弟たちとアイスクリーム
公爵令嬢ディーネは牛乳の貯蔵室で趣味のお菓子づくりを満喫中だった。
まだまだ暑いさかりなので、冷たいデザートを作ろうと思い立ったのだ。シャーベットもいいが、たまにはアイスクリームなども食べたい――そんな軽い気持ちではじめた作業だった。
卵と砂糖をかき混ぜ、牛乳と生クリームを入れて冷却魔法。
軽く凍らせてからよくかき混ぜる。
もう一度冷却魔法。
よくかき混ぜる。
冷却魔法。
よくかき混ぜる。
運動不足気味の二の腕が疲労で悲鳴をあげていた。ふう、とひと息ついて何気なく戸口に目をやり――ディーネは悲鳴をあげそうになる。おどろおどろしい空気をまとった二対の瞳が、戸口からじーっとディーネをにらんでいた。
「姉さまー……」
「イヌマ……! レオ……!」
弟のイヌマエルとレオがそこに立っていたのである。
「何してるの? ふたりとも」
「姉さまがおいしいお菓子を作っている気配を察知したので来たのですー……」
「すごい霊感! ……だからって何も戸口で見守らなくてもいいじゃない」
「僕らはキッチンに入れないんですよー……あれがあるから……」
と指さしたのは、入り口に置いてあるペットボトル状の何か。水が入っているらしく、キラキラしている。猫よけにそっくりだ。
「イヌマが冷蔵庫のものを盗み食いするから、魔法で施錠されてしまったんです」
「解除すればいいじゃない。すごく簡単な魔術よ、これ。猫よけの柵を置くぐらいのレベルの……」
簡単すぎてディーネは魔法の施錠だとは思わなかったぐらいだ。
ディーネが猫よけの魔術を解除してあげると、弟たちは中に入ってきて涼しいと歓声をあげた。
「俺たちはまだ魔法を習ってないんです」
「そっか、そうだっけね」
貴族の男子は主に攻撃用の魔術を覚える。中でも火炎系のものは殺傷能力が高いので重要視されているが、やはり攻撃魔法なので、分別のない子どもには教えられない。魔法の授業は基礎的な学問が終わったあとだ。
ディーネはというと、婚約者のジークラインが天才魔術師だったので、意地で魔術を独習した。
彼に追いつきたい一心で、幼いころから誰に教わるでもなくひとりきりで学習していたのである。そのため一般的な貴族よりははるかに魔法が扱える。
まだディーネが記憶を取り戻す前の出来事がよみがえる。
クラッセン嬢が血のにじむような努力の果てにコップの水を凍らせる魔術が使えるようになったころ。
ジークラインは腕の一振りで湖をアイスリンクに変えてしまえるぐらいの魔術師になっていた。
『女の子のくせになんてはしたない』とさんざん怒られながらも攻撃魔法の練習を続け、ついに小さな火を飛ばす魔術が使えるようになったころ。
ジークラインは猛吹雪の雪山を水蒸気爆発がうずまく灼熱の温泉地獄に変えてしまえるほどの魔術師になっていた。
いずれも苦い思い出だった。
どんなに努力しても、ジークラインは初めからその数百倍の魔術を扱えるのである。
達成感も何もあったものではない。
――これではだめ。もっとしっかりしなくちゃ。こんなことではジーク様に顔向けができない。せめてジーク様のお役に立てるぐらいの魔法が使えるようにならなくちゃ。ジーク様がおっしゃる魔術理論の概要ぐらいは理解できなきゃ。
こうするべきだ、ああするべきだ、という思考に凝り固まり、息苦しいほど思いつめて必死に努力を積み重ねても、ジークラインの足元にも及ばない毎日。
――気にすんな。俺が特別なんだ。お前は笑ってろ。それ以上は何も望まねえよ。
クラッセン嬢はその言葉に感動し、彼を崇拝しながらも――
必死に努力しても釣り合いが取れないという事実にじわじわと自信を喪失していった。
