↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/54

第1話 異世界

本作は完結まで執筆済みです。

本編143話に幕間・設定を加えた全150話ほどを、初日に10話、以降は毎日朝夕の2話ずつ、約2ヶ月かけて投稿していきます。

初めての創作のため至らない点もあるかと思いますが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。

『よう』


 知らない男の声で目を覚ました。

 寝台の脇にはレイナがいた。幼稚園からの幼馴染で、社会人になった今も休日にはよく一緒に出かけている。

 部屋にほかの人はいない。入口へ顔を向けても誰も立っていなかった。


「コータ? どうしたの」

「今、誰か喋った?」

「私?」


『そっちじゃない。お前の頭の中だ』


 また聞こえた。耳元で囁かれた感じとも違う。言われてみれば、頭の内側から響いてくるような声だった。


「頭の中って、どういうことだよ」

『こっちも何がどうなってるのか確かめてるところだ』

「そっちも分かってないのかよ」


 レイナが眉を寄せた。


「コータ? 誰と話してるの」


 異世界に来てから変なことばかりだったが、今度は頭の中で知らんおっさんがわけの分からんことを言っている。

 このおっさんが、異世界で生きていく俺の相棒になる。


 けれど、このときはそんなことを考える余裕もなかった。


     *


 数か月前。


 頬をくすぐる感触に、俺は目を開けた。

 見慣れた部屋の天井があるはずの場所に、青い空が広がっている。眩さに目を細めながら頬を払うと、長い草の葉が指に引っかかって現実であることを実感する。

 起き上がると、見渡す限りの草原。低い丘が幾つも重なり、その向こうに木がまばらに生えている。建物も、電柱も、道路も見えない。風に押された草が同じ方向へ倒れていた。


「……ここ、どこ?」


 横からの声に顔を向ける。レイナが座り込んで、自分の袖を払っていた。髪にも一本、枯れ草がついている。

 よかった、レイナだ。何があったのか聞きたいが、向こうも俺の答えを待っているのが分かる。

 困ったな。俺もちょうどそれが聞きたかったんだ。


「俺に聞かれても」

「先に起きてたんじゃないの」

「まあほんの少しは」


 レイナの髪についた草を指さすと、レイナが首を傾げた。

 埒(らち)が明かなそうなので俺が取って捨てた。


「私、こんなところ来た覚えないんだけど」

「俺もない。ていうか、どこまで覚えてる?」


 レイナは考えてから顔を上げた。


「今日、映画見てから宅飲みしようって話してたよね」

「してた。帰りに酒とつまみ買ってさ」

「そこまでは覚えてるんだけど」


 俺もそこまでは覚えている。酔っ払って寝たわけでもない……と思う。

 そもそも、まだ酒を買ってすらいないはず。何でこんなところにいるんだ。

 俺はスマホを出したが、圏外だった。地図を開いても現在地が出ない。そう伝えて画面を見つめて待っていると、レイナもスマホを出して、しばらくしてから首を横に振った。


「私も駄目」


 とはいえせめて道くらい見つけたい。

 スマホをしまって立ち上がり、膝を払う。痛むところはない。レイナにも確認すると、怪我はしていないという。


「とりあえず、あそこまで登ろう」

「うん。人がいれば聞けるし」


 少し高い場所へ行けば見えるだろうかと近くの丘を指さしたとき、草の中で何かが動いた。


 ウサギだった。


 長い耳が二本、草の上へ突き出している。丸い背中に、灰色の毛。見覚えのあるシルエットに安心してから、その大きさに気づく。

 どう考えてもサイズがおかしい。

 大型犬くらいある。そいつは鼻をひくつかせながら、のっそりとこちらへ近づいてくる。


「……うさちゃん?」

「うさちゃんっていうにはデカくないか?」


 レイナが腰を引いた。俺も同じように一歩下がりかけた。ウサギなら草でも食っていてくれと思うが、そいつは俺たちから目を離さない。

 口元が動いて、太い前歯が覗く。齧られたら指くらい簡単になくなりそうだ。

 俺たちが一歩下がると、そいつは一歩、近づいてくる。

 嫌な予感にもう一歩下がると鼻先が俺からレイナに向く。長い耳がぴんと立っていた。

 さらにもう一歩下がったところで、そいつが後ろ脚を引きつけるのに気づく。


「逃げるぞ」


 そいつが体を揺らして踏み出す直前に俺たちは走り出す。

 背後で草を踏む音がした。

 まだついてきている。


「コータ、前!」


 レイナの声で顔を戻す。地面に開いた穴を飛び越えた拍子に、足首が嫌な方向へ曲がりかけるが、構わず次の一歩を出す。

 止まったら追いつかれる。


 俺の少し前をレイナが走っていた。肩から斜めに掛けたバッグを片手で押さえ、もう片方の腕を必死に振っている。

 俺も走る。息を吸っているのに足りない。喉の奥が乾いて、飲み込む唾もない。

 丘の斜面を斜めに下る。どこへ行けば助かるかなんて分からない。せめて走れる地面を選ぶので精いっぱいだ。

 背後で跳ねる音がするたび、肩が勝手に縮こまる。

 振り返ると少し離れたところで長い耳が揺れていた。まだ追ってくる。息が上がっても、追いつかれるのが怖くて足を止められない。


