後編
2年ぶり……。皆様からの熱い声援を受けて、ちまちま書き続けました。これからも、細々続けていきたいです。2年ぶりだと前編忘れていませんか?本当に申し訳ありませんでした。
――ワー、パン
シオン様の挨拶から、運動会は開始された。
園児たちは、日頃の練習の成果を、両親に見せるべく精一杯競技や、お遊戯を行っている。
その中で、私の視線はサクラに……それ以上に彼に向いていた。
私がサクラをみているためか、彼もサクラをよく見ていてくれているようだった。
サクラの頑張りが、父親である彼に見てもらえるということが、嬉しくてたまらなかった。
彼に、もちろん、サクラの記憶にも少しでもお互いの姿が残ればいいと……。
もう、会うこともかなわない親子だから……。特に、サクラから父親を奪ったのは私の自己満足からだから……。
「……活躍しているようですね……。」
「はい!頑張って練習していたようだったので、とてもうれしく思います。」
「そうですか……。」
彼が微笑みを浮かべた。
その微笑みは、お城でご家族の方々と居た時に、浮かべていた笑みと同じものにみえた。
「!どうされたのですか!!?」
「え……。」
彼の手が私の頬にそっと触れた。
「泣いていますよ……。」
「え、あ……。」
知らないうちに涙が流れていたようだった。
彼のあの笑みが、サクラに向けられたことが嬉しくて……あまりに嬉しくて……。
サクラが……私が……彼の家族になれたような気がして……。
「そんなに私と居るのが嫌なのですか?」
自分の思いに浸っていて、彼のつぶやきが聞こえなかった。
「え?すみません。聞こえませんでした。」
「何でもありません。……お子さんが走る順番が来たようですよ。観なくていいのですか?」
「え、あ、どこですか?」
「真ん中のコースみたいですよ。」
――『よーい』パン
――ワー、ガンバレー
「サクラー頑張ってー!」
サクラはどんどんお友達を抜いていく。
ゴールテープを切るころには1番になっていた。
「やったー!見ました!?サクラが1番をとりましたよ!!!さすが私の娘!」
「そんなに言わなくても、ちゃんと見ていましたよ。すごいですね。練習の成果をきちんと発揮できていましたね。」
「はい!」
「……ところで、先ほどから気になっていたのですが、あの子の首についている呪具はなんですか?」
「……え……。」
「見たところによると、相当強力に何かを隠していますね?」
「……何の話でしょう……。」
「……言わないつもりですか?」
「……私には、何のことだかわかりません。」
「まぁ、今はそれでもかまいませんよ。今はね……。」
「……。」
そう言うと彼は、競技が行われている園庭から目を離した。
その後運動会が終わるまでの間、彼と会話することなく、身の回りの世話を多少する程度であった。
***
「おかあさん見てくれた?サクラ1番とったよ。」
「もちろん観てたよ!すごかったね。とっても速かったね!」
「えへへ。」
親子の楽しい時間……日常では簡単に持つことのできるものである。
しかし、今日、彼が近くにいるというだけでそれは叶わないらしい。
「待ってください。」
「……まだ何かありましたか?」
「ええ、今日の給金について、話があります。」
「給金など結構です。」
「そういうわけにはいきません。それに……保育園の先生から聞きました。私生児だそうですね……。貰えるものは貰うに、越したことないのではないですか?」
「!!!いりません!結構です!!!」
なぜ愛する人から、憐みによる施しを、受けなければならないのであろう……。
私はそんなもの望んでいないのに……。
サクラと幸せになりたかった。彼の明るい未来を創りたかった。愛する者に幸せになってほしかった。
私が望んだことは、そんなに罪深いでしょうか?
