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お嬢様と修道院

 七月。直射日光が刺さる季節になってきた。


 公爵令嬢ディーネと四人の侍女たちは、修道院に来ていた。単純な積み木を重ねたような、円柱と円錐でできた塔と、それを繋ぐ細長い廊下、あちこちに流れる小掘。古い石造りの修道院だ。


 馬車から降りて、案内の女性に導かれるまま進み、洗水盤で手を洗って建物に入る。


「ふう。あっついですわねぇ~」


 古い修道院は分厚い石を積み重ねて作っていることが多いから、建物の中に入ると、少し暑さも和らぐ。


「ディーネ様、もっと冷やしてくださいまし」


 レージョが言う。

 ディーネは氷雪系の魔法が得意なので、夏場はほぼクーラーがわりに使われるのだった。


「ここだといくら冷やしてもあんま意味ないから、部屋に入ったらね」

「じゃあ早くお部屋に行きましょう!」

「お前たち、走るんじゃありません!」


 案内されていったのは、院長室だった。清貧を旨とする修道院らしく、簡素な内装で、目をひく装飾は聖母のタペストリぐらいだ。時刻の目安になる長い長いろうそくは午後四時のところまで燃え落ちている。


「ようこそお越しくださいました」


 出迎えてくれたのは修道院の院長をしている女性だった。足腰はしゃんとしているが、力のない声色がかなりの高齢であることをうかがわせる。きっちりと布の奥にしまわれている髪は真っ白になっているに違いない。


「お久しゅうございます、院長先生!」

「シス! これ、お嬢様よりも先に口を開くんじゃありません!」


 ジージョが咎めるのにも構わず、シスは院長先生に向かって爪先を地面にトンとつけるあいさつをしたあと、かたわらにいた若い女性に飛びついた。


「お姉さま! お久しぶりでございます!」

「シス、会いたかったわ!」


 それからふたりはしゃがみこんで、ひそひそと内緒話を始めた。


「……たくしが頼んでいた……の三巻は……」

「……なさらずとも……しておりますわ……」

「ああ……! ありがとう……!」


 なんの相談をしているのかははっきりしないが、ろくでもないことは断片からでも想像がつく。

 ジージョは処置なしと判断したのか、無言でディーネの背中を押した。無視して院長先生と話をつけろ、ということらしい。


「ご無沙汰しております、院長先生」

「よくいらしてくださいました。公爵閣下のご温情に心よりの感謝を。メイシュアさまの御名において、栄えある姫君に祝福のあらんことを」


 膝を折るディーネに、院長先生は聖具と同じ形の祈りの印を切った。

 儀礼的なやり取りが終わり、ディーネはさっそく本題を切り出す。


「本日は、新しいおもちゃをお持ちいたしましたの。今度はお人形さんですから、女の子用にと思って……」

「まあ、素敵ですこと! 以前いただいた戦車の模型も、とても好評でしたのよ。ディーネ様にはいつも子どもたちを気にかけていただいて、本当に、なんて心映えの美しい方なのかしらと皆で話していたところなのでございます」

「そんな……お礼ならシスさんに言ってあげてください。今回も、あの子の提案で参りましたのよ。きっと御恩ある修道院が忘れられないのですわ。それも院長さまや修道女さま方シュヴェスターン)のお志が高くていらっしゃるからに違いありません」

「まあ、ほほほ……」


 ディーネは院長とまったく同じタイミングで、ちらりとシスや修道女のほうを見やった。

 もと修道女の少女と、その先輩は、しゃがみこんで、なにかの本を一緒に覗き込んでいるところだ。


「……ああっ、そんな、ミサの最中に? 人気のない二階で? ……ひわい! ひわいよ!」

「まだまだですわ、お姉さま。この懺悔室での場面はもっとすごいのですわ……」


 ……院長先生はさっと視線をディーネに戻すと、気まずげな笑みを浮かべた。ディーネもきっと似たような笑顔になっているに違いない。

 しかしディーネはこれでも転生令嬢。こういう気まずい場面をやりすごす大人の社交術も多少は知っている。


「……シスさんはよく大好きな修道女の皆さまのことをお話してくださいますのよ。ですから、院長先生のことも、わたくしあまり他人という気がいたしませんの。素敵な修道院のようで、本当にようございますわ」


 秘儀、『見なかったふり』を炸裂させると、院長先生は慌ててそれに食いついた。


「いいえ、そんな……シスさんのようにお若くて将来有望な方が修道院に閉じ込められるのは可哀想だと、わたくしもずっと心配しておりましたのよ。ディーネ様のところに奉公に行かせてあげられてようございました。幸せそうな彼女の顔が見られて、ほんとうに……」


 院長先生はそう言いつつ、もう決してシスのほうには視線を向けない構えを見せている。だいぶお年を召しているであろうお方にそんな表情をさせるのはさすがのディーネも心苦しかった。


「……シスさんのおおらかでおやさしい気質は、この素敵な修道院で育まれたのでしょうね」

「なんですって!? 右の男に殴られたら左の男にも……!?」

「三人!? 三人なんですの!? 意味深ですわぁ!」

「……わたくしはいつもシスさんの夢いっぱいのお話にとても慰められておりますの」

「なんてひわいなのかしら……!」

「焚書! 焚書ですわ!」

「わたくしはほら、現実的な性分ですから……」

「ああ、こっちの本も聖女さまが……!」

「こんなに大勢の前で……!」


 ――あなたたちなんの本を読んでるのよ……


 ツッコミたくなったが、ディーネは渾身の力をふりしぼって我慢した。他人がボケていたら食いつかずにはいられないツッコミ体質の彼女には精神が摩耗するような忍耐力を強いられるできごとだったが、それでも耐え抜いたのである。


「では院長先生、小さな兄弟たちにごあいさつをさせていただいてもよろしいでしょうか」

「ええ、ぜひともゆっくりしていらしてね」

「なんてとんでもないお話なのかしら……!」

「将来の発禁は確実ですわ!」


 そしてディーネたちは院長を残し、修道院の礼拝堂のほうに移動する。

 ――シスと修道女はその途中でたっぷりとジージョのお説教を受けた。



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