「右、木が――」


 レイナが言いかけたところで、背後から短い悲鳴が聞こえる。続いて、何か重いものが地面にぶつかる音がした。

 思わず振り向くと、灰色のウサギが横倒しになっていた。その喉元に狼が食いついている。

 草の陰から飛びかかったらしい。ウサギと同じくらいの大きさの灰褐色の狼が前脚で獲物を押さえ込み、後ろ脚を踏ん張っている。ウサギが暴れても、噛みついた顎は離れない。

 草を蹴っていたウサギの脚がやがて動かなくなった。


「止まるな!」


 誰に言ったのか、自分でも分からない。俺もレイナも走り続ける。

 草の向こうで狼が顔を上げ、黄色っぽい目がこちらを向き、一瞬、目が合った。

 あれにも追われる。

 そう思ったのに、狼はすぐに獲物へ顔を戻した。前脚で押さえたウサギに口をつけ、肉を引きちぎるように顎を動かす。もうこちらを見ていなかった。


 俺は前を向いた。丘の陰へ入るまで、後ろは見なかった。


     *


 膝に手をついたまま、しばらく動けない。息がうるさい。これじゃ、また何か近づいてきても分からない。早く静かになってくれと焦るが、息を吸うのをやめられない。

 隣でレイナも腰を折っている。顔を上げかけて、また下を向いた。俺は唾を飲み込もうとして、咳き込んだ。

 どれだけ走ったのか分からない。長かった気がする。でも、距離にしたら大したことはないのかもしれない。


 少しずつ、風の音が戻ってきた。草が擦れる音。その向こうに、追いかけてくる足音はない。


「……いる?」

「見えない」


 俺は丘の縁からさっきの方角を窺った。草が揺れているだけだった。そのまましばらく待っても、何も来ない。

 ようやく息を吐くと、レイナが地面に座り込んだ。


「……最近、ほんと私運動不足」


 俺も隣へ腰を下ろした。


「運動してたら、どうにかなったか、あれ」

「ならないと思う」

「だよな」


 口にしてから笑いそうになったが、うまく笑えない。レイナの指がバッグの紐を握ったままになっていた。俺の手も震えている。膝に置けば止まるかと思ったが、そうでもなかった。


「レイナは足、大丈夫か」

「痛いけど、走ったからだと思う。そっちは?」

「同じく」


 引っかかれたり、噛まれたりはしていない。服に血もついていない。それを確かめて、やっと肩の力が抜けた。


「……食ってたよな」

「うん」

「俺たちを追ってたやつを」

「怖かったね」


 もう一度、丘の向こうへ目をやる。


「あれ、こっちも見てたんだけどな」

「お腹いっぱいになったとかかな?」

「分からん」


 分からないことばかりだ。大型犬くらいあるウサギに追われて、狼に助けられた。助けたつもりなんて、向こうにはなかっただろうけど。あの歯が俺たちに向いていたらと思うと、座っているのに膝から力が抜ける。

 テレビの撮影だとか、そういう説明で済んでほしいところではある。でも、歯が見えたときの怖さも、まだ完全には戻らない息も、これはきっと本物だ。


「ここ、日本じゃないよな」

「日本だったとしても、知ってる日本じゃないね」


 そこは違うって言ってくれよ。

 今日は二人で映画を見て、飲むだけだったはずなのに。


 レイナが靴についた草を払った。


「とりあえず、人を探そう」

「……だな」


 もう一度ウサギが出てくる前に、ここから離れたい。

 もうしばらく休んでから立ち上がり、さっきの場所へ近づかないように歩いた。草が動くたびに足が止まり、ただの風だと分かってから進んだ。


 レイナが少し先で立ち止まって指をさす。


「コータ。あれ」


 指の先に一本の杭がある。近づくと、杭には細長い板が打ちつけられていた。その向こうでは草が途切れ、踏み固められた道が左右へ伸びている。

 道には車輪の跡らしい二本の溝が見えた。たぶん、人が使う道だ。そう思っただけで、喉の奥に詰まっていたものが少し下がる。

 板の端は片側が尖っている。道の先を示すいかにもファンタジーっぽい看板だった。その表面に文字らしきものが彫られている。


「リンダム……」


 声に出してから、妙なことに気づく。

 今、俺は何を読んだ?

 文字は日本語ではない。英語でもない。曲がった線と短い棒を組み合わせた、見た覚えのない形をしている。それなのに、目を向ければ読めた。


「これ、読めるか?」

「読める。リンダム、だよね」

「日本語じゃないよな」

「うん。何この字」


 二人でしばらく看板を見た。見方を変えても、文字の形は変わらない。それでも『リンダムの町』と読めた。板の尖った方へ道が続いている。


「……行ってみるか」

「ほかに行くところもないしね」


 レイナが先に道へ出て、俺も続く。

 踏み固められた土は草原よりずっと歩きやすかった。


お読みいただき、ありがとうございます。


本編は全143話、完結まで執筆・校正済みです。

本日は第10話まで、10分おきに公開します。


「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや☆からの評価をいただけるとうれしいです。

感想も楽しみにしています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。