「おかあさん、しせいじって何?」
「……サクラみたいな子のことを言うのよ……。……私も、サクラも真っ当に生きているつもりです。そんな風に言われるいわれはありません。お金など結構です。どうかこれ以上私達親子に関わらないでください。」
「……ですが……。」
「いいんです。サクラ帰りましょう……。」
「うん!おかあさん?サクラみたいな子ってどういうこと?」
サクラの質問に答えることなどできず、笑ってごまかすしかなかった。
サクラも私の顔を見て、何かを察したのだろうそれから聞くことはなかった。
彼の視線を背中に受けながら、サクラの歩幅に合わせ、ゆっくりゆっくりその場を後にする。
今にも流れそうな涙を、砕けそうな心を、握った体温の高い小さな手が癒してくれた。
***
サクラが眠った後、流れ出した涙を止めることができなかった。
何に対して泣いてるのか、自分でも理解できない。
彼に再会できたこと、彼がサクラを褒めてくれたこと、サクラに一瞬でも父親を見せられたこと、彼から侮辱され、施しをされそうになったこと、それでも彼を愛している自分。
そのどれもが、涙の理由であり、また、違うような気がした。
ただ、ただ、泣きたかった。
また明日から、私とサクラの新しい生活を始めるんだ。
流れ続ける涙を、止めることはできないけど……私にはサクラがいてくれる。サクラのためになら頑張ることができる。
この道を選んだことを、絶対に後悔したくない。
今日の涙は、明日の糧にしよう。
***
コンコン―――
「……ん……。」
いつの間にか、泣き疲れて眠ってしまっていた。
コンコン―――
外から控えめなノックオンが聞こえる。
眠ってしまっていたので、正確な時間はわからないが、もうだいぶ深夜に近い時間だと検討はつく。
正直怖い。しかし、サクラが寝ている。このままノックオンが続いたら起きてしまうかもしれない。起きてしまうならまだしも、危険なことに巻き込まれたら……。
覚悟して玄関に向かう。ただし武器になりそうな麺棒を持って。
「……どちら様ですか……。」
「夜分にすみません。私です。」
「!!!」
どうしてこんな時間に彼が……?
自宅の場所は伝えていないはずなのに……。
キィ―――
「何の御用ですか?給金なら必要ないと、昼間伝えたはずですが?」
扉を開けて、矢継ぎ早に伝えた。
邪魔をされたくなかったから。私とサクラの生活を……。
彼はこの国の王子様で、一市民の私の生活なんて、きっととっても貧相に映るだろうから……。
昔、こんなレベルの低い女を相手にしていたなんて、思われたくはなかった。
「……そのことで来たわけではありません。」
「では、何の要件ですか?娘も眠っていますし、こんな時間に来るなんて、いかに王子様といえど、失礼ではないですか?」
「……確認をしないで、扉を開けるなんて危険ではないですか?」
「は?」
「ただでさえ、女性と子供の二人暮らしという危険な状況なのに、あなたに危機感はないんですか?」
「へ?」
「だから、私に付け込まれたんではないんですか?そのくせ、希望を与えておいて、逃げ出すなんて……そんなに私が憎かったですか?嫌いですか?」
「……何を……言っているのかわからないんですが……」
「わからない?ええ、あなたにはわからないでしょうね。私があの時感じた絶望感なんて、やっと手に入れたと思ったものが、朝には泡のように消えていたんですから。探して探して、でも見つけられなくて、こんなに時間がたってしまったんですから。」
なんか、よく分からないけど……とりあえず入ってもらった方がいいのかな?
このままだと、たとえ、家と家の距離が離れてる田舎でも、近所迷惑になりそうだ。
「…………話が有るのでしたら家の中で聞きますが……。」
「そんなに簡単に、男を家に入れるのですか?また、期待させる気なんですか……。私はそんなに易く見えますか?」
易くなんて見えない……。
みえないから……あまりにも立場が違うから……なにも言わずに離れることしか出来なかった。
それ以外の選択肢を知らなかった……。
「!!!……どうしたんですか?」
「……え……。」
知らず知らず涙が流れていた。
涙に驚いた彼が声をあげる程度に……。
泣きつかれて眠るほど泣いたのに……もう泣けないと想っていたのに……彼のことでは、涙は枯れてはくれない……。
「……泣きたいのはこっちです。」
「え?」
そういいながら彼は、暖かい指先で私の頬につたう涙を拭う。
久々の触れあいに胸が高鳴る。涙なんて直ぐに引っ込んだ。
「……この涙は、私の為に流してくれているのではないのですか……?なぜ、私の前から居なくなったのですか?」
とても辛そうな、悲しそうな顔で彼が問う。
