工場を作りましょう
公爵令嬢ディーネは領内の水車小屋に来ていた。
水車は小麦を石臼にかけて粉に挽くためには欠かせない動力資源なので、たいていは領主が村にひとつは設置するものなのだが、領内では小麦の生産高があまり多くないこともあり、使われていない水車がいくつも放置されているのが現状だった。
その放置水車を使って、毛糸を紡ぐ装置を作ってしまった民間人がいた。その潜在能力に着目したディーネは、開発者であるコーミングと、ある目的のためにいくつも打ち合わせを重ねていたのである。
ディーネは駆動する無数の糸巻き機を見上げた。
車輪が回る光景をバックに、真っ白い糸が木製の棒に巻きついていき、あっという間に球にまでふくれあがる。それが何十本も同時にとなると壮観だった。
「これ、生産力はどのくらいなの?」
「へえ……一日で三十着分の毛糸を生産できます」
「三十着!? すごいわね!」
服一着分の毛糸を手で紡ぐとなると、ひと月からひと月半くらいはかかる。それが一日で三十着分となると、とんでもない生産量だ。
「へえ……うちでは毎年、百袋分ぐらいの羊毛を処理するんですが……あ、一袋でだいたい服が五着から十着ほどできるんですが……毎日三、四袋ぐらい処理できるんで、村ではもう誰も糸巻きをしなくてよくなったんでさあ。代わりに違う仕事ができるようになって、大助かりなんですわ」
今言われた数字を整理しながら、ディーネはすばやくそろばんを弾いた。
生産コストとしては、手作業の千分の一で済む計算になる。
――千分の一!
とんでもない利益の源泉だ。
羊毛一袋の処理にかかる手間賃が大金貨で二、三枚ほどだとすると、原毛を買い付けてこの工場にかければ、その費用がまるまる浮くことになる。
「……なんてことなの……」
手間賃を差し引いたとしても、水車小屋ひとつで年間大金貨二、三千枚近い利益を生み出す計算になるではないか。
バームベルク領内に、持て余している水車はまだまだたくさんある。紡毛用の水車小屋を数十個も作れば、世界中の羊の毛を刈り尽くしても足りないぐらいの糸ができあがる計算だった。
多少割高な原毛をつかまされ、かつ安値で売りさばいたとしても、莫大な利益が出ることは間違いない。
「産業革命……!」
領地経営における究極の終着点が、すでに見えようとしていた。
「さんぎょう……なんですか?」
「なんでもないわ。とにかく、これと同じものを領内に作りたいのよ」
ディーネが提示した報酬、すなわち領主じきじきの取引所新設の許可証や報奨金、原毛を買い付けるための軍資金を貸し出す約束。それらに納得をしてもらったところで、ディーネは自宅から研究員を招いて、水車小屋の下見をさせることにした。
軍事用の土木工事を監督している研究員・キューブとコーミングを引き合わせ、打ち合わせをさせる。
「私がほしいのは、この機械の詳細な設計図よ。再現可能なぐらいちゃんとしたのを書いてほしいの。で、うちの領内にも同じものを作りたい。どのぐらいでできそう?」
キューブは陰気な目つきでにこりともせず答える。
「この程度のものなら、三か月もあれば」
「はや!」
「十か所は建設できます」
「多! え、マジで? ふかしじゃなくいけるの?」
キューブは何を言っているんだという顔でディーネを見た。
「お嬢様、私はもともと建築家ですよ。軍事要塞の建設が間に合わないから敵に侵略を待ってくれと言えますか? それ用のスタッフも大勢控えていますので、問題ありません」
「おおー……!」
さすがは軍事力極振りプレイのバームベルク公爵領。
生産力が変な方向に偏っている。
「じゃ、じゃあ、この調子で織機のほうも機械化してほしいって言ったら、どう……?」
キューブはちょっとむっとした。
「……設計図があれば、いかようにもしますが」
「設計図かぁ……」
それが入手できたら苦労はしない。ディーネの記憶が間違っていなければ、機械式の織機が開発されたのは産業革命前夜であったはずだ。中世の技術レベルでは望むべくもない。
今回、たまたま民間で紡毛機械が発見されただけでも相当な幸運なのだろう。
軍事要塞の設計者であり、熱心な数学者・神学者でもあるキューブは、久しぶりに会うディーネに、恨みがましい視線を向けた。
「それよりもお嬢様。近頃まったく時間を取っていただけていませんが、新たな神の啓示は」
「まだありませんごめんなさい」
ディーネに言えるのは、神学は難しすぎる、ということだった。一応、公爵令嬢の教養のひとつとして多少覚えさせられはしたものの、聞きかじり程度では彼の疑問にまったく歯が立たなかったのである。
「まだなのですか? あなたがもたらす神の啓示は、戦争の歴史をも塗り替えてしまうかもしれないのですよ。本来ならあらゆるすべてを擲ってでも解明に励むべきです。なのに――」
「ご、ごめんなさい……」
「では先日の平面でない幾何学のお話は」
「ごめんなさいごめんなさい。素人が生半可な知識で口出しして本当にごめんなさい」
泣きそうになりながらディーネは両手を掲げ謝罪し続ける。いわゆるホールドアップの仕草だったが、そういったゼスチャーのない世界に生きるキューブには奇妙な動作と映ったらしく、彼は噴き出した。
キューブは陰気な印象の男だが、微笑んでいると多少は見栄えがする。おっと思っていると、キューブは毒気を抜かれたような調子で言った。
「……おかしな方ですね、お嬢様は」
この男にだけは言われたくないと思いつつ、ディーネは土下座も辞さない覚悟でもう一度「ごめんなさい」と詫びた。そのぐらい神学と数学の禅問答がいやだったのである。
「お嬢様のご理解がお悪いことは承知しておりますが、心配はいりませんよ。私があきらめずに何度でもご説明いたしますから、ひとつずつ根気よくやっていきましょう」
「ひっ、ひいいいい!」
しかしディーネの誠意はさっぱり伝わらず、はた迷惑な激励をかけるキューブに、今度こそディーネは歯の根が合わなくなるほど震えあがった。




