助っ人を呼びましょう
ディーネは自室で書類とにらめっこをしていた。先日、地下室で発見された書類の整理が終わっていないのである。
解読してきちんと処理をすれば、現金と引き換えできる債権へと変わるお宝書類の山を前にしていても、ディーネはまったく喜べないでいた。
「おわんないよー!」
ディーネがあげた絶叫に、お部屋で暇そうにしていた四人の侍女たちが反応して、わらわらと近づいてきた。
「まあ、なんて難しそうな書類の山なのかしら」
「すごくたくさんあるんですのね……」
「おいたわしいですわ……」
「ディーネ様、すこしはお休みになりませんと」
ディーネの気分を明るくすべく、侍女たちがちやほやと慰めてくれる。しかしそれでも気分は晴れなかった。
「書類の整理に三年もかけてらんないのよ」
ディーネは諸事情あって大金を稼がなければならないのだが、一番早い期限が八か月後と、かなり間近に迫っているのである。三年もかけていたらあっさりとゲームオーバーだ。
「なんとかさくっと終わらせないと……できれば今月中に……!」
ディーネがぶつぶつとひとり言のようにつぶやいていると、豪商の娘・ナリキがちらりと気づかわしげにこちらを見た。
「しかし、お見受けしたところ、どうも専門的な知識が問われる書類のようですから、誰にでも任せられる、というわけではありませんものね」
「そうなのよねー……」
苛立ちまぎれにひたいをぐりぐりとこすり、ふと手をとめるディーネ。
「……ナリキさん。あなた、契約書の見方はご存じよね」
「え? ええ……まあ……人並みには……」
ディーネはニタリとした。
ここにうってつけの人材がいるじゃないか。ナリキはメガネの出来る子系女子である。
「ナリキさん。私たち、お友達よね」
「ええ……なんだか笑顔が怖いですわ、ディーネ様」
「すこぉし、お願いがあるのだけれども……」
ディーネがはりつけた笑顔で迫ると、彼女はのまれてしまったのか、どれほど大変なことなのかも吟味せずに承諾してくれた。
――そして三人で地下室の片づけをすることになったのである。
地下室の惨状をひと目見るなり、ナリキは露骨に顔をしかめた。冷静沈着な彼女が頬を引きつらせている姿というのは珍しい。
「すごい有様ですね……」
「ね? 引くでしょ? うんざりでしょ? お父様ったら先祖代々数百年も書類を貯めこんでたのよ!? 信じられる!?」
「……バームベルクのいいところは無双の軍事力でございますからね……」
「いいのよ? はっきり言ってもいいの。あの戦争バカ公爵信じられない! ひどい! ナイスミドル! って思ったでしょ? 思ったわよね?」
「……ナイスミドル……」
「そうなの! ナイスミドルよ!」
ナリキとひとしきりパパ公爵の悪口を言って盛り上がると、ちょっと気持ちも落ち着いた。
家令ハリムが悪口大会が終わったあたりを見計らい、声をかけてくれる。
「フロイライン・ミナリールにもお手伝いいただけるとは、本当に助かります。猫の手も借りたいところでした」
「微力ながらお手伝いはいたしますが……しかし、この分量ですと、助っ人がひとり増えたとしても、根本的な解決にはならないかと」
ナリキの発言に、ハリムはうなずいた。
「そうですね。できれば十人単位で助っ人がほしいところです」
「ディーネ様、ほかにあてにできそうな方はいらっしゃいませんの?」
ふたりのもの言いたげな視線を受けて、ディーネはうなる。
「……でも、他言語や方言バリバリの契約書が読めて、法律も含めて検討できて、税金督促の交渉ができて、取り立てた税金を着服する心配がない人材、となると、なかなか……」
「先日呼び集めた領地代官たちなどはいかがでしょう」
「ああ、そうね。彼らであれば適任かも」
たっぷりと時間をかけて帳簿の書き方も教えたことだし、さっそく役に立ってもらわねばとディーネは思う。
「でも、それでも全然足りないわ」
ディーネとハリムがフルで働いて三年かかる分量とすると、数十人単位で人がほしいところだ。
そこでナリキがふと何かを思いついた顔になった。
「ディーネ様、皇太子殿下にご助力をお願いするというのはいかがでしょうか?」
「ジークに? どうして?」
「皇太子殿下のお取り計らいで、帝国徴税官長さまや財務長官さまにご相談を受けていただいたとおっしゃっていましたよね」
「ああ……」
そのことならばディーネも覚えている。前世の記憶を取り戻した直後、領地経営のチュートリアルをしてもらったのだ。ナリキの指摘通り、帝国の国庫を支える知の巨人たちに手を貸してもらえれば、かなり早くカタがつきそうだ。
しかし、ディーネには素直にそうできない理由があった。
「……あいつに頭さげて頼むのいやだなあ……」
ぽつりと本音をもらすと、ナリキは白けたような顔をした。
「またそのようなことをおっしゃって……ジーク様のいったい何がご不満なのですか?」
「だってあいつ、喋り方がおかしいじゃん……あんな上から喋る人ってほかにいる? いなくない?」
「心根はとてもおやさしい方かと思いますが……」
「それはそうなんだけど! そうなんだけど全部台無しにするぐらいあの口調がひどいっていうかね!?」
ナリキはメガネの奥から、とても冷たい視線を送ってきた。
「おふたりの間のことですから、わたくしの与り知らぬ何かがおありなのかもしれませんが……わたくしもいずれは政略結婚をする身ですから申しあげますと、ジークライン様とのご結婚はかなり恵まれていらっしゃる方かと。世の中の男性が、みなあの方のように紳士的だなんて期待しては痛い目を見ますわよ?」
「でもほら、結婚って一生のことだから、妥協したくないっていうか! いやなら結婚しないって選択肢もあるわけだし!」
ハリムは驚き顔でナリキとディーネの口論を見守っている。ディーネが持参金を稼いでいる理由や、皇太子との婚約破棄を狙っていることなどは一部の人間しか知らないことなので、ハリムにとっても晴天の霹靂だったようだ。
「男性貴族の義務が戦争だとすれば、女性貴族の仕事は結婚とも考えられますわね。嫌だからやめる、が通用すると思うのがそもそもの間違いでございます。男性貴族の方が戦争を放棄するのが許されないのと同様、女性貴族の方々も、政略結婚が宿命なのでございますよ、ディーネ様」
ナリキのごもっともな意見に、ディーネはうっとなる。
「そうなんだけど、でも、ちゃんと条件を満たしたら円満に婚約解消してくれるって約束もしてるし! なんだったらずっとお父様のところで、弟の手助けをして、ハリムみたいに書類仕事するのもいいかなーなんて! ねえハリム!」
ディーネが苦しまぎれに話題をふると、ハリムは茶化したような調子で笑った。
「なるほど、お嬢様は私の仕事を奪い取るおつもりでいらしたのですか。恐ろしい方だ」
「そういう意味でもなくてー!」
あわを食っているディーネを見て、ふたりは苦笑した。
「ともかく、皇太子殿下に一度お願いをなさるべきでございます。よろしいですね、ディーネ様」
「……分かりました」
嫌で嫌で仕方がないが、こればかりはどうしようもないと、ディーネはしぶしぶナリキの提案を呑むことにした。