「私には、あなたがどうしたいのか、どうしたらあなたの希望に沿うことができるのか、……あなたをこの腕に抱くために、何をしたら良いのかが、わからないのです。」
「……。」
「……愛する人を手に入れるために、私には何ができるのか教えてください。そして、今度こそ私にも真名を 、あなたに告げさせてください……マルチナ。」
愛しい人の姿がぼやけていく。引っ込んだと思っていた涙が、堰を切った様に溢れ出す。
伝えなければならないことがあるのに、漏れる声は嗚咽ばかり。
「……っ……ぅ。」
「……あなたが泣き止むのを待つ時間くらい、これまでの時間に比べれば些細なものです。好きなだけ泣いてください。……でも、そのあとにはあなたの言葉を、想いを聴かせて下さい。」
そう言いながら、彼の優しい暖かな手は、私の頬を何度も何度も撫でる。涙を拭うために………。
***
それからどのくらいの時間が経ったであろう。
私は玄関先で泣き続けた。
リビングで落ち着いて、彼に背後から抱き締められながら、話をする頃には、深夜というに相応しい時間となっていた。
泣き続けたことで、声も嗄れ、目は腫れ、とても人様に見せる姿には相応しくないが、待ってくれた彼に申し訳無い。あと、抱き締めるのをやめてほしい。
話なんて、恥ずかしくてできない。
「……いったい、何から話せばよいのでしょう……。あ、あとできれば離してください……。」
「あなたが話したいことからで、構いませんよ。ああ、それとその提案には賛成出来かねます。逃げられたらかないませんから。」
無茶苦茶だ。一応話す気はある。たぶん逃げない。……たぶん……。
「……あの……では、なぜシオン様は此方へ……。」
「……。」
しまった。これは、わたしからの質問だ……。言ってしまってから後悔した。
「……わかりました。私が、あなたの質問に答えるのだから、貴方も私の質問に答えてくださいね。」
彼の提案に頷く。
「黙秘はなしですよ。」
その提案には、頷くことができなかった。
「まぁいいでしょう。ええっと、何でしたっけ?私がここに来た理由でしたっけ?そんなことは、決まっています。あなたがここにいたからですよ。探して、探して、やっとの思いで見つけたからです。たまたまこの地方に査察に出ようとしていた、母に理由を話して、一発殴られて、査察を代わって貰った。それだけです。」
……神子様……結局、殴ったのですね。
「今度は私からの質問ですね。なぜ私の前から姿を消したのですか?」
その質問は、サクラの事を話さなければならない。私には、答えることが出来ない。
「…………。」
「……答えられませんか……。私も焦り過ぎていますかね……。では、質問を変えます。貴方が居なくなって、私が探すとは思わなかったのですか?」
前の質問に答えられなかった。今回も黙秘とはいかないだろう。
「……正直思いませんでした。居なくなったベビーシッターなど……多少気になっても、すぐに忘れると思っていました。」
「それは、私が何の気持ちもない女性に手を出すと、思っていたということですね……。」
「そ、そんなことはありません‼……ただ……私などとるに足らないと……。」
「……その言葉が、肯定ですよ…………。」
彼が自傷気味に笑う。
「だって、あの時……シオン様は、何も言ってくれなかったじゃないですか!!み、身分だって私よりもうんと上の人に抱かれて、何にも言ってくれなくて、あ、遊びだって思ってもしょうがないじゃない。それに、貴方は私に対してずっと敬語で……心を許して貰っていないんだと……。」
「……それが、あなたからの質問ですか?」
「そ、そうです‼」
「……言わなくても伝わっていると、思っていたんです。」
「え……。」
「元来俺は話をするのが得意じゃない。」
「……今……俺って……。」
「……あなたが、こんなことで安心するならいくらでも。敬語は、もう癖みたいなものですが、できる限り頑張ります。あと、言っておきますが、安心できない人と、無言で過ごす趣味はないですし、気を許してない人の前で裸になれるほど、危機感のない人間ではないから。」
「そ、そんなこと言わなきゃわかるわけないじゃないですか……。」
「あなたといると気が休まります。安心するんです。この気持に名前を付けるなら……愛でしょう?それに、竜族は一目ぼれ気質なんです。あなたに初めて会った時から俺は、運命を感じていましたよ。」
彼は嬉しそうに、私の髪に頬擦りしたり、鼻をうずめたりしている。
「貴女の気持ちはどうなんです?俺と同じだと思っていいのでしょう?」
見なくても分かる。私の顔は間違いなく赤いだろう。
でも、このまま彼の問いに答えていいのだろうか?彼には、これからこの国を背負っていく使命がある。私が無責任に、彼の人生を決めることはできない。
