初出勤④
10時になり、サーシェの娘のサーラがやって来た。
個室にお通しし、ヅッタとリンそして、総合医のノーマンが最後に来室し、扉を閉じた。
「先生、いつもお世話になっています。骨折した時も、肺炎を患った時も全て先生に診て頂けていつも心強いです。」
サーラがそう言って頭を下げる。ノーマンは柔和な表情のまま「いえいえ」と言い、そっと一つの紙をサーラに見えるように差し出した。
「お母さんのサーシェさんのお身体の中で起こっていることです。はっきりと申し上げますと、今はかなり苦痛を感じていると思います。しかし、鎮静をかけると血圧が下がりそのまま永眠される可能がとても高いです。このまま、治療を続けても苦痛が増すばかりだと判断致しました。また、治療を続けてもサーシェさんの体力も保たないでしょう。」
サーラはノーマンの顔を見たまま瞬きもせず、固まっている。
「サーラさん。お母さんは随分頑張りました。私はゆっくり眠らせてあげても良いのではと思うのです。現在の医学では今のサーシェさんの状態を劇的に良くすることはできません。サーラさんはどう思われますか?」
サーラの眼にみるみる涙が溜まり、瞬きをしないまま頬を伝っていく。ノーマンはピンと張った背筋を崩さないまま、柔和な表情のまま何も言わない。
サーラの口元が不自然に震え始め、嗚咽になる。手で眼を覆い隠し、噛み締めた唇からは時折しゃくり上げる声が聞こえるのみだ。ピンと張り詰めた空気の中、悲しい嗚咽のみが響き胸を締め付ける。
その時間が永遠に続くのではと思った時、
声にならない声でサーラが何か言った。
静まりかえった部屋なのにリンにはその声が聞こえない。しかしノーマンは頷き、
「わかりました。」
とサーラに言った。
「誰か他に合わせたい人は居ますか?鎮静をかけると意識がなくなってしまいます。わかる内に合わせてあげて下さい。」
「先生っ、母は苦しくなくなるんですよねっ」
「はい。ゆっくり眠ることができると思います。」
「夕方までにっ、母の友達を連れて来ますっ」
サーラは涙を必死に拭きながら答えている。
「サーラさん、涙が乾いたら一緒にサーシェさんの所に行きましょう。『身体が辛いと思いますので眠れるお薬を使います』と説明しようと思います。」
サーラは拭いても拭いても溢れる涙をハンカチで押さえながら頷く。
「先生っ、涙が止まらないと母が心配してしまうかしらっ」
「私が医師になった時からのお付き合いですから、何となくわかるのですが、もう気づいていらっしゃると思います。手を握って話しかけて『私は大丈夫』だと言ってあげて下さい。サーシェさんが心配なのは自分の身体ではなく、娘の貴方の今後だと常々私に言っていました。」
ノーマンが眉を寄せながらも口に笑みを作ってそう言うと、サーラは「おかあさんっ」と手で覆った口から叫ぶように言い、うつ伏せて泣き始めた。
リンも泣きそうだった。けれど、ここで泣くのは違うと必死に自身に言い聞かせ歯を食いしばって堪えた。
ノーマンもヅッタも言葉は何一つ発しないが、サーラを見守っていることがわかった。
リンには泣くことを堪えることしかできない。
それが情けなくて余計に泣きそうになる。
すると、ヅッタがゆっくりと椅子を立ち、
「香料の入ったオイルでサーシェさんに足のマッサージをしようと思っています。足がかなり浮腫んで辛そうなので。良かったら、サーラさんも一緒にしませんか?」
と優しく言う。サーラはゆっくりと顔を上げて、掠れた声で「はい」と言い、力強く目元を擦った。
そして眼を真っ赤にしたまま、
「母と話したいことがたくさんあるわっ、母の友達に電報を出して来ます。いつまでも泣いていたら、母に会う時間が減るばっかりよっ」
と言い、勢いよく立ち上がり一礼して部屋を出で行く。
「説明はサーラさんが帰って来たからするよ。ヅッタ、マッサージを頼む。」
ノーマンがフランクにヅッタに話しかけ、
「承知した。何かあれば介助につくから言ってくれ。」
とヅッタも返す。ノーマンはリンにも「宜しく頼むよ」と言い部屋から退出して行った。
「ノーマン医師とは同期入職なんだ。歳はノーマンの方が3つ上だ。ほら、行くぞ。下肢のマッサージは学んだことがあるだろう。」
リンは気持ちを切り替えるように元気よく返事をし、香料の準備に走る。
ーー何も出来ないんじゃない。
やろうとしなかっただけだ。
目の前の患者から眼を逸らして嘆いて逃げようとした。泣くことを堪えることしか出来ないと自身を卑下する時間が勿体ない。
辛いであろうサーラが目の前で奮起したのを見てやっと目が覚めた。
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重い展開が続きますが、後の章ではファンタジー要素や恋愛がやや多い展開になっていくと思いますので、目を通し続けて頂けると嬉しいです。




