お嬢様と修道院 2
移動した先の広間では、子どもたちが歓迎のお歌を歌ってくれた。パイプオルガン伴奏による単旋律の聖歌。それが高い石造りの建物の中で反響すると、得も言われぬ荘厳な響きになる。
子どもたちは歌が終わると突撃してきた。
「ディーネさんだ!」
「ひゃーってするやつやられるぞー!」
「やだー!」
『ひゃーってするやつ』とは、ディーネの魔法で首筋をちょっとヒヤッとして、ビックリさせる技のことである。なぜかこれが子どもに馬鹿ウケするのだ。
「愚かものたちめ。ひゃーってされたくなければ逃げ惑うがいい!」
ディーネが掲げた両手の指をわきわきさせると、子どもたちは歓声をあげて散り散りになった。
「ひゃっはー! 汚物は消毒だぁー!」
「姫! また下品な言葉遣いをして……!」
「子どもに向かって汚物はちょっと……」
「かわいそうですわぁ……」
「皇太子殿下には絶対にお見せできない姿ですわね……」
ドン引きしている侍女を取り残し、ディーネは隠れている子どもたちをひとりずつ捕まえていった。
「いーたーぞー! こーこーかー!」
「きゃー! つめたいー!」
全員にお礼参りをし、最後のひとりが笑いつかれてぐったりするまでヒヤヒヤさせて満足したディーネが顔をあげると、すでに年齢が高い少女たちの興味は侍女たちが持参した人形のほうに移っていた。
「着せ替え人形のディーネちゃんよー」
「ディーネ様が研究開発したおもちゃ第二弾! なんですの!」
「名前は各自で好きなように命名すればいいと思いますわぁ! わたくしはセミって名前にしましたの!」
「すごくいやな名前!」
「あらどうしてですの? ディーネ様にぴったりだと思いますわぁ」
「短い期間しか生きられなくて儚いところですとか、夏にイキイキと輝くところですとか」
「美人薄命って申しますものね」
「『月下美人』ってお名前とどっちにしようか迷ったのですわ~」
「それはそれで恥ずかしい!」
女の子たちはくすくす笑っている。
中でも一番おとなびた少女がディーネに向かって進み出た。
「お人形より、ディーネ様のほうがずっとおきれいです」
「んまあ」
子どもは素直なので、素直な感想がそれなのだと思うとうれしさもひとしおだ。
でれでれしているディーネに、おとなびた少女はにこにこと人形の手を振ってみせながら、小声でそばにいる取り巻きの少女たちに話しかける。
「……ほら、あんたたちも褒めるのよ。あわよくばお人形用のサマードレスとかも追加で持ってきてもらえるように」
「お、女の子だなー!」
人形の小物がほしい少女たちは小さくガッツポーズを取る。
「はい、お姉さま!」
「やってやります!」
打算と物欲が渦巻く乙女の会合の幕は切って落とされたばかりだ。
***
女の子たちに『こういう服を着せたいな』という夢いっぱいのファッションデザイン話をひとしきりしてもらったあと、ディーネたちはふたたび院長先生の部屋に戻ってきた。
ディーネは前世の記憶が戻ってからというもの、公爵家が寄付しているさまざまな教会・修道院に会計記録簿の提出をお願いしていた。四月の時点からあちこちに声かけを開始していたが、商人でさえ記録簿を適当にしてしまう世界なので、あまりはかばかしい返事をもらえていなかった。その中でこの修道院は、院長が趣味でこまごまとした出費なども書きつけていたため、協力者となってくれたのだった。
「ところで、院長さま。先日は日記帳を貸していただいてありがとうございました」
「いえ、あれはわたくしの趣味のようなものですから……でも、ご覧になって楽しいものではなかったでしょ?」
「いえ、とんでもないです。院長さまが収支を細かくおつけになる方で助かりましたわ。おかげでいろんなことが分かりました。そこで少し今後の物資の支援について考えたのですけれども……」
ディーネが持ってきた書類を手渡すと、院長さまはめがねを取り出して、しげしげと覗き込み始めた。
書類はディーネが会計記録簿を見て、足りていないと感じた物資についてまとめたものだ。
食料品がジャガイモばかりに偏っているので、栄養学の観点から豆や肉類を増やした。甘味料ははちみつが豊富に取れているから現状維持、などなど、項目は多岐にわたっている。
「まあまあ、ディーネ様、こんなにたくさん……」
「それと、こちらは身勝手なお願いになってしまうのですけれども、畑の耕作に、輓獣として馬を新しく飼育していただきたいんですの」
「馬……ですか?」
「ええ、とっても役に立つ家畜なのでございます。畑の耕作のほかにも、重い荷物を牽かせるのにも使えますから、ぜひともお役立てになってくださいまし」
院長はくすりと笑った。
「今度はお馬さんの飼育もなさっているの?」
「ええ。大事な研究なんですのよ。うまくいけば飢饉へのそなえもできて、ジャガイモだけではなく、パンや麺類を食事に選択する自由が出てきますわ」
「まあ……」
なまぬるい目で院長がこちらを見る。ディーネはちょっと口をとがらせた。
「みなさん、あまり信じてくださらないのですけれども、わたくしの申しあげることは本当なんですのよ、院長さま。ジャガイモが凶作の年は飢えてしまう民が出るのが現状ですけれども、いずれはなくしてみせますわ」
「……ディーネ様のおっしゃることが本当になれば、どんなにいいかとわたくしも思いますわ」
「ええ、そうですのよ。ですから信じていらして。馬の飼育の件、くれぐれもよろしくお願いいたします」
院長との約束を取り付けて、修道院の訪問タイムは終了した。