侮辱
ユリアとテオと別れてから、日中から夜通し課題のレポートの作成に宛てた。
『災害時の緊急招集下にて自分の家族を家に残し勤務することについて倫理に基づいた考えを述べよ』
【衛生師としての職務の全うと、大切な人を案ずる思い、それは時と場合によって変化する。どちらを選んでもどちらかに倫理的に批判されることは免れない。なぜなら、一方は職務を放棄、また一方は危険時に家族と離れる選択を取るのだから。
自分の家族を家に残し勤務することについて倫理に基づいた考えを述べるならば、他者の結論を決して批判をしてはいけないと答える。家族を残し勤務する事は「自己の安全の確保」の面から考えても衛生師としての倫理であるとは言い切れないからだ。】
ここまで書いて漸く筆を置いた。
こんなことを書いて単位が貰えるのだろうかと思ったが、考え抜いてこれがリンが思う衛生師の倫理だと思ったため、書き直すことはしなかった。
明日には提出できそうな課題のレポートを見て、これが採点され返って来るまで心配で気は晴れそうにないなっと思わず苦笑する。
ふと、窓の外を見ると三日月が見える。
やがて月は沈み太陽が昇り、レポートは完成した。
また、寝不足での出勤となってしまったが、身体は動く。レポートの件も出してしまえば、引き返せないと割り切れるだろうと思い、考えないことにした。
今日もおやつ時にカイルがやって来た。
そして、リンの顔を見るなり、
「寝てないだろ?そんなに辛いのか?」
と心配そうに顔を覗き込んで来た。
「いらっしゃいませ。いいえ、辛くありません。」
「いいや、辛そうだ。そんなに辛いなら学校など行かなければいいのに。」
頑張っていることを否定されたようで一瞬むっとしたが、
「資格を取るには必要なことです。資格を取る者が皆通る道です。」
と冷静に言う。しかし、
「それなら、資格を取るのを辞めてしまえばいい。俺はもう伴侶達を選べる権利くらいある。」
「人が努力していることを簡単に辞めればいい等と言わない方が良いと思います。それに、伴侶達?ラージリアは一夫一妻制です。」
なぜ、腹が立つような事ばかり言うのだろう。そして、なぜ「伴侶達」と複数系なのだろうと疑問と憤慨が同時に湧いて来る。
「俺はカイル・バクスターだ。知らなかったのか。このバクスター領の嫡男なんだから、正妻は貴族から取るとして、愛人達の生活を保証できるくらい訳ない。」
そう平然とカイルが言った様を見て祖国を走馬灯のように思い出した。
ーー『おまえは本命じゃないって、私が浮気相手だったの』と泣くロザリー、『花嫁修行中のいい勉強になったじゃないか』と二股男を誰も責めない大人たち、『養われる身なんだから浮気の一つや二つ見て見ぬふりしなきゃ』と幼なじみの味方をしないマリウス、『もう信じられない。結婚したくない』と憔悴していくロザリー。大きい通りで事故があったと騒ぎ出す人々。血溜まりの中で倒れたまま動かないロザリー。『あれは自殺じゃない!事故だ!』だから、なんだと言うのマリウス。
「ゆるさない。」
心の声が呟きとなって出て行く。
「今何と言った?」
「許さないと言ったの。」
本気でわからないと首を傾げているカイルに掴みかかりたくなる衝動を抑え、
「私に好きだといいながら、愛人にするために店に通ったことを許さないと言ったの!」
と叫んだ。
「それは俺の自由だろ!なんだ、愛人が気に食わないのか?しょうがないだろう。貴族の愛人になれるチャンスなのだから喜ぶべき名誉だ。」
「ふざけないで!人を馬鹿にするのも大概にしなさい!貴族の血の何が偉いというの?人の血は皆んな等しく赤色だわ。貴方は私自身のことを何も見てはいない。ただ、物を押しつけて帰っていただけだったのよ!」
「人の親切をそんな風に言うなんて、平民も偉くなったものだな。」
侮蔑を含んだ言葉を吐くカイルに威圧されていると、騒ぎを聞きつけ、
