弟たちの襲来
七月も後半になると、夏の暑さが深刻になってきた。
ディーネも自室で一生懸命冷却用の魔法をかけているが、どうにも効きが悪い。侍女が四人もつめていると人からの排熱というのも馬鹿にできないのだ。
「とろけそう……」
「ディーネ様! いまこそひと夏の輝きを見せるときですわよ!」
「そうですわそうですわ! 夏にだけ輝いてぱっと儚く散るのがセミの生きざまでございますのよ!」
「別にセミに憧れたこととかないけど……」
――もしかして私のあだ名、陰でセミとかになってるの……?
一抹の不安をぬぐえないディーネだった。
「私がセミならあんたたちはなんなのよ……」
なんとなく面白くなかったのでディーネがそうつぶやくと、シスが真っ先に反応した。
「わたくしはキリギリスですわぁ! 毎日楽しく暮らしとう存じます!」
「わあ刹那的……」
「わたくしはテントウムシですわあ! あの真っ赤でお派手な羽がかわいいと思いますの!」
「ああうん、それはかわいい」
「わたくしはせめて獣になりとうございますね……」
「すごく同感よ、ナリキ……」
ジージョは話の内容があまりにもくだらなさすぎると思ったのか、黙って紅茶を飲んでいる。赴任してしばらくのころは『若い娘の会話とは思えない』などと苦言を呈する場面もあったのだが、シスとレージョがあまりにも自由きままなので、そのうち諦めたらしい。
と、そのとき、玄関先が騒がしくなった。
「ディーネ様、そろそろ……」
ジージョが催促する。ディーネたちはなにも四人でひまを持て余していたのではなく、ある人を待っていたのだった。
小間使いが屋敷の外にある転送ゲートの稼働を告げにきたので、ディーネたちもいそいそと屋敷の玄関まで出ていった。
転送ゲートから玄関先までをつなぐためだけに使われている小さな馬車が車寄せに停まり、中から男の子がふたり出てきた。
ディーネには弟がふたりいる。
ひとりはディーネによく似た印象の、黒髪黒目の儚げな美少年。もうひとりはやや釣り目ぎみの金髪碧眼で、こちらもすごい美少年だった。
ふたりはディーネの弟で、金髪のほうが年かさ、黒髪が末っ子だ。
ふたりとも寄宿制の学校に行っているのでふだんは不在だが、夏休みとなり、ちょうど今日が帰宅の日になっていたのだ。
この世界の学校制度はちょっと変わっていて、貴族の子弟は十八になると見習い騎士としてどこかの貴族のところへ奉公にあがるか、幹部候補として帝国軍に召し上げられるかの二択なのだが、その前に寄宿制の学校で教育を受けなければならないのである。
ふたりともまだ小さいので、初級のグラマーやごく簡単な算術などを習っている。
「姉さま! 姉さま! 姉さまーっ!」
「イヌマ! おかえりなさい!」
大歓声をあげて飛びかかってきたのは黒髪の末っ子のほう、イヌマエルだった。
「……お久しぶりです、姉上」
「おかえりなさい、レオ」
ちょっとそっけなくあいさつしたのが、金髪の跡継ぎのほう、レオだった。レオのほうは構いすぎるとどこかに逃げてしまうので、ディーネはイヌマエルに向かってほほえみかけた。
「また背が伸びたのね、イヌマ」
「はい! いまに姉さまなんて追い越してやりますからね!」
ディーネはちょっと頬がゆるんだ。クラッセン嬢の弟たちはふたりとも抜群にかわいらしいのだ。ディーネは不用意に異性に触れると婚約者のジークラインにもバレてしまってあとで怒られることになるのだが、弟たちは異性にカウントされないらしく、これまでにも咎められたことはなかった。
「姉さまはひんやりしてて気持ちいいですね! もっとくっついてもいいですか?」
「夏場はそればっかりね、あなた……冬は見向きもしないくせに」
「だって冬場の姉さまは冷たいじゃないですか。冬の僕はあたたかい人が好きです。ねーレオ?」
「……別に」
ぐりぐりと頭のてっぺんをこすりつけてくるイヌマを適当にあしらいつつ、レオにもひやっとする魔法をかけてあげると、彼はとびあがった。
「にゃっ!」
びっくりした彼が手近にあったカーテンの陰に隠れる。ははは、愛い奴め。
「姉さま! 今日は一緒に寝ましょうね!」
「ははは、だめに決まってるじゃないの」
ディーネがおでこに軽くチョップを入れると、イヌマエルはショックを受けた。
「えー! 去年までは一緒だったのに!」
「今年からはだめです」
「じゃあレオも一緒なら……?」
「なにがじゃあなのかが分からない」
「押しに弱い姉さまなら、夜這いをかければあるいは……?」
「氷漬けにしますよ」
イヌマエルはちょっとびっくりした顔でディーネを見た。
「……姉さま、なんだかちょっと見ない間に、ずいぶん雰囲気が変わりましたね」
「そ、そうかな……?」
「……明るい」
「レオもそう思う? そうだよね!」
ディーネの変化は前世の記憶がよみがえったせいなのだが、さすがにずっと一緒に育ってきた弟たちの目は誤魔化せないらしい。
「なーんか変ですねー……?」
「き、気のせいよ、気のせい!」
疑惑の目で見つめてくるイヌマから微妙に顔を背けつつ、ディーネはカラ笑いをした。
弟たちの夏休みは八月いっぱい。
どうにか誤魔化し続けられればいいなと思いつつ、ディーネはひきつった笑顔を浮かべ続けたのだった。