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弟たちと授業

 公爵令嬢のディーネには前世知識がある。

 その中にたまたま簿記の知識があったので、領地の記録を見たところ、どうもこの世界ではそれほど会計学が発達していないようだと気づいた。

 ひとりで領内の取引記録をすべて見るわけにはいかないので、領地の執政代官たちに自分の知識を伝えることに。チームを組んで動けるようになるのがディーネの狙いだった。


 今日の分の講義をしようと、ディーネが執務用の離れに向かう途中で、先日帰ってきたばかりの弟たちがディーネの前に立ちふさがった。


「姉さま、遊んでくださいっ!」

「あー、今はちょっと……」

「ご用事ですか」

「これから仕事が……」

「……仕事?」


 上のほうの弟が眉をひそめる。「なぜ、姉上が」とぼそぼそ聞いてきた。つまり彼が言いたいのは、公爵家の深窓のご令嬢がかかずらうような仕事などあるわけがないだろうに、ということだ。姫君の仕事は優雅にしていることなのであって、忙しく立ち働くなど、あってはならない恥ずかしいことなのである。


「ジーク様との約束でね。しばらく領地の経営を私が見ることになっているの」

「殿下と……」

「そうなんですか! なにか、崇高なお考えがおありなんでしょうね~」


 婚約者である皇太子の名前を出すと、ふたりは簡単に納得してくれた。相変わらず謎の人気がある男である。


「僕らもお手伝いしますよっ!」

「そんなこと言って、遊ぶ気満々でしょう……」

「あれ、分かっちゃいました?」

「姉上の仕事、興味があります」


 言い合う間にもディーネは離れを目指して歩いているが、ふたりは離れていく気配を見せない。


「もー、だめだよ、邪魔されると困るの!」


 しっしっと追い払おうとしたが、彼らは歓声をあげて逃げ惑っただけで、しばらくするともとに戻った。


「やっぱり姉さま、なんか変ですね?」


 イヌマがわざとらしくディーネをじろじろ見つめる。弟ふたりとは、前世の記憶を取り戻してから、昨日はじめて再会した。多少性格が変わったように見えるのはそのせいだろう。


「僕、姉さまの仕事にすっごく興味が出てきました!」

「見学したい。ご迷惑ですか、姉上」

「絶対だめ……って言っても、ついてきそうよね、あんたたち……」

「もちろんですっ!」

「姉上の仕事は、次期領主の俺の仕事です」

「仕方ないなあ……」


 ディーネは説得をあきらめた。


「すみっこで大人しく見てるだけなら、いいよ」

「本当ですか、姉さま! やったぁ!」

「見てるだけだからね? 邪魔しないでね?」


 はしゃいであたりを駆けまわるふたり。本当に分かっているのだろうか、とディーネは不安になった。


 講義用にと、急きょ学校の教室風に作り替えた部屋にたどりつく。そこにはすでに家令のハリムをはじめとした領地代官たちがずらりと勢ぞろいしていた。


 弟たちも席につかせて、ディーネは教壇に立った。


「ええと、昨日の続きから――といきたいんだけど、今日は弟たちがいるから、もう少し簡単なところから始めるわね」


 ディーネが話し始めると、イヌマエルがひそひそやりだした。


「……姉さまがせんせえをするんでしょうか?」

「何の授業だろう」


「今やっているのは帳簿の付け方なんだけど……複式簿記って言ってね……ええっと……」


 弟たちはまだグラマーなどの初等教育を受けている。

 よって、会計のかの字も知らないのだった。


「たとえばそうね、私がケーキ屋さんをやっているとします。七月一日に、ケーキをひとつ、小銀貨五枚で売りました。次の日にもひとつ売りました。その次の次の日にも……私がこれをメモしていくと、こうなるわね」


 ディーネは教壇の上に立てかけた大きめの蝋板に、スタイラスでこう書いた。


『七月一日 ケーキひとつ、小銀貨五枚で売る。材料として小銀貨一枚と銅貨五十枚を商会に払う。お客さんが払った銀貨は外国のものだったから、両替手数料で銅貨五枚を払う。七月二日 この日もケーキをひとつ……』


「取引がだらだらと書かれていて分かりにくいでしょう? そこで複式簿記なの」

「姉さま、はい!」

「……どうしたの、イヌマ」

「姉さまの作ってくれたケーキはお金に換えられないと思います!」

「ありがとう、って、今そういう話してないから」


 ディーネは投げやりに答えながら、蝋板に今の内容を整理した。


『借方   金額  貸方  金額

 現金   495  売上   495

 仕入   150  現金   150

 両替手数料 5  現金    5』


「と、こう書くと、すっきりするでしょ? 帳簿の内容を視覚的に整理して記帳するのが複式簿記なのよ」

「姉さま、姉さま」

「イヌマ、今度はなに?」

「ケーキが三日で三つしか売れないお店の経営状態が心配です!」

「そうね、ちょっとお客さん来なさすぎよね……」

「でも大丈夫ですよ! 姉さまのケーキは僕が全部食べてあげますから!」


 きらきらした瞳で宣言するイヌマはかわいらしかった。ディーネはひとつ満足げにうなずいてから、にこやかに言う。


「……やっぱり出ていってもらおうかな?」

「……姉上。イヌマは俺が黙らせるから、続きをしてください」

「お願いね? 結構時間押してるからね、この講座」


 ――こうしてディーネの講義は弟もまじえて進んでいった。



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