第32話 何の意味もない、ただの贈り物
王都の街路樹に、薄緑の葉が出始めていた。
五国親善会議から数か月。仕事のために帝国へ行った私が戻り、今度はカシアン殿下が王都へ来た。
今日は、二人の予定表に同じ言葉が書かれている。
休暇。
「休暇の日付まで、赤い線で囲む必要があっただろうか」
職人街を歩きながら、殿下が言った。
「空欄だと、誰かが仕事を入れますから」
「否定できないな」
少し離れて歩く護衛が、聞こえないふりをした。
私は笑って、彼の腕へ手を添えた。
初めてここへ来た時と、店の並びはあまり変わっていない。
織物の問屋。焼きたてのパンを売る店。木箱に図案を並べた小さな露店。
荷車が近づくと、カシアン殿下が私を見る。
「手を」
差し出される前に、私は自分から握った。
荷車が通り過ぎても、離さなかった。
「あの青い瓶、きれいですね」
露店の端を指すと、彼も足を止めた。
透き通った青いガラスに、朝の光が落ちている。
「何を入れる?」
「まだ決めていません」
そう答えたら、殿下は嬉しそうに笑った。
私は自分の財布を出し、小さな瓶を買った。仕事机に置くか、部屋の窓辺に置くか。それは、帰ってから考えようと思った。
次の店で、今度は彼が立ち止まった。
画材屋の店先には紙束と筆、生成りの表紙のスケッチブックが積まれていた。
カシアン殿下は一冊を開き、紙を確かめた。それから店主へ代金を払い、私へ差し出す。
「エステル。これを」
表紙に紋章はなく、贈答のための飾り紐もない。
私が片手に持つ青い瓶より、少し重かった。
「……どんな意味ですか」
反射的に尋ねてから、私は口を押さえた。
カシアン殿下は声を立てずに笑った。
「君が好きそうだったから。それだけだ」
「書面は?」
「今回は付けない」
「業務用備品でも?」
「ない。役に立てなくてもいい」
私は表紙を撫でた。
白い紙の束。何を描くかも、まだ決まっていない。
誰かのために正しい図案を選ぶのではなく、描いてみたいものから描いてよい。
「嬉しいです」
そう言うと、彼はようやくほっとしたように息を吐いた。
「よかった」
たった一冊の本を贈るために、この人も少し緊張していたのだ。
私は大切に鞄へ収め、空いた手をまた彼へ伸ばした。
* * *
市場から離れた小さな広場で、私たちは並んで座った。
噴水の水が低く鳴っている。花壇には、まだ開いていない蕾が多かった。
「エステル」
呼ばれて顔を上げると、カシアン殿下は珍しく、言葉を探しているようだった。
「本のことなら、もう喜んでいると申し上げましたよ」
「その話ではない」
彼は少し笑い、それから私の方へ体を向けた。
「次に会う日を、予定表で探すのも好きだ。君が手紙に、仕事の話のあとで買った瓶のことまで書いてくれるのも」
「瓶は、今日買ったばかりです」
「きっと書いてくれるだろう」
私は笑って頷いた。
殿下の指が、私の手を包む。
「でも、もっと一緒に暮らす方法を、君と考えたい。仕事や住む場所のことも、決めつけずに。一つずつ相談して」
目の前に、指輪も契約書も出てこなかった。
彼は、私が聞いていることを確かめてから言った。
「私と結婚してほしい」
胸がいっぱいになった。
これから必要な話し合いは、きっと多い。国も家も仕事もある。
けれど、この人なら、私の返事より先にすべてを決めてしまわない。
「はい。喜んで」
私は彼の手を握り返した。
頬を伝ったものを拭う前に、彼が抱きしめてくれた。私も黒い外套へ腕を回す。
あの夜、人々の前で失った未来とは違う未来を、今、自分で選んだ。
* * *
数日後、私たちは大使館の小さな居間で、贈られたスケッチブックを開いていた。
結婚を家々へ知らせる手紙に、二人の小さな意匠を添えたい。言い出したのは私だった。
公式の紋章とは別に、私たちの手元で使うものから描いてみる。
「君は何を残したい?」
カシアン殿下に聞かれ、私は持ってきた木箱を開けた。
母の刺繍見本が入っている。
折り目は柔らかくなり、糸の色も薄くなっていた。それでも、一番端の小さな野花は、幼い頃に見たままの形をしていた。
私はその花を選び、白い頁の下の方へ描いた。
以前、業務用備品として受け取った鉛筆は短くなっていた。契約が終わった時、書面どおり私のものになった一本だ。
「お母上の花なのだな」
「はい。私が初めて、縫い方を教わった花です」
幼い私の花は、いつも花弁の大きさが揃わなかった。
母は間違いを直したあと、上手にできた一輪を必ず探してくれた。
「これを、残したいです。家の決まりだからではなく、私が好きだから」
カシアン殿下が頷いた。
「私は、茎がこちらへ曲がっているのが好きだ」
「なぜですか」
聞いてから、二人で笑った。
理由を尋ねることまで、やめる必要はなかった。答えが規則でなくてもよいのだ。
「二人で同じ方を向いているように見える」
「では、同じ方へ曲げましょうか」
「君の花まで、私に合わせて曲げなくていい」
私は笑って、頁の余白を指した。
「ここは、まだ空いています。殿下の好きなものも描いてください」
仕事の時なら、必要な形と寸法を示して渡すところだった。けれど彼はしばらく白い場所を眺め、私の描いた花へ目を戻した。
「大きなものを足したら、これが見えなくなる」
「獅子でなくても構いませんよ」
「それは私が好きなものというより、皆が私に期待するものだな」
言ってから、彼は少し黙った。
好きな模様を尋ねられて答えられなかった、あの日の自分を思い出す。私は急かさず、鉛筆を削った。細い木屑が、卓上の皿へ落ちていく。
カシアン殿下が、母の見本の隅へ指を置いた。
「この、細い茎の隣から伸びている葉を。目立たないが、花と一緒にあるのがいい」
私は削った鉛筆を差し出した。
誰かの象徴になる形を選ぶことには慣れた人が、自分の小さな葉を選ぼうとしていた。
彼は受け取った鉛筆で、私の花の隣に細い線を描いた。
少し曲がりすぎていたので、私は紙を回して、そこへもう一つ小さな葉を添えた。
「これでどうでしょう」
「ああ。これがいい」
誰かに採点してもらう前に、私たちは頷き合った。
登録に使うなら、あとで別の担当に確かめてもらおう。今はただ、目の前の人と描いていたかった。
花びらの数を、私はもう一度数えた。
間違いを探すためではない。母の花に、二人で足した葉が似合うのが嬉しかった。
意味は、読むことができる。
そして、選び、作ることもできる。
真っ白な頁の最初の一枚に、私たちはそれぞれ、自分の名前を書いた。




