【おまけ】リスタート
「好きだ」
そのたった一言を聞きたかった。
ずっと、ずっと、言ってほしかった。
私は蓮司さまに好かれたかったのだ。出会ってから、この十五年、願い続けた。そしてそれがようやく叶った。
叶った。――だけど今は素直に喜べない。
日曜日。蓮司さまの部屋を訪れていた。
私が見たがっていた映画のレンタルが開始になり「貸りてきたからおいで」と連絡が入ったのは昨日のことだった。本当は映画館の巨大スクリーンで見たかったけどロードショー中はいろいろあって結局行けず見損ねていたものだ。新作はすぐに貸し出し中になってしまうというのに、蓮司さまは初日にしかとゲットして私に連絡をくれたらしい。
そして、私は蓮司さまのところへやってきたのだけれど。
訪れると、テーブルの上にはポップコーン(塩味とキャラメル味の両方!)とチュロスとホットドックとゼロカロリーコーラが置かれてある。映画館で販売しているような品であるとわかる。見に行けなかったからせめて映画館っぽくしているのだろうことも。
私がソファに座ると、蓮司さまはDVDのリモコンを操作して再生ボタンを押す。
新作映画情報が流れ始めたのを確認するとリモコンを置いて私の真隣に腰を下ろす。隙間なくピタリと本気の隣だ。私はむかっとしたけれど一度は我慢する。そしたら今度は腕が私の背中に回され腰の辺りを抱かれる。
「蓮司さま。」
堪えきれず非難する。見上げる蓮司さまの表情はしれっとしている。
「なんだ。どうした」
「どうしたじゃないよ。近いし。もうちょっとあっち行ってよ」
「いいだろう。別に」
「よくないでしょ! 付き合っているわけでもないのに」
そうだ。私たちは付き合っているわけではない。かつて、付き合っていたことはあるけれど別れたのだ。今は、恋人でもなんでもない。……そりゃ、毎週末一緒に過ごしているけど。事実上、それはもう恋人だよ、と友だちにも言われるけど。でも、正式に言葉にして「もう一度付き合う」とは言っていない。だから付き合ってない。今日だって、私は映画を見るという目的で来たのであって、恋人と休日を過ごすためにきているわけではないのだ。
「……紫」
蓮司さまは私の発言に気を悪くするでもなく静かな声で名を呼んだ。
「何?」
私の声はふてくされているように響く。
「前々から一度、言っておこうと思っていたのだが、確かにお前は俺に『別れる』と言ってきたが、俺はそれを了承した覚えはない」
「……そんなのへ理屈だよ。私たちは別れたじゃない。別れるって言ったら蓮司さま引き留めなかったし、反論もしなかった。それは別れを受け入れたってことでしょ。今更、そんなこと言うなんてズルい!」
「ズルくてもなんでもよい。俺はお前とは別れてはいない。付き合っているのだから腰を抱くぐらい別によいだろう」
蓮司さまは私の「ズルい」という非難をするりと交わし、腰を抱く手に力を込めてくる。私はますます頭に血が昇る。
「よくない!」
「何がよくないのだ」
「よくないよ! 仮に別れていなかったとしても、これまで一度だって蓮司さまは腰を抱いて来たりなんてしなかったじゃない。だから、よくない。」
言葉にしてみて、私はようやく自分が何に腹を立てているのかわかった気がした。
私がイライラしていたのは、付き合ってもいないのに引っ付かれることではなく、付き合っていた頃に恋人らしい振る舞いをしてもらえなかったことが悲しかったのだ。
――ああ、
わかってしまえばどっと力が抜ける。
好きで、好きで、追いかけて、でもきっとこの恋は叶わないと諦めかけて、それでもどうしても諦めきれず、自分一人ではどうにもならないと思った私は二十歳の誕生日に蓮司さまに告白をした。それまでも気持ちを告げてきたけれど、子ども扱いされて一度もまともにとりあってはもらえなかった。だから、二十歳になって、成人した日に告白を。それで大人として振られる。そしたら今度こそ諦められるのではないかと覚悟して。――ところが、蓮司さまは私と付き合ってくれた。夢みたいだった。嬉しくて涙が溢れた。
でも、付き合ってからも蓮司さまの態度は何も変わらない。私を恋人扱いしてくれたことはなかった。ただ、恋人という呼称を与えられただけ。
