数学とギャンブルの相関関係
帝都のいたるところに立て札が立っていた。
六月の第二週、十四日、皇宮の側の森にて、競馬を開催。最も数多く一等賞の馬を当てたる者には皇妃より小金貨一千枚の贈与あり。
立て札を見た人たちがうわさをしている。
「競馬?」
「馬を競わせて、レースさせるってことかい?」
「で、順位を当てた人には賞金が出るんだってさ」
ディーネはうわさの広がり具合を確認して、満足すると、その場をあとにした。
次いで、ミナリール商会の全面的な協力を得て、街中に今度開催される競馬のうわさを流す手はずを整える。
――賭け事とワルキューレ帝国の関係は深い。
一応は法律で禁じられているが、闘犬やポーカーなどの催し物はあちこちでしょっちゅう起きている。
禁止されているものをなぜ躍起になって開催するのか?
――それ以外に娯楽がないのだ。
今回は皇宮が認める公式のギャンブル。摘発されるかもしれないと怯える必要もなく堂々と参加ができ、しかも馬を走らせて順位を競うだけというシンプルなルール。その上、莫大な賞金がついてくるとあっては、帝都中がその話題で持ちきりだった。
「馬なんて走らせて、何が面白いんだか」
「でもよ、小金貨一千枚だぜ? 当てれば一生遊んで暮らせるじゃあねえか……」
「こんなでっかいチャンス、めったにねえぜ……」
カフェのいたるところで競馬の話が聞こえてくる。
賞金額の大きさは特に話題を呼んでいるようだ。
反乱を起こすには巨額の資金が必要だ。大きな行動をしたければ、資金繰りには常に悩まされることになる。反帝政活動をしている連中にとって、この催し物は絶対に魅力的に映るはず。
仮に活動をしていないものでも、余暇を持て余している人間ならば一度は行ってみてもいいと思う興行になるよう設計した。
一度のつもりが深みにはまり、出られない。古来、ギャンブルにはそういう魔力がある。
たった一度でいい。足を運ばせてしまえば、それで勝ちなのだ。
――競馬の開催にあたっては、皇太子に全面的な協力を依頼した。
「帝国らしい競技ということで、奴隷同士の剣闘や、闘竜についても検討いたしましたの。でも、怪我をするから、あんまりよくないと思いまして」
ディーネは熱心に皇太子をかき口説く。
「大勢の人間が参加できて、ギャンブルの要素もあって、馬の個体差の研究も絡めれば議論の余地もある。暇を持て余してカフェに入り浸っているような方々にはたまらない魅力でございましょう? どの馬が勝ちやすいかの研究が絶対に流行いたしますわ。確率統計論も発展するでしょうし、統計論が発展すれば数学も伸びるでしょう」
ジークラインは話半分ぐらいに聞いているのか、めんどくさそうにしている。
「……数学が?」
「さようでございます。昔からギャンブルは数学と関係が深かったのですわ」
ディーネはとにかく一生懸命説明した。
数学の研究が進むかどうかは文化レベルの向上にとって非常に大切なことだ。建築、治水、会計に欠かせないし、ここがしっかりしてないと工業化も起こせない。
「それと、馬の研究が進みますわね。馬は魅力に乏しい動物だと思われているようですけれども、ポテンシャルはとっても高いのですわ。きちんと運用すれば、有益なのでございます。競馬が流行れば、わたくしの領だけじゃなくて、全世界的に研究が盛んに――」
うんざり顔の皇太子を見て、これはいけない、とディーネは思った。
ここはもっと分かりやすく訴えかける必要がある。
「お願いジーク様、協力して! 絶対ジーク様にもメリットがあるはずだから! 一生のお願い!」
土下座せんばかりの勢いでディーネが訴える。
すると、皇太子は連日の説得に嫌気が差していたのか、とうとう根負けした。
「わーったよ……お前がそこまで言うんなら、最初の一回くれえは協力してやってもいい」
「本当!? やったあ!」
「けどよ、一回だけだぜ。あとは自前で用意をするんだな」
「ありがとうございます! さすがジーク様! 広いお心と寛大なご処置!」
「なんだ、やっと分かってきたのか。この俺の偉大さが」
ぬけぬけと賛辞を受け止める皇太子に内心ちょっと引きつつ、ディーネはさらに頭を下げた。
「ジーク様、あともうひとつだけお願いがあるのですが……皇妃さまにもご協力をお願いしたいのでございます」
「んなもん本人に言やいいだろ」
「でも、場合によっては危険にさらしてしまうことも……」
「……どういうことだ?」
ディーネが説明をすると、彼はようやく納得して、許可をくれた。
「なるほどねえ。まあ、心配すんな。雑魚どもが何人来ようとこの俺の牙城は崩せねえよ。お前はお前らしく好きにやりゃあいい」
ジークラインは気楽に笑う。
こういうときの決断の早さと男らしさはさすがと言いたくなった。
――かくして開催の運びとなった。