はじめての領地経営・チュートリアル
公爵令嬢ディーネは宮廷の文官たちと相対していた。
つい先ほど、婚約者の皇太子に向かって婚約を破棄してやると息巻いたせいで、領地経営について学び、みずから持参金を稼ぐはめになってしまったのだ。
もちろんディーネは領地経営のド素人だ。
前世を思い出す以前の生活も、淑女教育がメインで、公爵領の経営ノウハウなどは学んでこなかった。
皇太子の計らいで優秀な文官たちと話ができることになったのはいいものの――
ディーネと引き合わされた文官たちはそれぞれ『国璽尚書』、『帝国徴税官長』、『財務官長』と名乗った。
ディーネは笑顔が引きつりっぱなしだ。
どちらのおじさまも、びっくりするぐらい偉い人たちである。
どう偉いのかを説明するととても長い。
クラッセン嬢の知識には彼らの詳細ももちろんあった。参照したくなくても、ディーネには見えてしまう。
『国璽尚書』とは国王の印――国璽を預かり、王に代わって署名する文官で、宰相とはいかないまでもそれに次ぐ超高官である。宰相は取りまとめ役なので、法律外交その他あらゆる事柄に精通しているが、国璽尚書は法学のエキスパートだ。
『帝国徴税官長』とは皇帝に代わって税を徴収するという大きな特権を与えられた人で、直接税・戦時課税・輸出入の制限課税などなど、さまざまな名目で国民から税を取り立てる役職だ。彼の仕事ぶりが国庫の収入に直結するため、大変に責任のある職である。
『財務官長』とはワルキューレの国庫の総責任者で、彼の采配によって税金の使い道が変わってくるため、こちらも非常に重要な職務だ。
国政における要の人物が、ほかにもあと五人ばかり控えている。
――ずらずらと気が重くなるような情報を思い出させられて、ディーネはすでに疲労困憊だった。
いやだなー、このノリ。ずっとこんな調子で行くのかしら。勘弁してほしいわ。
げんなりしているディーネをよそに、まず口を開いたのは国璽尚書だった。
国璽尚書の彼が、法学の先生なのだろう。
「領地経営について、ということでしたが、なにかお悩みがおありですか。公爵領で起きたトラブルについてご相談がおありでしたら、なんでもお尋ねください」
ディーネは何と答えたものかと思い、隣でお茶を飲んでいる皇太子をちらりと見やる。するとジークラインは愛想よくほほえんだ。彼は困っているディーネを観察することも含めて、状況を楽しんでいる様子だった。鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だ。イラッとする。
直球で『婚約破棄を前提に持参金を稼ぎたいので大金を楽に稼ぐ方法を教えてください』と切り出すのは簡単だ。しかしその場合、高官らの心証を悪くしかねない。ディーネの正気が疑われてしまう。
ジークラインのお節介を恨みたいディーネだったが、せっかくのそうそうたる顔ぶれなので、短気を起こしてチャンスをふいにしてしまうのも惜しまれた。
ジークラインのことはいったん忘れよう。
少し迂遠な嘘も混ぜ、高官たちから首尾よく話を聞き出してしまえばいい。
「もしもの話でございます。もしもですが――わたくしがジーク様から婚約破棄を申し渡された場合、わたくしはほかの殿方と、泣く泣く、結婚する心づもりをしなければならないのですが……」
「おれの婚約者どのは少しナーバスになっているようだ。ありもしない不安に取りつかれてるらしい」
ジークラインのフォローに、どうやらこれは痴話げんかの延長らしいとあたりをつけた国璽尚書が、ほほえましげな視線をディーネに送ってくる。
――釈然としないけど、まあ、そういうことにしておこうかな。
「いざ必要になったときのために、蓄えをしておきたいので、わたくしに持参金の問題を解消するお知恵を授けてくださいまし」
国璽尚書はにこやかにうなずいた。
「フロイライン・クラッセンが、修道院行きを免れる方法を考えればいいのですな。あいわかりました。そうですな……」
国璽尚書は使用人に法典を取ってくるよう申しつけると、ディーネに向き直った。