同情されているのだ。
私が好きだ好きだと言い続けるから、仕方なく付き合ってくれたのだ。
そうだったとしても最初は同情でもいいと思った。蓮司さまの一番近くにいる。それならばいいと思えた。でも――心はどんどん欲張りになっていった。ただ好きでいた頃より、付き合ってからの方が欲深くなって、私は不満を感じるようになった。好きな人に好かれていないという現実がたまらなくなっていった。そんな矢先、あんなことがあって、私は別れを決意したのだ。
あの頃、少しでも今みたいにしてくれていたら辛い気持ちにならなかったのに――ようやく私を見てくれようとしている今を嬉しいと感じるよりも、かつてのことに憤りを覚える。そんな子どもじみた八つ当たりに支配されている。気づいて、情けなくなる。でも、情けなくなったところで、生まれた感情が消えてしまえるかといえばそんな簡単ではない。愛憎というものなのか。蓮司さまを好きであった分、許せないという思いが私の中に広がる。
「そうだな」
蓮司さまは私の弁に深く頷く。
「本当に、どうして俺はもっと素直にお前を可愛がらなかったのかと今は悔やまれる。もう後悔するのはごめんだ。だから、」
そこまで言うと、蓮司さまは腰を抱く腕に更に力を込めて私をぎゅっと抱きしめた。広い胸に包まれて身動きとれない。
「大事にする。二度と、寂しい思いはさせないと誓う。だから、もう一度俺と付き合ってほしい」
ふいに、涙が溢れそうになる。
そんな言葉を、蓮司さまが言ってくれる日がくるなんて。
あれほどひねくれた気持ちを抱いていたのに、現金すぎるとは思うけれど、言葉の裏側にある真剣さが真っ直ぐに心に落ちてくると私の内にあるイガイガした感情を溶かしてしまう。でも、それでも完全には溶けきれないでいる棘が、
「もう一度付き合ってほしいってことは、やっぱり蓮司さまも別れたって思ってるんじゃない」
そんな可愛くないことを言わせる。
けれど、私の可愛げのなさに蓮司さは怒るどころか小さく笑い、
「ああ、そうだな。付き合ってくれるというなら、一度は別れたということにしてもいい」
「……なにそれ。もう一度付き合うと言えば別れたってことにしてもよくて、付き合わないなら別れを認めないって、結局どっちも『付き合ってる』って状態になってるじゃない」
「そうだ。好きな方を選ぶといい。俺はどちらでもよい」
「どちらでもって、どっちも同じでしょ。選択肢になってないよ!」
私は抱きしめられた状態から身じろぎして顔を上げる。見上げると蓮司さまの顔がある。冗談めいて笑っているのかと思ったら、意外にも真顔だった。とても真剣な顔つきに私は息を飲む。
「映画が終わるまで時間をやる。じっくり考えて結論を出せ」
続けると、私を抱く腕を離してテレビに向き直る。予告編はすっかり終わり本編が始まるところだった。
「って、だから、これって選択肢になってないってば!」
私は叫んだ。でも蓮司さまはとりあってくれない。この無意味としか思えない選択肢からどちらかを選ぶしかないらしい。
――なんて勝手な!
そうは思う気持ちはある。でも、
チラリと横に座る蓮司さまを見る。その視線に気づいたらしく私を見てくる。
「蓮司さま、そんなに私と付き合いたいの? そんなに私のこと好き?」
なんとも傲慢な言い方だと思う。それでも、やっぱり蓮司さま嫌な顔をしない。そしたら、私は自分の依怙地な態度が今度こそ情けなくてたまらなくなる。本当は私だってこんな態度をとりたくない。蓮司さまの変化を素直に喜ばしいと思えない自分を、私自身どうすればいいかわからずにいた。ひねくれてしまった心を持て余していたのだ。
私の不遜な質問に、蓮司さまは笑った。かと思うと、また真顔になって、
「ああ、好きだ。――愛している」
当然のことのように何のためらいもなく言ってのける。
だから、私は言ったのだ。
「じゃあ、映画が終わるまでに、どっちにするか考える」
エンディングまで約二時間。――それが私たちの再出発のスタートになる。
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