「そこまでにしなさい!自分に流れている血が偉いと勘違いしている血統主義者めっ!ラージリアで貴族だから愛人を囲うなんて聞いたことがないわ。このバクスター領の嫡男?お先真っ暗よ!この店から出て行きなさい。」
マリナが助けに来てくれた。
「俺達はリンの身元引き受け人だ。よくも、学びに来ている学生に向かってそんなことが言えたものだな。領主様に意見書を出しておくよ。もう、店には入って来るな。」
ヨーゼフもリンを庇う。
「見上げた根性だ。この小さな食堂など、直ぐ潰してやる。」
そう吐き捨てるカイルを見て、今まで鬱陶しく付き纏っていた時も人の話を聞かない人だったと思い直した。
互いに睨み合っていると、
「カイル様。留学先の文化に染まり過ぎです。あれほど、『自身に都合が良いと思うことに流されてはいけない』と旦那様が仰っていたのに残念です。」
いつの間にか店内にいた初老の男性が声を出し、護衛と思われる屈強な男達がカイルを囲む。
「先に馬車に乗せなさい。旦那様には今見て聞いたことをそのままご報告します。」
カイルが何か言う前に男達はカイルを店から担ぎ出した。
初老の男性は胸ポケットから名刺を取り出し、ヨーゼフとマリナ、リンに渡し、
「私はバクスター領領主であるカイザル様の執事のサイモンと申します。この度はカイル様がとんでもない侮辱を致しました。私から先に謝罪させて下さい。申し訳ありません。」
と頭を深々と下げた。
「許されることではないわ。」
とマリナは容赦なくサイモンに言う。
「仰る通りでございます。店への脅迫までなさいました。言い訳になりますが、カイル様は跡取りのためサンセーレ国に留学し麦の生産を学び帰郷したばかりでこの食堂に訪れました。麦の生産に関してはも貴族主義に関しても深く学ばれたようです。帰郷され行動に変化が現れ私共も驚きました。貴族主義の思想へ何かと逃げるようになってしまわれたからです。以前から旦那様は『自身に都合が良いと思う思想に流されてはいけない』と言い聞かせていらっしゃいましたが、見事に流されてしまいまして、この様です。」
ヨーゼフが、
「話だけは聞きましょう。謝罪は受け入れません。何があっても意見書は出させてもらいます。」
と強固に言いながらも、着席を薦める。
「わかっております。ありがとうございます。カイル様はリン様に一目惚れなさいました。それは本当です。しかし、リン様がカイル様に心を動かさない様子を見て、正妻が駄目なのなら愛人として援助を持ちかけ囲おうという『自身に都合が良い』貴族主義を持ち出し、関係を築こうとされたのだと思います。我々は本当はわかっていらっしゃると信じたかったのです。バクスターの嫡男に生まれ流れるその血が偉いのではなく、バクスターの嫡男としての重責を背負い責務を果たす事こそが偉大だと言われる由縁だと。そのため、ずっと張り付いて監視しておりました。ご不快であったでしょう。誠に申し訳ありません。」
「カイル様はどうなるのですか。」
リンはぽつりと聞いた。
「旦那様より更生の指導が入ると思いますが、意見書を出されるということですので、嫡男ではありますが、バクスター領を継ぐことはないでしょう。意見書に今日の事実を書かれて継ぐことができる領など、ラージリアにはこざいません。」
「それはそうでしょう。」
ヨーゼフがさらりと言うと、マリナが、
「リン、大丈夫よ。意見書を書く事は領民が持つ権利なの。あの坊ちゃんの自業自得よ。」
サイモンも辛そうな表情で頷いている。
「すみません。悔やむ事が多くありまして…しかし、バクスター領の執事としての責務は果たします。ご安心を。また、ご報告に参ります。」
サイモンは顔を引き締めると、席を立ち一礼をして去って行った。
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