「帝国法においては、相続は直系男子のみに限ると規定がありますが、フロイライン・クラッセンが継承権を持っている十個の爵位についてはそれぞれに異なる規定があるようですな。現地の慣習法をひとつずつ勘案いたしまして、必要な持参金の額を算定しますので、しばしお待ちください」
慣習法とは現地のローカルルールのことだ。最近まで外国領だった土地もあるので、ディーネ自身にもすべての継承権の規定は把握できていない。
ディーネがうなずくと、横から『帝国徴税官長』が身を乗り出してきた。
「フロイライン、公爵領の経営についてのご助言をさしあげましょうか。どういったことからご説明いたしますか?」
「最初から分かりやすくお願い。領地経営ってひと口に言っても、具体的に何をするのかは知らないの」
「かしこまりました。では、バームベルク公爵領の経営の基本は、『住民から地代を集める』『それを使って福祉を充実させる』の二点で成り立っています」
「ふんふん」
そのぐらい簡単な説明ならディーネにも覚えられそうだ。
「フロイラインの持参金を用立てたいということでしたら、臨時課税をするのがもっとも簡単かと」
「え……領民から搾り取れってこと? それはちょっと……」
あくまでも自分のわがままを通すためだけに領民に負担を強いるのはよろしくない。
「今ある資産を増やす『資産運用』の方法があれば知りたいのだけれど……」
ディーネの発言に、帝国徴税官長はきょとんとした。
「だから、資産運用を……」
ディーネの心に不安が影をさす。
――え、もしかして、資産運用が何か分かってない?
ディーネが一生懸命つたない言葉で説明をすると、帝国徴税官長はようやく納得がいった顔をした。
「しかし『お金がお金を生む』というのは、フロイライン、罪悪でございます」
「え……?」
「働かずして、金銭を帳簿の上で右から左に動かすだけでお金を増やすのは、神への冒涜行為とされています」
しまった、そうだった。
この国の国教であるメイシュア教は、財テクでお金を増やすことを悪いことだとしているのだった。
この国に限らず、日本の中世期にも財テクへの忌避感というものはあって、それが徳政令や、ある程度以上の借金を帳消しにするような裁きにつながっていたりする。
それだけ財テクの概念は高度だということなのだろう。
セクハラなどと同じで、高度な文化水準を達成してはじめて理解できる概念なのだ。
「じゃ、じゃあ、労働にいそしむから、効率的に稼げそうな労働を……」
「フロイライン、貴族が労働をするなど、もってのほかでございます」
そういえばそうだったー!
そもそも貴族とは『戦う人』である。
彼らは戦争をするのが仕事なのであって、庶民のように労働したりはしない。
貴族が自分で仕事をしているなどと知れたら嘲笑ものだ。
――貴族の子女が自分で商売をするなど言語道断。
それがこの国の社会通念だった。
「働くのもだめ、資産運用もだめ――じゃあどうやって持参金を稼げと……」
「ですから、徴税するのでございます」
ディーネは目を細めて相手を見た。
地球の頃の記憶をたどってみても、中世期の貴族は戦争が仕事なので、平和なときは何もしないのが当たり前だった。ワルキューレの文化水準はさほど高くないが、こと国政に関しては中世レベルにとどまっている事柄が多く見受けられる。だからこの帝国徴税官長も、足りなければ民から徴税すればいいと言い放つわけか。
ワルキューレ帝国の貴族とは、『搾取』以外の発想がない人たちなのだということがよく分かる問答だった。
これは、改革の必要があるかもしれない。
「参考にいたします」
もう徴税官長からは何も聞くまい。
そう思っていると、最後のひとり、財務長官が口を開いた。
「フロイライン・クラッセン、帳簿の読み方などはご存じですか?」
「いいえ、全然知らないわ」
「では、基本からお教えいたしましょう」
帳簿の読み書きは今後経営をするうえでも大いに必要なスキルだ。
財務長官の講義は多少身になった。
――講義は数時間にも渡り、解放されるころにはへとへとになっていた。