刹那
二条は路地を駆け抜けながらスマートフォンを耳に押し当てた。背後からは怒号が飛んでくる。
「おい若頭サマ!今どこだ!?」
電話口の宮村は一瞬黙った。
『……お前、今素で話してるのか?』
「今そんなことどうでもいいだろ!?」
二条は振り返る。角を曲がった先から夏草組の若衆が追ってくる。
「夏草組誘き出してやったんだ!そっちの縄張りに入ってる!」
短く息を吐く音。『……面白い』宮村の声は低く、感情をほとんど交えずに響く。
『そのまま走れ』
「は?」
『場所は分かってる』
二条は一瞬足を止めかけるが、すぐに走り出す。
若衆の足音が近付く。
「……は?」
『だから言っただろ。居場所くらいは分かるってな』
「ならさっさと来てくれ!」
路地を抜けると、黒い車が急停止した。助手席のドアが内側から蹴り開けられる。
「乗れ!」
二条は走ったままドアに手をかけ、踏ん張る足に力を込めた。
腕を掴む強烈な力に一瞬体が浮きかける。
宮村だった。
「遅ぇよ、バカ」
そのまま車内に引き込まれ、ドアが閉まる。車は急発進した。
「……危ねぇ運転だな、若頭サマ」
「黙れ」
宮村は片手でハンドルを握り、もう片方で二条を車内に固定するように腕を回した。二条は腕の力に抗いつつも、体を傾けてバランスを取る。
「そういや一つ訊きてぇんだけど、俺の居場所分かるって、これのおかげか?」
二条は上着のポケットから名刺を取り出す。
「何だ分かってたのか」
「追いかけられてる最中に、ふとな」
「勘か」
宮村は名刺に目を落とすと、そっと前に戻した。視線はすぐにハンドルへと戻り、二条の顔をちらりと確認する程度だった。
「半分な」
「ソイツはもう期限切れで唯の名刺に過ぎない」
「若頭サマはマメだな」
指に挟んだ名刺を軽く揺らす。宙でひらりと踊る紙片に、宮村の冷静な観察眼がちらりと光った。
「お前みたいなタイプは見失うと厄介だからな」
言葉の裏に、相手の動きを計り知る警戒心が滲んでいた。
「それは褒め言葉か?」
「思うように取ってくれ」宮村の声には、殴られながらも目の前の人物の手腕に対する驚きと、独特の執着が混ざっていた。
二条は息を整え、短く口元を緩めた。
「途中で倒れてる奴等見掛けたが、あれお前がやったのか?」
「そうだけど」
「たいした奴だな」
宮村は二条を腕で押さえたまま、目の奥に光が揺れていた。
純粋な驚きと――その背後には、手の届くところにいる二条の新しい側面に対する興味もあった。
その瞳の奥には、二条を見逃すつもりはないという決意もちらつく。
「だから言っただろ。俺はしぶといって」
宮村の腕の中で、二条は一瞬だけ警戒を解いた。
だが、心のどこかでこの状況を楽しんでいる自分にも気付いていた。
◆
宮村は大きなアタッシュケースを二条の前に差し出し、金具を外し開いた。
「依頼の報酬含め…詫びだ」
「随分色を付けてくれるんですね」
ケースの中で札束が整然と並ぶ光景に、二条はわずかに目を細めた。
「有能な男は高付くからな」
「それは光栄ですね。……だが、俺は若頭サマ次第で言おうとしていた事があったが、言う必要なさそうだ」
二条の言葉に、宮村は軽く眉を動かすだけで反応を返す。
「言ってくれ。何を言われても受け入れる」
「いやそれ若頭サマとしてどうなんだよ」
あまりにも真っ直ぐな返事に、二条は少し面食らった。
「あー…まぁ、囮なんて言い出すもんだから、結果次第じゃ殴るかこんな依頼二度と受けねぇからなって」
口角は上がっているが、目は笑っていなかった。
「伊達伊吹の拳を受け止めれるチャンスだったのか…!今殴ってくれ」
宮村の声には本気で残念そうな響きが混じっていた。冗談なのか本気なのか境界線が曖昧な男だ。
「嫌だよ」
「そういや噂じゃ伊達伊吹は、仕事を断らないと聴いたが本当なんだな」
「今のところ断ってないだけだ。話聞かねぇ奴は論外だけどな」
その場を締めるように、二条は笑顔で言った。「では、宮村和成若頭サマ。ご依頼は完了致しましたので、これにて」
事務所を出る前に、勢いよく拳を振りかざすと、宮村は瞬時の反応で拳を受け止めた。
「お前の拳、最高だ」
拳を受け止める宮村の腕の力強さが、文字通り二条を圧倒した。
二条は何気なく、宮村が何か言いたげにこちらを見つめている事に気付いた。
だが、二条はそのまま事務所を後にする。
宮村は又すぐにでも、依頼なり何なりを持ってくるのだろう──そう思いながら、背中越しにその視線を感じていた。