そんなことを悶々と考え、答えることができなかった。
「俺の生まれとか、貴女の生まれとかそういうものを関係なしに、あなたの素直な気持ちを教えてください。それさえわかれば、後は俺が何とかするから。頼むよ。」
私を抱きしめる彼の腕に力が入る。彼の手から想いが、伝わってくるように感じた。
「……好きです。世界で一番……。シオン様が好きだから、離れなくちゃいけないと思ったの。私には、あなたがくれた宝物と、この想いがあるから……たとえあなたとともに、この先を歩むことができなくても、ずっと、頑張っていけると思ったの。」
たくさん泣いたはずなのに、話している途中から涙が流れ出す。
「でも、やっぱり想像したよ……。一緒に居れたらって……。サクラのことを伝えていたら、喜んでくれるかなって……。出産の一番つらいとき、手を握ってくれたのがシオン様だったらって……。いっぱい、いっぱい、想像したんだ。」
息ができなくなるくらい、強く抱きしめられた。彼からの言葉はない。
……ただ、背後で静かな嗚咽が聞こえ、首筋に時々冷たい滴が落ちた。
私は静かに抱き締められていた。彼の気持ちがまだ少し、わからなかったから。
ただ、同じ気持ちであればいいと、思ってはいたけれど。
***
それから、時間にして10分くらい経っただろうか……私を拘束するうでの力が緩んだ。
「……時間をとらせて、ごめん。次はあなたの番ですよ。」
「……シオン様は、わざわざこんなところまで来て、こんな話をして、どうするおつもりですか?」
本当に不思議だった。王位継承権第一位の王子様が、こんな片田舎にきて、昔の女と気持ちを確かめ会う意図が、いったいなんなのか。
「え?わからないんですか?そんなことは決まっています。あなたと、俺のかわいい娘と、暮らすためです。」
「!!あの子は貴方の子では……。」
弾かれるように後ろを振り向いて、言い訳を言おうとした唇に、一本の指が押し当てられた。
「その言い訳は聞きません。先程あなたが話してくれたでしょう?妊娠を伝えていたら、喜んだろうか。産むときに、手を握っていてほしかったって。それは、子の父親の役目でしょう。それに、たとえ俺の子供じゃなくたって、貴女の子供なら愛せる自信がありますよ。何しろ俺のすべてで、貴女を愛してますからね。それに、あの子の首についてる呪具も、この家の呪具も、あの夜あなたがつけていた呪具も、すべては竜の気を封じるための物です。それが、どんなことかわからないわけないじゃないですか。」
「でも、貴方はこの国の王子様で……。」
「そのことなら心配ありません。俺はすでに王位継承権を放棄しています。明日からは、この地方の領主です。」
「へ?」
「面倒だとは思いますが、一緒に暮らしたいので、明日の朝から引っ越しをお願いしますね。もちろん、領主の城に。仕事は続けていただいても、やめても構いません。ただ、領主の奥さんの仕事もなかなか大変ですよ。あの子の保育園はどうします?」
「お友達がいるみたいだから……できれば行かせ続けたい……。ってそうじゃなくて!!」
「じゃあ護衛を付けなければいけませんね。」
「今、王位継承権を放棄って……。ど、どうして……。」
「運命の相手がいて、その人との間にかわいい娘がいて、他の世界から人を呼ぶ必要性はないと思いますが?」
「じゃ、じゃぁ王位はディラン様が?」
「うーん。ディランも継がないと思いますよ。本人が気づいてるかは別として、気になっている相手がいるみたいですから。他にも王子は2人いるんですし、その中で誰かが継ぐか、双子のどちらかが婿をとるか、どうにでもなるでしょう。」
「でも、でも……。」
「貴女が気にするようなことはないんです。それに、俺はここに来るとき、母に一人の女性を一時でも不幸にしたこと、男としての覚悟が足りなかったこと、土壇場で相手に頼ってもらえなかったことが、どういうことなのか、殴られた後、懇切丁寧に説明を受けましたよ。」
神子様素敵……。トキメキを感じてしまう。
「?どうかしました?」
「い、いえ……なんでもありません。」
「そもそも、この地方にあなた達が送られなのは、国境近くで警備を多少は気にしなくてはいけなくて、将来的に俺が領主に収まっても、異論が出ない地方だというのも理由です。もちろん、隣国とは平和協定を結んでいますし、あなた達の身の安全を保障できる地域ですがね。」
「そうなんですか……。」
「そうなんですよ。だから、あきらめて俺のお嫁さんになってくれませんか?」
進撃な瞳で言われたら……もう、あきらめるしかない。
「……私……真名をマルチナと言います……。」
