残ったのは吸い込んだ人と瓦礫で作られた、オブジェのような球体だった。
その球体が支えられる力が無くなったのか、観客席だった場所に落下すると球体が消え、吸い込まれた人や椅子が崩れ、おぞましい死体の山を築く。
「う、うわあああぁぁあああ!」
それを見た難を逃れた観客が、一斉に出口に向けて走り出す。
だが、いくつかあるはずのその出入り口は塞がれているのか、人が殺到して将棋倒しになり前に進めないのか、外へ出ることができずにいる。
「良いぞ、異教徒よもっと恐れよ。それこそ我が神も喜ばれるという物」
そのとき初めて竜が喋っていないことに気がついた。先ほどの魔法を放ったのは、竜の肩に乗っている、中肉中背の男だった。
その男の顔を見た瞬間、全身の毛が総毛立つような感覚が走る。
俺はこの男を知っている。こいつはあいつだ。
「ロムロス!」
男が、道ばたの石ころだと思っていた物が、不愉快な虫だったことに気がついたような顔をしてこちらを見る。
「また古い名を……ん?覚えているぞ。貴様は、ポラルトのラフエルだな?」
「そうだ!あのときの借りを返してやる!」
即座に魔力を練り、炎を出現させ、ひたすら細く細く白熱する矢を作り上げる。
「はっ!」
本来なら魔力を流すだけで済むのを、体全体でやりを投擲するようにして射出する。
「小癪な!」
ロムロスの前面に、黒竜の体を覆っている黒い煙が集中する。
白く輝いている炎の矢が、その煙に命中して激しくスパークする。
焼けた石に水を落としたような音と共に、炎の矢が弾け飛び、黒い煙の一部を削り取る。
「くそっ!」
削れたのは煙だけで、ロムロスには全く届いていない。だが、少し意外だったのは、ロムロスが少し驚いた表情を見せたことだ。
「貴様、なんだこの力は。ただ神に加護を受けた聖者、と言う訳じゃないのか?」
「加護?」
「やれ!」
突然、教皇の叫ぶ声が聞こえたと思うと、黒竜の上空に光のサークルが生まれる。
その昼間であるにも関わらず、少しまぶしいほどの光は徐々に降下し、黒竜の煙と衝突し明滅している。
だが、それは黒い煙に対して何の効果も上げたようには見えず、砕け散るように割れてしまう。
「バカな!数が少ないとはいえ、上位司祭による集団浄化の奇跡だぞ!」
「はっはっはっ!たかが信仰が厚いだけの人間など、ロウレス様の使徒であるこの私と黒竜の前には、物の数ではないわ!」
「な、使徒、だと……」
使徒。数々の物語や伝承に出てくる、神の力をこの地上世界で代行し、行使する者。
その力は、記録に残っている物がすべて本物だとは、とても思えないような物ばかりである。
軽い物ですら、疫病で苦しむ町を丸ごと浄化したという話や、死者の蘇生。すごい物になると、一つの国を一夜で滅ぼしたという物もある。
「ええい!そんなものなど、いるものか!魔法使い共!あいつを討ち滅ぼせ!」
教皇が見栄も外聞もなく、自分たちの奇跡が通用しないと見るや、教都アドレアに使える魔法使いに命令をする。
「我らは貴様の言うことなど聞かぬが、王をお守りするために、当然仕事はするがね」
王のそばに仕えていた真っ赤なローブ姿の男が詠唱を開始すると、その周辺にいた、同じく真っ赤なローブを来た3人ほどの魔法使いとおぼしき人間が、詠唱を重ね合わせる。
その行動を面白がるように、何もせず見ているだけのロムロス。
何故だ?先に攻撃を仕掛けてつぶしたり、防御魔法を張ったりしないのか?
「滅びよ!」
詠唱が完成し、頭上の暗雲から幾条もの雷光が螺旋状にロムロスに命中し、激しく打ち据える。
その激しい光に目がチカチカしたが、雷光が消え去った後、そこには黒竜の黒い煙を纏ったロムロスがいるだけで、何も起きなかったようにすら見える。
「あ、あぁ……」
「ふむ。何かしたのか?」
ロムロスがその太った顔に、勝利を確信したような嫌らしい笑みを浮かべる。
確かにそうなのだろう、今この国にいる司祭と魔法使いの攻撃を防ぎ、空を飛んでいるため、騎士の攻撃も届かない。
そして、ロムロスには先ほどの攻撃のほかに、黒竜の脅威もある。
「どうした。国の威信を懸けたイベントの割には、大した人材はおらん様だな」
「くっ!赤竜討伐に精鋭が出払っていなければ……!貴様、まさか!」
「運の悪いことだな、一度に2匹の竜に襲われるなぞ、教会は呪われているのではないか?」
自分の発言がおかしいのか、くくくと笑うロムロス。
「おのれぇぇ……神降ろしの議を行う!」
「司祭の数が足りません!」
「かまわぬ!私が依り代になり、足りぬ分は補う!」
教皇が手に持った大仰な杖を振りかざすと、司祭達がそれに追随するように祝詞を捧げ始める。
「神降ろしって何ですか?」
思わず誰にともなく聞いてしまう。
「あちしの故郷だと、呪術者が予言を行ったりする儀式にゃんだけど」
「教会が行うのは、そういうのじゃないわね」
ローズが今まで見たこともない、真剣な表情で答える。
「人に神の力の片鱗を降ろして、この地上に疑似的に神を顕現させるのよ」
「まさか、そんなことが!?」
「記録に残っているのは、10年ほど前の帝国との戦いの時ね。圧倒的不利な状況から、都市を奪還したと聞いているわ」
「ははは、ふはははは!」
唐突にロムロスが高笑いをはじめる。
「神の力をこの地に呼び込むには、強い力でその祈りを天上へ届けなければならん。だが、このコロシアム自体を結界で閉じこめてある今、どうやって届けようと言うのか」
「黙れ!この教都は教会圏で最も神の祝福を受けた地ぞ!そのようなこと、できるわけがない!」
「それが我々使徒と言うものだ。そんなこざかしい儀式などせずとも、我が神の奇跡を顕現させることができる」
「ほざけ!」
教皇はそんな言葉など聞こえないように祝詞を唱え、儀式を完成させる。
すると、空を覆う暗雲に凄まじい雷光が、轟音と共に連続で発生する。
まるで、圧倒的な目に見えない壁をぶち破ろうと、何者かが体当たりを繰り返しているかのように。
その様子に、ロムロスが怪訝な顔をする。
「なんだ。何が起こっている。あの程度の祈りなど、天上になど届くはずがないのだ。ここに、教会の使徒でもいるというのか」
その時、はっとしたようにロムロスが俺の方をみる。
「いや、貴様からは、父神の臭いはしない……だが、なんだ、他に何かあるのか?」
そのとき、限界まで膨らませたタイヤが割れたような音がしたかと思うと、激しく明滅を繰り返していた分厚い雲に、小さく避けるように穴があく。
そこから、コロシアムの中央、俺の前方2〜3メートルほどのところに細い光が延び、その光の道の中を、白い柔らかな光を放つ物が、ゆっくりと降りてくる。
コロシアム中の人間(驚くことにロムロスさえも)が静かに注目する中、その柔らかい光を放つ物は地上に降り立ち、優雅に立ち上がると、こう言った。
「来ちゃった」
やっとここまで来ました。




