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お嬢様と産業革命

 転生令嬢のディーネはパパ公爵が適当にうっちゃっておいた不良債権の書類を見ている。


 彼女が今見ている書類は、村への領令布告だった。


 とある村に、水車を設置した。

 小麦を脱穀するための石臼がついた粉ひき小屋だったが、かかった工事費用は、村人が粉ひき小屋を使ったときのレンタル料から少しずつ徴税・返済するという取り決めになっていた。しかし、あるときを境に利用者が激減。これではいつまで経っても水車の費用回収ができないので、現金としてまとまった金額を徴収する――という布告だった。


「……で、結局水車の設置費用が回収できてない、ってことらしいんだけど……」


 パパ公爵はこういう面倒くさい案件をたくさん闇に葬っていたのだった。それをディーネが一生懸命片付けているのである。


「利用者が減った頃に、ちょうどこの村でもジャガイモの栽培を始めていますね」

「そっか、主食が大麦・小麦からジャガイモに切り替わっちゃったから、水車の脱穀がいらなくなっちゃったんだね……」

「そういうことかと。同様のトラブルがあと千件超あります」

「多すぎる……! なんで歴代公爵は後先考えずにどんどん水車を設置してしまったの……?」


 シムシティ下手な人か。ディーネも前世でそこまで上手なほうではなかったが、基本的なことくらいはできる。


「製鉄所に必要だったからでは? わが帝国の鋼鉄は質がいいことで有名ですが、水車をひとつ建てるのもふたつ建てるのも労力はさほど変わりませんからね。ついでで建てた脱穀目的の水車小屋のほうが余ってしまったのでしょう。必要とあらば魔法による個人的な脱穀も可能ですからね」

「そっか、魔法ね……」


 中世ヨーロッパの領主権というと、普通は水車小屋から徴収する粉ひき料が重要な税収源になっているものなのだが、ジャガイモが主食かつ、よく分からない魔法チートもある状態では水車の出番もないものらしい。


「ねえ、ハリム、領内の水車の利用状況って調べることはできないのかしら」

「ご命令いただければ、数日以内には」

「悪いけど、お願いするわ」


 ――そして数日後、ディーネはあがってきた書類を見て、またうなっていた。


「……水車小屋の利用率が低すぎるわね……」


 小麦の生産がさかんな地域と、そうでない地域では差が歴然としている。


 ――小麦は収穫してもそのままでは食べられない。脱穀し、製粉し、パン種を入れて焼き上げてはじめて食用可能となる。それに比べてジャガイモはもっとお手軽だ。茹でるだけ、火を通すだけで食べられてしまう。


 この大変な作業を担うのが、本来は水車がついた粉ひき小屋の仕事であるのだが、必要性が薄いせいか、ほとんどが余っている状態だった。


「うーん、せっかく数万単位の水車小屋が領主の権利下にあるんだから、余らせておくのはもったいなさすぎるわね……」


 水力は中世最大の動力源でもある。蒸気機関が発明される以前は水車小屋がもっともパワーを秘めていた。


「……あら? この都市の水車の利用料、なんか変ね」

「書類に不備がありましたか?」

「ええ、ほら、ここよ。ほとんどの人が利用してないのに『部品の交換希望』がしょっちゅう来てるってどういうことかしら? 他の地域に比べて七倍ぐらいの頻度で修理しているわ」

「……本当ですね」

「ここ、もう少し詳しく調べてみてくれないかしら」


 そしてさらに数日後、ディーネは報告を受けて、ハリムと一緒に問題の水車小屋に飛んだ。


 そこでディーネが見たものは――


 ずらりと並ぶ糸巻きとボビンと、水車の動力を受けて猛スピードで巻き取られていく真っ白な糸だった。


「ふ……ふおおおおお!」


 ディーネは驚きのあまり吠えた。報告には聞いていたが、想像以上の光景だったのだ。どちらを向いても何十何百という白い糸がくるくる回っている。歯車がかみ合い車輪が回り、無数の部品がきしみ音を立てながら駆動して、ついにはやがて末端のボビンを高速回転させるさまは、いっそ美しいといえるほどだった。


