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公爵領の埋蔵金

 バームベルク公爵家の転生令嬢ディーネには、前世日本の知識がある。彼女はそのときに簿記の資格も獲得していた。

 転生した国の文化水準が中世ヨーロッパ並みということもあり、知識をフルに生かして改革に励んでいるディーネだったが、この会計学の知識はことのほか役に立っていた。見たことも聞いたこともない洗練された損益計算の計算式に感激したのは、領内の執政を代わりに請け負っている雇われ代官たちである。彼らに自らの簿記知識を伝授することでより改革が進みやすくなると目論んだディーネは、一か月間の集中講義の開催を決定。


 代官たちに会計学を伝授している間に、すぐ八月一日になった。この世界の暦、グラガン歴を四等分したときに『アエスタース』という区分に当たり、直訳すれば『夏』になるだろうか。


「これで私の講義はひとまず終わり。基本は全部詰め込んだはずだから、各自でちゃんと復習してね」


 ディーネが教壇からハリムたちを見下ろしながら言うと、彼らはいっせいに立ちあがった。


「ああ、本当にこれでおしまいなんですね……」

「すばらしい授業でした、お嬢様」

「こんなに密度が濃く、ためになる会計学のエッセンスを惜しげもなく与えていただき、感謝します」

「いやまあ、何回も言うけど、別にそれ、私の発明とかじゃないしね……」

「しかしお嬢様はものを教えるのがお上手でいらっしゃいますね」


 ハリムが持ち上げてくれるので、ディーネはちょっと相好を崩した。会計学の知識は別にディーネの手柄ではないが、そちらは自慢してもいいことだろう。


 それはともかく。


「各地の領地代官の帳簿が読みやすくなったのはいいけど、ひと月も浪費してしまったわ……」


 その間にもオープンしておいたお店などはずっと営業を続けているので、稼ぎがまったくなかったわけではない。ないのだが、焦りは募る。


 公爵領にはいまだ大金貨一千万枚の借金があるのだ。一朝一夕ではなくならない。

 大金貨一枚で庶民が数か月暮らせるぐらいの大金なので、国家予算規模といっても差し支えない。


「一千万はさすがにちょっとねえ……」


 ディーネは頭を抱えるばかりだ。小銭を稼ぐ方法ならばいくつも思いつくが、これを一気にどーんとやっつけるアイデアなどそうは出てこない。


「そうだわ。お父様にも手伝っていただかなくちゃ……」


 ディーネは責任者に詰め寄ることにした。責任の所在を明確にして、しかるべき処置と謝罪等を引き出すべきだと感じたからである。少しは元凶のパパ公爵に借金の返済を手伝ってもらっても罰は当たらない。


 バームベルク公爵は、ディーネが心の中でひそかに素敵ダンディと呼んでいる人で、きりりとした表情の中にも優雅さのあるナイスミドルだ。


 彼の書斎で、ディーネは猛然と抗議の声をあげる。


「お父様! 借金が多すぎます!」

「そうか? しかし我が家は、このやり方で三百年やってきているからなあ……」


 ――なん……だと……?


 ディーネは呆れてものも言えない。

 パパの言うことが確かなら、バームベルク公爵領は、年収の千倍近い借金をほいほいこさえてくるようなザル経営を三百年もやっていたというのか。いや、その代々のザル経営がたたって一億の借金になったのか? どちらにしろすごいことである。


「それにしたっていい加減すぎますわ! 収入が三万しかないのに、一億も借金をするなんてあんまりでございます!」

「地代……」


 パパ公爵は首をひねった。


「……はて、うちの地代は三万だけだっただろうか」

「えっ」


 ディーネはぞわっとした。

 申告漏れで、税金を取り忘れる――なんていうのは、現代でもよくあることである。現代日本には優秀な税務署の方々がたくさんいらっしゃるので税金のとりっぱぐれも少ないが、クラッセン家はそのあたりのことに疎いので、家令のハリムやパパ公爵が気づかなければ一生それっきりだ。


「……でも、ハリムが管理している帳簿によると、それだけでしたわ」

「おお……そうか。ハリムか……」


 パパ公爵はひとしきり納得したようにつぶやくと、おもむろに襟元をただした。


「しかし、娘よ。そなたもがんばっておるようだな。わが領の借金は残り一千万ほどというではないか。なかなかの働きぶりを見せているようだな」

「お父様のせいでね!」

「かわいいわが娘よ。よくぞ成長したな。とうとうわが娘にも、アレを伝授するときがやってきたようだ」

「……アレ……とは?」


 パパ公爵は机の引き出しから古びた鍵を手に取り、立ちあがった。


「ついてきなさい。お前をわが公爵家の秘密の地下に案内しよう」


 ――パパ公爵に案内されていったのは、巨大な地下の宝物庫だった。

 手にした燭台とは別に、パパ公爵が魔法の明かりをつける。すると室内の全容が浮かび上がった。


 美しい金箔の全身鎧や、壮大な宗教絵画、タペストリなどをはじめとして、銀細工の塩入れ、枝付き燭台、宝飾の帯、魔法石の結晶など、歴史に残るような名品がところ狭しと並べてある。


 続き部屋の奥に、うずたかく積まれた巻物の山と、戸棚に詰め込まれた書類の束があった。


「すごい……」


 いったいどのぐらいの量があるのだろう。とにかく圧倒される量の書類だ。


「これらはわけあって表には出せない秘密の契約書類たちだ」

「なんですと!?」


 ディーネは近寄っていって、ほこりっぽい巻物を慎重に伸ばしてみた。今にも崩れてしまいそうなほど古い紙だ。


 中身は私的なお手紙だった。とある伯爵さまに公爵家の別邸を貸す約束をしている。伯爵さまは不倫場所として利用したくて借りたらしいが、お金を払う払うといってまだ払っていない、というところで手紙のやり取りは終わっている。


「ちょっと、これって……」


 日付がなんと百五十年前になっていた。

 このあとこの件はどうなったのだろう? と思わずにはいられない。


「これらはすべて、未払いで焦げ付いたまま、適当にうっちゃっておいた書類だ」

「適当にうっちゃっておいたのですか!?」

「言葉を間違った。解決が難しいので凍結しておいた書類たちだ」

「凍結期間が長すぎませんこと!? この百五十年前の契約書なんて絶対相手の方もご無事ではありませんわよね!?」

「難しい書類は目に入ると頭痛がする。ならば見えないようにしてしまえばいい。私のひいひいひいお爺様が考案された健康法だ。なかなかいいだろう」

「わたくしの頭痛が止まりませんわ!!」


 もうひとつ、適当な書類を開いてみる。

 中身は神への聖句で始まり、契約内容を神に宣誓する――いわゆる公式書類の体裁だった。

 要点をかいつまむと、どうやら、とある農村で行われた裁判の記録集のようだ。


 その村の徴兵を免除する代わりに、傭兵を雇った費用、金貨五十枚を払う、という契約になっているのに、いまだにひとつも払われていない。

 今すぐ支払うべし、という代官の再三の命令にも応じないので、仕方なく徴税請負人が領主に訴えてきた案件だ。


 こんな雑でもやっていけるなんて、公爵領とはいったい何なのだろう。


「わが娘よ。そなたならきっと解決できるとわしは信じておるぞ」


 パパ公爵は無責任なことを言い、地下室の鍵をそっとディーネに手渡した。


「くっ……! 承知……しましたわ……」


 ディーネはよっぽど受け取りを拒否してやろうかと思ったが、目先の利益につられて、つい手を伸ばしたのだった。


「こうなったらわたくしがすべてきれいに片付けてさしあげます」


 やけっぱちである。



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