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やっておしまいなさいをするお嬢様


 ディーネを取り巻き、クスクスと笑う青年たちは、明らかに彼女を見下して、からかっている。


「なんか、いやな感じね……」

「お嬢様。お気持ちはお察ししますが、ここは抑えてください」

「ハリム……」


 ディーネのすぐそばでささやいてくれたのは家令のハリムだった。


「お嬢様の知識が誰よりも優れていることは存じていますが、あまりそれを彼らに知らしめてしまうと、あとが面倒かもしれません」

「どういうこと?」

「お嬢様は、女性で、メイシュア教徒でいらっしゃいますから。教会の連中が騒ぐかもしれません」

「ああ……そういうこと」


 メイシュア教の教えによると、利子を取る商売はすべて悪なのだという。


 そしてメイシュア教の教えに反する人間は、しばしば悪魔契約者だと疑われて、処罰されるのである。


 いわゆる『魔女狩り』というやつだ。


「お嬢様の知識はおそらく彼らにとっても先進的すぎるものでしょう。その神のような知識を持っているのが女性だと知れたら、あるいは、悪魔と契約して授けてもらったのだと難癖をつけられる可能性もあります」

「あー、すっごくありうるわね、それ……」


 この世界のどこにも知られていない数学や会計学の知識を使って、一般的には汚らわしいものとされる『帳簿の数字を右から左に動かすだけで金銭を増やす行為』、つまり利殖や財テクなどを行う姿を見たら、神がかりか悪魔憑きか、どちらかだと疑われる可能性は濃厚だ。


 現にディーネが数学を伝授した研究者など、ディーネを見ると神だ、天使だと大騒ぎする。

 彼はディーネを好意的に見てくれるが、万人がディーネを評価するとは限らない。

 呪文のような帳簿術を駆使して、低く見られている金儲けに固執する姿などを見た日には、本当に彼女が悪魔に取り憑かれているのだと思い込んでしまう純真な人たちもいるかもしれない。


「悪魔憑き扱いは嫌だなあ……」

「ここは私にお任せを」


 ハリムはそう言うやいなや、執務用の机から立ち上がった。


「私はこの家の家令として会計責任を負っております、ハリムと申します」


 青年たち、それから高官たちの注目が、一気に長身で浅黒い肌のハリムに集まる。

 外国人の彼も帝国の人間にとっては差別対象なので、彼を見る目もディーネを見るものとそう変わらず、ひややかだった。


「わが公爵家では、よそとは少し異なる帳簿管理を行っておりますから、皆様にご説明を申しあげましょう。今回ご参加の皆さんには、この管理方法に従って一切の書類を提出していただきますから、よく覚えてくださいね」


 その発言に、誰もが戸惑った。ディーネも例外ではない。彼は一体何を始める気なのだろう。


「あまり原始的な方法には従えないかもしれませんよ」

「僕らは最新の会計学をやっていますからね……」


 ――わあ、やなかんじー。


 ディーネと同様の感想を抱いているであろうハリムは、にこりと笑った。これは絶対に何かをたくらんでいる顔だとディーネにはすぐ分かったが、学院の卒業生たちにはまだそこまでの機微を読む能力はないらしく、ひそひそ、ざわざわ、ニヤニヤしている。


 ――そしてハリムは大勢を一か所に集めて、巨大な蝋板に向かって、会計学の講義を開始した。


 内容はディーネにも見覚えがある。彼女がつい先日領内の執政代官たちに向けて行った、現代知識による会計学講座と同一のものだ。


 説明から十分。

 冷やかし半分といった顔で、クスクス笑いながら聞いていた連中が、完全に沈黙した。


 二十分。

 次々に知らない計算式を持ち出されて焦っているのか、脂汗を浮かべながら互いの顔を見合わせている。それは財務長官たちも例外ではなかった。


 三十分。

 いまさら『難しすぎるからもっと詳しく説明してくれ』とも言い出せないのか、死んだ魚のような目になっている。


 四十分。

 ハリムが『質問はあるか』と声をかけると、彼らの中のひとりが挙手した。


「あの、こちらの『貸倒引当金』とはいったい……?」


 ――分からないだろうなー。

 ディーネは苦笑するしかない。なにしろ複式簿記は、この国ではまだまだ原始的な形式のものしか、普及していないのだ。

 知っているのはディーネとハリム、それから公爵家につめている一部の文官、領地代官のみである。


「ご存じありませんか? はて、皆様は最新の会計学を学ばれたとうかがったのですが……」


 これには誰も応えられない。

 使っている用語などは分からなくても、これが彼らの知る会計記録簿よりもずっと複雑で高度なものだということは理解できたようだ。

 恥ずかしそうにうつむく面々の姿が見られた。


「私の生国はワルキューレではありませんが、あちらでなぜ会計の仕事に奴隷が重用されているかご存じですか?」


 ハリムがおもむろにお仕着せの袖のボタンを外し、ゆるめた。


「間違っていたときに、処分を下しやすいんですよ。一般庶民の命を奪うよりも、所有の奴隷を拷問するほうがずっとたやすい」


 浅黒く武骨な手首から服がまくりあげられ、大きく太い腕が露出する。


「皆さんは奴隷でなくて幸運でしたね。奴隷として日々過酷な帳簿管理を行ってきた私から言わせれば、皆さんの会計学の知識など児戯でしかありません」


 ハリムが二の腕までお仕着せの袖をまくってしまうと、そこには凄惨な拷問のあとと思われる、白い傷跡が現れた。

 無数に走るそのひどい傷跡を見て、何人かが震えあがる。


「それでは、今説明した中で、分かる範囲で結構ですから、処理を行ってください。残りは私のほうで、あとで修正・・をしておきますから」


 言外に役立たずだと言われて、彼らはますます意気消沈する。


「最後にはお嬢様にすべての監査を行っていただきますから、くれぐれも明朗に、単純ミスなどないようにお願いしますね。お嬢様は卑しい会計学などの知識はお持ちではありませんから、お手を煩わせた挙げ句に中身が間違っていた……などということがあれば、重い処罰が下されることでしょう」


 ハリムの言葉に真実味を付加しているのが、腕に残る凄惨な傷跡だった。もちろんディーネはそんなことしないのだが、学校を出たばかりで世間知らずな彼らは簡単に騙され、もはや青い顔をしてうなずくばかりだった。


「……ありがとう。すっきりしたわ」


 戻ってきたハリムにこそっとお礼を言うと、彼は意外にも苦悩するような表情を見せた。


「本当であれば、もっとお嬢様のすばらしさを啓蒙したいところですが。お嬢様の講義を受けられない彼らは不幸ですね」

「大げさだなあ……」

「本当のことですから」


 こうして、ハリムがお灸をすえたことにより、なぜか帝国の財務長官たちも大人しくなった。

 ディーネの思惑通りに動く即席の財務顧問団が結成されたのである。


貸倒かしだおれ引当金ひきあてきん

取り立て不能な債権の額をあらかじめ見積もって計上しておく項目。


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