ジークラインほどにもなると、ディーネがいなくなっても特別に困ったりはしない。彼はディーネを地位と身分が手ごろだから婚約者に選んだだけ。それも彼の意志ではなく、周りが勝手に定めたことだ。かりにディーネとの婚約を解消したとしても、また手ごろな妃を選び直して終わりだろう。そしてジークラインはディーネにしていたのと同じような態度で相手に接するに違いない。なにしろ彼は誰もが羨み憧れるような理想の結婚相手なのだから。
ディーネは彼にとっての換えが効かない特別な存在には決してなりえないのだ。
「姉さまはすごいですね! 姉さまみたいにすごい魔術が使える人、僕みたことありません!」
勢い込んで言うイヌマエルの視線はギラギラしており、まっすぐ製作途中のアイスクリームに向けられていた。たぶん、彼の言う『すごい』はお菓子づくりのほうなのだと思う。分かっていても、イヌマエルのすっとぼけた態度はかわいらしく、暗く物思いに沈んでいたディーネもつい頬をゆるめてしまった。
レオがディーネをまっすぐに見上げて言う。
「……姉上は、俺の年にはもう魔術が扱えたと父上がおっしゃっていた」
「ジーク様のおかげよ。あの方の教えはすごく分かりやすいの」
「領地の経営もご立派になさっていると父上が」
「そのうちレオにだってできるようになるわよ」
「姉上……」
レオはまだ何か言いたそうにしている。顔を見ていて、なんとなく察した。レオはまだ幼くて、うまく言えないながらも、将来に漠然とした不安を抱えているのだろう、と。
ディーネはつまみ食いをしようと狙っているイヌマの手のひらをはたき落としつつ、レオの目線の高さに合わせてしゃがみこんだ。
「大丈夫よ。お父様だってご健在なのだし、レオが困っていたらみんなが助けてくれるから。私だってレオの味方だよ。レオが領主になるのなんて、まだまだ先のことなんだから、何にも心配なんてすることないのよ? レオはね、ただ――」
笑っていてくれたらいいと思い、ディーネははっとした。
それはジークラインが繰り返しディーネに語って聞かせてくれた言葉でもあったからだ。皇太子妃としてふさわしくあらねば、未来の国母としてしっかりしなくては、と気ばかり張っていた幼いクラッセン嬢とレオの姿はあまりにも重なるところがあって、胸が痛くなった。
ジークラインはいったいどんな気持ちでディーネに笑っていろと言ってくれていたのだろう。今の彼女のように、ありのままのこの子を守ってあげたいと思ってくれていたのだろうか。
考えてみても、分からなかった。だいたいジークラインは生まれながらの覇者で、彼にとっては帝国の民草すべてが等しく守り導かなければならない対象だ。
彼も言っていたではないか。彼の愛は万人に等しく与えるものだと。ディーネもその中に含まれているに過ぎない。
「……姉上?」
「……なんでもない。とにかく、レオが大人になるのは、もう少し先でいいのよ。お父様だって私だって、まだまだレオを甘やかしたりないんだから、余計な心配はしないでいいの!」
「姉上……」
レオは震える声でつぶやいた。どうしちゃったのかしらと思った直後、ディーネはレオの視線の先を振り返って、ぎょっとなる。
レオが見つめる先で、イヌマエルが作りかけのアイスを半分がた盗み食いしていた。
「ちょ、ちょっと、イヌマ!?」
盗み食いが見つかったイヌマはびくりとして――誤魔化すように笑みを浮かべた。少女とみまがうような愛らしい顔が、恥じらいを含んでほんのりと赤く染まる。
「……姉さま、このアイス、すごくおいしいです! 食べたことない味がします!」
ディーネは大声で叱ってしまいそうになり、ゆっくりと深呼吸した。イヌマエルにはたいてい、叱ってもあまり効果はない。
「……しばらく姉さまのお部屋は出入り禁止にします」
「そんなあ! 姉さま! 僕寝苦しくて死んじゃいます! 姉さまー!」
やいやい騒ぐイヌマエルを無視して、残り少なくなったアイスクリームを完成させるべく、ディーネは泣きそうになりながら木べらを取った。




