チョコを巡る攻防
チョコレートが余ってしまった。
ディーネは先日ジークラインにチョコを作って渡したのだが、製品化のテストも兼ねていたので、結構たくさん作ってしまったのである。こんなにたくさんあっても食べきれないし、夏だから氷室で冷やしておくにも限界がある。
「お嬢様、このチョコレートの山、どうするんですか? 冷蔵庫が圧迫されて邪魔だからどうにかしてくれってこないだメイドさんに怒られてしまったんですが」
質問しているのは錬金術師のガニメデだ。彼はカカオ豆やらバニラビーンズの採取・選定から、実用化まで手伝ってくれた。ディーネにとっては過酷な戦場をともに生き抜いた友のような相手なのである。
「どうしようね……売るあてもないし、困ったな」
ジークラインは他の誰にも作るなと言っていた。それでなんとなく、他のひとたちに配って処分する、といういつもの方法が採れないでいたのだった。
――だいたい、なんで私があいつの言うことを忠実に守らないといけないのよ。
ディーネがお菓子をどう作ろうとも自由。なので、お世話になっている侍女たちにわけてあげても別に問題はないだろう。
それでもぱぱっと配ってしまう決断ができないのがディーネの弱いところだった。
「……やっぱり、自分で食べようかな……」
「失礼ですけど、お嬢様はお召し上がりにならないほうがいいのでは?」
メガネくんがあきれ顔で言う。
「なんで?」
「先日の喫煙もかなり回っていたようですし、チョコレートも効きすぎる恐れが……」
「……もしかして、媚薬効果があるってことを言ってるんなら、ほとんど迷信みたいなものよ。チョコにそんなに強い作用ってないもの」
「……なぜそう言い切れるんです?」
「だって何回も食べたことがあるもの」
ただし、前世で、という部分は伏せておく。
「ぜんぜん効いたことなんてなかったわ」
ディーネが肩をすくめて言っても、ガニメデは疑わしげな目つきをやめなかった。
「……心配ですから、俺の見てないところで食べるのは禁止しますね」
「ひどい! チョコぐらいで大げさだよ!」
「大げさじゃないです。また殿下に怒られるの嫌ですからね、俺……」
「こないだジークとも一緒に食べたけど、なんともなかったし、大丈夫よ」
「……なんともなかった、って……」
ガニメデは相当面食らったようだった。
「ふたりで召し上がったんですか? これを?」
「そうだけど……それが何?」
ガニメデの厳しい視線に焦って、ディーネは慌てて弁明を試みる。
「べつに、おかしくないでしょ? 飲み物のショコラは普通に出回ってるよね? カフェでも見かけるぐらいなんだから、ヘンなメニューじゃないでしょ?」
「婚約者のお嬢様が、殿下にこれをあげる意味については考えなかったんですか?」
言われて初めてディーネはとあることを思い出した。
ワルキューレ帝国では、『ショコラを一緒に飲もう』というのが、いやらしい意味を含んだ誘い文句だということを。
「か、考えすぎじゃないの? 変な意味があったわけじゃないよ?」
「違いますね。お嬢様が考えなしなんです。びっくりするぐらい無防備ですね」
「あ、あいつだって、別に変な意味でとったりしなかったし!」
「それは殿下がものすごくいい人だからなんだと思いますけど……」
「ち、違うし! 考えすぎだってば!」
そう言い張りながらも、ディーネは自信がない。胸のうちで引っかかっていたジークラインの笑顔の意味について思い当たる節ができてしまった。あのとき、彼がペットでも愛でるようにぐりぐりとディーネを撫でまわしていたのは、婚約者の少女が無防備にショコラの塊などを持ってきたからなのでは? ――と。
意味深な贈り物を無邪気にしてくる婚約者を、まだまだ子どもでほほえましいと思ったからこそのあの笑顔だったのでは――
そこまで考えて、ディーネは急に顔から火が出そうになった。
そうか、そうだったのか。ジークラインにはアホの子かわいいとでも思われていたに違いない。なんという失態だろうか。チョコレートは子どもに人気のおいしいお菓子という転生前の先入観があだになった。
ひとりでうろたえているディーネを、ガニメデは呆れたように見た。
「……お嬢様、本当に婚約をやめるおつもりがあるんですか?」
「はあ? あるに決まってるでしょ! 婚約なんていつでも破棄してやるわよ! そんでこのチョコも食べる! 媚薬効果なんて迷信なんだからね!」
「いえ、お嬢様がそう思ってらっしゃるのなら、もうそれでいいですけど……食べるんならここで食べてってくださいね。間違ってもよそで味見して大騒ぎなんてことにならないでくださいよ。ここから持ち出して、他の人に配るのも禁止です」
「侍女にも持ってっちゃだめなの?」
「だめです。何があるか分かりませんから」
「もう、心配症だなあ……」
とはいえ、ひとりでこれを全部食べるのは不可能だ。結構な分量なのである。
「じゃあメガネくんも半分食べてよ」
ディーネが無茶振りをすると、ガニメデはちょっと変な顔をしたが、すぐにしかめ面に戻った。
「……ええ。これを全部お嬢様に食べさせてしまうのはさすがに心配ですしね。分かりましたよ」
現在あるのは、大きめの塊のチョコが七つだ。これを一気に食べたら鼻血ぐらいは出るかもしれない。
チョコレートを食べるならストレートの紅茶か何かがほしいと感じたディーネは、使用人に給仕してもらうことにした。
「お嬢様、失礼いたします」
紅茶の準備に現れたのはセバスチャンだった。まさか彼が来るとは思っていなかったディーネはギクリとした。セバスチャンなら絶対にディーネが食べようとしているお菓子がなんであるかなどと詮索はしてこないだろうが、給仕してくれる彼の前で見知らぬお菓子を食べるのもずいぶんひどい気がする。
「……すみません、他に誰も手が空いていなかったものですから」
「あ、ううん! イヤとかじゃないのよ! ごめんなさいね、挙動不審で!」
焦っている内心を見透かされて、ディーネはますます取り乱した。ひとが来るなり嫌そうな顔をするなんて失礼にもほどがある。
「ちょっとね、みんなに内緒で、新作のお菓子を処分してしまおうと思っていたんだけど。こうなったらあなたにもグルになってもらうわ」