あの時は怖くて見れなかった、彼の顔を見ながら伝えた。一瞬、怖くて目を伏せそうになった。その瞬間、今まで見たことないような笑顔で彼が答えた。
「俺の真名は、シリオン・フィードです。」
「シリオン様……。」
「様はいりません。ぜひ、二人の時はシリオンと呼んでください。」
「そ、そんなことできません。」
真名を教えてもらえたからって、私は平民だ。王族の彼とは違う。呼び捨てなんてできるわけない。
…………彼からの無言の訴えがすごい。美形の目力ヤバい。
「……なれるように努力します……。」
「では、そのようにお願いします。」
「はい。」
時間も時間なのだが、いろいろありすぎたせいか、安心したら眠気が……。彼の腕の中で船をこぎ始めてしまった。
「おや、眠いんですか?」
「……はい……。」
もう答えるのもやっとである。
「仕方ないですね。寝室はどちらですか?。」
「左から……2番目の扉……。」
答えた後、体がフワリと浮いた気がした。心地よい揺れが体に伝わる。あっという間にやわらかいベッドの上についた。サクラが先に寝ていたおかげか、子供の体温でとても温い。
「今夜は、このまま泊まっていきますよ。明日の朝一番に、俺のことをサクラに紹介してください。」
本当に眠くて、彼の言っていることなんて、理解もできていなかった。
「……ぅ……ん……。」
クスっと笑った気配がした。
「仕方ないですね。おやすみなさい。」
優しく髪を撫でられて、思わず笑みがこぼれる。
私には、この後の記憶がない。
だからこそ、朝起きて隣に寝ている人に驚くことになるのだ。
***
「仕方ないですね。おやすみなさい。」
彼女の髪を撫でながら告げた。
髪を撫でられるのが心地いいのか、彼女は笑う。とても暖かい気分に満たされた。しばらく、彼女の髪を撫でて、彼女の隣で寝ている娘に目を移す。
娘を見たとき、確信した。自分と彼女の子であると。何しろ娘は幼いころの自分に瓜二つで、それだけでも十分に親子関係を証明していた。それに、この子の首からかかる呪具は、とても特殊なもので、竜王しかその秘術を伝承されない。何の関係もない子にこんなものを、父が渡す必要もない。
では、なぜ彼女は俺の前から姿を消したのか。
今となっては、気持ちを伝えなかったことが、一番の原因であると理解できる。
しかし当時は、彼女から真名を告げられ、舞い上がっていた朝に、彼女がやめたという知らせを母から聞いて、冷水を浴びせられたような気分だった。彼女に逃げられてしまった夜は、明日があると、明日でいいと単純に考えてしまった。当たり前のことなど何一つないのに……。
その時神子である母に言われた。
『自分が何をしたのか、よく考えなさい。彼女があなたの前からいなくなったのは、当たり前のことよ。自分の大切な人も守れないくせに、一国なんて背負えるわけがないわ。もちろん、私たちは彼女の居場所は教えない。会いたいなら、自分の力で探しなさい。そして、彼女に謝りなさい。一緒に居たいなら、土下座してでも頼みなさい。あなたがしでかしたことは、そういうことよ。まぁ、あんまり時間かかると、彼女かわいいから素敵なお相手が見つかるかもね。』
探して、探して、やっとの思いで見つけることができた。父に話をつけ、この地方に行こうとしていた母に頼んだとき、拳が飛んできた。
『やっとわかったのか、バカ息子!!!とっとと行け!そして、彼女たちに謝り倒せ。一生をかけて償え。』
彼女たち?その言葉に疑問を感じ得なかった。そしてわずかな期待も。
この地方に来て、彼女を見つけ、その娘の名前を聞いたとき思い出した。
『お母さんのいたところでは、春になると薄紅のきれいな花が、いっせいに咲き乱れるの。できることならもう一度見たいわ。』
その言葉を聞いた父が、母を強く抱きしめていた。まるで、帰さないとでも言うかのように。
『大丈夫。もう一度見たいけど、ひとりでじゃなくて、あなた達家族とよ……。花言葉もとってもきれいなの。』
この話を母が覚えていて、意図して名前を付けたかはわからない。
けれど俺へのヒントであることは確かだった。
二人の寝顔に誓いを立てる。
「とても大切な二人に、今まで苦労を掛けてごめん。これからは、俺が君たちを守るよ。君たちが泣かない。笑顔でいられる場所を作るのが、俺のこれまでの償いと、発破をかけてくれた、母と父への感謝の気持ちだ。」
***
幸せな朝が来る。
愛おしい人から真名を呼ばれ、夢から覚める。
かわいい娘から、遠慮がちにパパと呼ばれ、抱きつかれる。
そんな毎日が、これからずっと続いていく。続けていく。
君があの夜、真名を告げなかったら、俺はこの幸せをあきらめていたかもしれない。
名を告げてくれてよかったよ。本当にありがとう。
ディラン編もプロットはできてるのでいつか……。頑張ります。