飛び出す勇気
「そのとおりだ。お嬢さんの背景を知る努力をカイルがしていたなら、決して『愛人』という言葉は選ばなかっただろう。それに、愛は免罪符ではない。『好きだ』という気持ちの消化や伝え方を間違い、気持ちを相手に押し付けてしまった。感情をぶつけられ怖かっただろう。」
カイザル様の言葉に頷くと涙が頬をつたって行く。
「貴族主義な文化が良いとカイルが言うのであれば、サンセーレ国に行けばいいと言っている。今度は貴族ではなく、ただのカイルとして。貴族と平民を差別することがどういうことなのか理解した上でその文化に共感するのなら止めはしない。
お嬢さんが祖国を勇気を出して飛び出したように、どうしてもその国では生き辛いのなら、カイルも馴染める文化がある国へ飛び出すべきだ。それをカイルが拒み改革もしないというのなら、思想や文化を自分の都合の良いところだけ切り取り利用した甘えだ。そう思わないかい?」
ハンカチをカイザルは自ら差し出し、リンに手渡した。
「私もそう思います。
住み慣れた国を離れることは勇気が必要だったけれど、私の大切な人や自分自身を大切に出来ない文化に耐えきれず、私は祖国から逃げました。でも、カイル様にとってラージリアがそうであるとは思えません。サンセーレ国へ行ったとしてもカイル様は苦しむだけだと思います。」
ハンカチを恐る恐る受け取り涙を押さえる。
「例え、お嬢さんが言うようにそれが逃げだとしても、勇敢な撤退だよ。自身を粗末に扱う所に身を置く必要はないと私は考えている。そして、カイルの事を考えてくれてありがとう。サイモン、例のものをお嬢さんに。」
カイザルが指示を出すと涙の跡が消えぬリンの前に本が数冊置かれた。
「これは衛生師になるために勉学に励んでいるお嬢さんへ。せめてもの謝罪の品として受け取ってほしい。」
「そんな、受け取れません。どれも高価な本です。」
首を横に振り本を遠ざけようと手を伸ばすと、サイモンが、
「これは旦那様より後継者から外す事を明言された後にカイル様自身が謝罪の品として選ばれたものです。すぐに、考えを改めることは難しいでしょう。ですが、変わっていけると信じております。その一歩として選んだ品は、今までの贈り物と違い、リン様をちゃんと見て選んだと思えるものです。どうか餞別だと思って受け取って下さい。」
と言い、本にリンの手が触れる前にもう一度リンの方に本を押し出す。
「リン、迷っているなら受け取らなくてもいいんだよ。謝罪の品なんだから、受け取ったら謝罪を受け入れるという意味になる。」
リンはヨーゼフの言葉を聞いてそっと本を手に持ち、
「謝罪を受け入れます。カイル様の心が健やかでありますように。」
カイザルは優しい声で「ありがとう」と言った後、
「カイルは出生を隠して再度サンセーレ国にしばらく留学する。もう一度、自分自身がどこでどのように生きたいか選択してもらいたい。お嬢さんが本を受け取り『心が穏やかでありますように』と言っていたと伝えるよ。カイルからお嬢さんへの謝罪は留学が終わった後に手紙を書きたいとのことだ。随分と後になると思うが受け取ってやってほしい。」
と続けた。
「もう謝罪は結構ですがカイル様がそうされたいのなら。」
カイザルは「そのハンカチも貰ってくれれば嬉しい」と言い、眉間に皺を寄せ何かに耐えるような表情をしているサイモンに、
「カイルの処分が強過ぎるのではとサイモンは言ったな。カイルが幼い頃から世話を焼いているのだから、気持ちはわかる。だが、領主であり貴族であるバクスターの息子だ。その権限だけを享受することはできない。しでかした事の処分もそれ相応に強くなければ、信頼を失う。わかってくれるな。」
と友に言い聞かせるかのように言った。
「わかっております。旦那様がお決めになったことに私が意見すべきではありませんでした。ただ、止められなかった自身を悔いているのです。申し訳ありません。」
サイモンが眼鏡の奥の瞳に涙を溜めているように見えた。
「店の主人と奥方にも補償をしよう。」
「いいえ、それには及びません。今日、カイザル領主が訪れるため店を貸し切るとすでに噂になっていて、宣伝して頂いたようなものなので。」
席を立ちヨーゼフが「是非何か召し上がっていって下さい」と言うと、
「有り難くそうしよう。そう言えば、パンケーキが美味しいと聞いたな。チョコレートと蜂蜜どちらにしようか。サイモン。」
カイザルがサイモンにメニューを問う。
「いいえ、私が同席など。」
「今日この時だけでも何十年来の友に戻ろうじゃないか。カイルの昔話も話したい。私はチョコレートにしようか。」
サイモンは苦笑しながら、
「私は蜂蜜にします。坊ちゃんが美味しいと言っていたので。」
と言い、カイザルと和やかに話し始めた。
マリナは「今日は黙っててほしいって言われてたの。口が開かなくなるかと思ったわ!」と小声でリンに話しかけ、
「注文飛ばさなきゃね!」
と優しく背を叩く。
「…はい!ヨーゼフさん!パンケーキチョコレート1、パンケーキ蜂蜜1です。お客様、ドリンクは如何なさいますか?」
リンは笑顔で起立し、店員の口調で大袈裟に言った。
「気が利く店員だ!ホットコーヒーを2つ頼もう。」
カイザルも芝居めいた口調で追加注文してくれた。
チップ等渡されたことはなく断ったが、「素晴らしい店員さんに」と押し切られ、初めてチップを受け取った。
そして、配膳されたパンケーキとコーヒーを2人とも「とろける食感で美味しい」と絶賛して帰って行った。
その日からカイザル領主がパンケーキを召し上がり絶賛したと噂になり、しばらくおやつ時も混雑し、休憩を中々取れなくなってしまった。
マリナが「売上は上がったけど、こう忙しくちゃ、ありがた迷惑だわ」とヨーゼフが居ないところでボヤいていて何だか可笑しい気持ちになったのはリンだけの秘密だ。
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