北へと
「既に北の諸国では侵攻に気づいている者もいます。エヴィアとアルカディア、フロンドの協力を得られれば連合軍を組織することが容易になりましょう」
オスタードは無論、と続けた。
「魔族も麾下に馳せ参じることでしょうが、表立って連合を組むよりは別に動かした方が得策かと」
「ハルキス伯爵のように魔族を憎んでやまぬ者もいるであろうからな」
「あの男についてはあまり心配はしておりません。憎しみよりも大きなものもございますから」
「北方帝国の侵攻となれば、個人の憎しみなど大事の前の小事であるからな」
フロンド王が口を挟んで言った。
ハルキス伯爵の"大きなもの"とは戦争のことではあるまいが、それを余人に説明することは難しい。
我はあいまいに頷いておいた。
「名目上の連合軍の盟主はアルカディアが引き受ける形になるだろう。一応、中立とみなされているからね。十人評議会議長テルファの名において激を発する」
「大変なことです。ヴァンダール地方全域の独立が危険に晒されるというのは……北方人は略奪で補給をまかなうということですから、界境付近の国では焦土作戦も考慮せねばなりますまい」
ガラテアは沈痛に言った。
「過去の戦争でも都市単位での離間や脅迫が行われたと聞く。悲惨な戦いになるであろうな」
我は人々を見回しながら告げた。
「連合軍は組織してもらう……だが、戦いで一兵たりとも損じることはない」
「どういうこと?」
ウルスラ王女が不審な顔で問う。
「今回の戦争は我等三人をもって前線とするからだ」
最初は何かの比喩だと思われたようだ。
だが、真実我等が三人だけで北方帝国の攻勢を引き受けると言うと、オスタード以外の全員が狂人を見る目になった。
「いくら強くても死ぬだけだよ?向こうは十万からの兵力を動員してくる見通しだ。そもそも三人では軍団の一つさえ支えられない。無視されてしまうだけだ」
レンデュライの言葉は道理だ。
「ハイデンベルク様にはそのような理屈は通じません。しかし人間族は納得しないでしょうな」
唯一、眉の一つさえ動かさずに肯定したオスタードだったが、説得は難しいと言った。
「いっその事、先に接敵してしまえば諸国の説得も何もありませんが」
「それでは困る。是非、この戦いを見届けて貰わなければ」
その時。
「あたしたちは殺します」
「ハイデンベルク様の敵を全て殺します」
今まで黙っていたフェイとアリスが冷たい声で言った。
彼女らから無邪気さは去り果て、もう戻ることはない。
身を刺すような凍える殺気が一同を黙らせた。
「とはいえ、確かに言葉だけでは仕方がないな」
我は微笑んだ。
フロンドの城には広大な練兵場が付属している。
我はフェイとアリスだけを連れ、千人が同時に行進出来る広場の真ん中に立った。
「我が軍団を見よ」
五十の輝かしい天人が右手に、五十の下劣な悪魔が左手に布陣した。
そして周囲の広大な大地が抉られ、健全な物質がこの世界から失われるのと引き換えに狂いたつ混沌のけものが我等の前にのたうった。
その数は百。
我等は巨大なすり鉢の中心で今にも崩れんばかりの土柱に立っている。
けもののうちで最大のものが我等の前で恭しく膝らしきものをついた。
これが乗騎である。
「我等は進み、さらに増える!北方人は一万の軍団を見るだろう!」
一度に召喚してもよいが、徐々に増やして行ったほうがより神話らしいはずだ。
我は二階家ほども大きい全ての色彩と色彩でないものに輝く乗騎の上に居場所を定め、北を指した。
「北方人に与する者達には速やかな死だけがあると知れ!」
そして我が最初の軍団は唖然とするフロンド市民と少数の友人達に別れを告げ、のたうち、飛び、そぞろ歩きながら進軍を開始したのだった。