「こ、こ、これは……!」


 前世の記憶があり、いろんな歴史の知識もあるディーネにとっては、この世界で起きることのほとんどが既知のできごとだ。したがってめったなことで驚かないが、今度ばかりは度肝を抜かれた。


「この工場は……!」


 この精妙なからくり仕掛けには、機械という言葉ではまだ足りない。敬意を表して『工場』と呼ぶべきだろう。


 ――製糸工場、いや、ウールならば紡毛工場というべきか。


 本来、粉ひき用の石臼が設置してあったはずの小屋は、すっかり魔改造されていたのである。


「信じられない……!」


 興奮気味にディーネが粉ひき小屋の責任者である『粉ひき』、『村長』のほうを振り返ると、ふたりは縮みあがった。


「か、勝手に改造したりして申し訳ありませんでした……」


 どうやらこの魔改造の犯人らしき粉ひきがぺこぺことディーネに謝罪をしている。


「つ、つい、ご領主様のご厚意に甘えまして! このようなことを!」


 バームベルクの強大な軍事力と鉄血政策を恐れてでもいるのか、なぜか村長もぺこぺこしていた。


「これ、あなたが作ったの?」

「はっ、はいい!」

「ああ、いいのよ。怒ってるわけじゃないの。ただ、すごいなと思って。よくこんな仕組みが作れたわね。すごく便利そうでいいわ」


 これがどれほど偉大な発明なのかは、もはや地球史の例をひくまでもなく、見れば分かる。ディーネにはあんなゴチャゴチャした機械は作れない。概要を知っていても、再現できるものとできないものがあるのだ。


「本当にすごいわ、これ……世が世ならノーベル賞ものよ。あなた、発明家の才能があるんじゃない?」


 褒められて気をよくした男が、照れたように頭をかく。


「へえ……うちの村は、毛織物が有名で……少しでも女たちの負担の軽減になればと……」

「毛織物ねえ……」


 『羊の毛』が『毛織物』になるまでに必要な行程は、大きく分けて五つある。

 最初に、「毛を梳く」作業。ここで刈り取った羊毛をきれいにフラー土――つまりは酸性白土で洗い、ゴミをとって、金属製のブラシで毛流れを調えて、ブロックにする。

 次に、紡毛、と呼ばれる「糸を紡ぐ」作業。梳毛で整えた毛を引っ張って、テンションをかけ、細く長い糸を紡ぎ出す。


 この、糸を紡ぐ作業は庶民の女性ならば誰もが一日中ひまを見つけて行うもので、家の中で片時も糸巻きを手放さない女性も少なくないと聞く。


 犯人の男性は、この行程を簡略化したくて水力紡毛を発明したのだろう。


 ちなみに布を作るために必要なあと三つの行程は「機織り」と「染色」。薄織物などの一部の特殊衣料をのぞき、繊維を叩く「縮絨しゅくじゅう」という作業も入れて完成となる。


 ワルキューレの国内に、足踏み式の大きな糸車はすでに普及していた。眠り姫が指をさして眠ってしまう原因になったあの機械、といえば分かりやすいだろうか。

 さらに、複雑な歯車や棒テンプの機械機構もすでにあった。時計などがその代表例だ。

 さらにそこに、水車動力が余りまくっている――という条件が重なることにより、偶然、水力紡毛機械が民間で発明されていた、というのがことの真相のようだった。


「ねえ、これ、仕組みを詳しく説明してくれる? それと、同じものを作ってほしいって言ったらできそうかしら? ああ、もちろんただとは言わないわよ。報酬はちゃんと出すわ。あなた、名前は?」

「コーミング、と申します……」

「そう、コーミングさん。あなた、大変なものを発明してくれたわね。これは――」


 ディーネは大真面目に言う。


「――産業革命になるかもしれないわよ」

「産業……はあ?」


 なんのことやら分からないふたりを置いてけぼりにして、ディーネはあれこれと思索を始めたのだった。



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