カフェで乱闘するのはおやめください
皇太子の婚約者である公爵令嬢ディーネと執事のセバスチャンがカフェで一服中、近くの席がにわかに騒がしくなった。
男は皇太子を批判し、武器を取れと叫んでいる。
反乱分子の騒動に巻き込まれないよう、そっと席を立ちかけたディーネたちだったが、呼び止められてしまった。
「そこの女! お前だ、お前! ……おい、無視するな! 止まれ! こっちに来い!」
怒鳴り声が真横から浴びせられる。
セバスチャンはそんな彼女にさっと手招きをした。とにかく、早く外へ、という合図だ。それから彼女をかばうような立ち位置にさっと割り込む。
「……なにかご用でしょうか」
「貴様に用はない。俺が呼んでいるのはそちらのご令嬢だ。見覚えがあるぞ……金髪碧眼で乳くさい小娘の……あの頭が悪そうな顔つき!」
――頭悪そうで悪かったわね。
思わずむっとしてそちらをにらみつけると、いかにも文士風に気取った黒衣の男が血走った眼でディーネを見返していた。
「そうだ、いかにも男のいいなりになりそうな意思の弱いあの目つき! 式典で皇太子の横にいた女だ! 見ろ、あんなにものほしそうに俺を見返しているぞ!」
ディーネはぞわりとした。あまり話が通じそうにないタイプの御仁だ。どうしよう。
「公爵令嬢か?」
「なんでこんなところをうろついてるんだ?」
「ひとりなのか?」
「馬車は――ないのか?」
男たちがすばやく互いの顔を見合わせる。何を考えたのかは分からないが、絶対に『あの子を誘ってバドミントンしようぜ』などではないことは確かだ。
――離脱しなければ。
ディーネが早足に店内を突っ切ろうとすると、入り口に男がふたり、立ちふさがった。いつの間に増援が来たのかと驚いて見てみれば、彼らはカフェのスタッフだった。
「おっと。どこに行くんだい、お嬢さん」
「俺たちと遊んでいかないかい?」
――しまった。
キッチンからもぞろぞろと人が出てくる。
どうやらこのカフェ自体が、武器を取れと騒いでいた不穏分子たちの根城らしい。気がつくと、ディーネたちは包囲されていた。
「お嬢様!」
セバスチャンがすぐそばでかばってくれる構えを見せたが、多勢に無勢、しかも逃げ場のない包囲状態となると、多少腕に覚えがある人間でも無事では済まない。
「……参ったわね」
とりあえずディーネはセバスチャンにべったりと密着してみた。
先日の皇太子の言うことが確かならば、これでセコムが発動するはずなのだ。なんでも皇太子と公爵令嬢は魔術的な刻印でつながっていて、お互いのからだが異性に触れると分かるようになっているらしい。
「お嬢様っ……!?」
「しっ。静かにして。誓約の刻印があるから、ジーク様がすぐに来てくれるはずなの」
セバスチャンはそれだけでだいたいの事情を察したようだ。しかしくっついていられるのがよほど恥ずかしいのか、視線が泳いでいる。ちょっとかわいい。
しかし――ジークラインは来てくれるだろうか?
忙しくて手が離せないとか、たまたま寝てた、なんてことも十分にありうる。先日も、来るまでにはちょっと時間が空いていた。
来てもらえないことも考えて動かなければならない。
「……護身用の魔法が使えるわ。手足の一部を凍らせられる。でも、不意打ちでひとりかふたりが関の山ね。あなたは?」
ディーネがささやくと、彼はなんとも解釈しづらい微笑みを見せた。いや、かわいいけど、でも今は見つめ合ってる場合じゃないですから。
「――見逃してもらえませんか?」
セバスチャンがやや緊張したように言う。
これには会場がどっと湧いた。
「おうおう、格好いいじゃねえの、彼氏さんよう」
「皇太子の女なんだから、彼氏ではないだろうよ」
「あーん? じゃあ何か、この男が好きそうなエロ顔の女は、皇太子さまを差し置いて浮気の真っ最中ってことか」
「だはははは! そりゃいいな! 傑作だ!」
「べったりくっついてよう、見せつけてんじゃねえぞ!」
――じっ、じーくさま、はやくー!
困ったことになった。荒事は皇太子さまの出番ではないのか。彼なら雑魚の十人や二十人、簡単にのしてしまえるはずなのに。
「お嬢様。危険ですから、少し離れていてくださいね」
そっと押し返されてしまい、ディーネは焦る。触っていないとジークラインにつながらないかもしれないのに。
短気な敵の男が早々に実力行使に踏み切った。
セバスチャンの胸元を掴みあげようとして失敗し、前につんのめる。足払いをかけられて立往生したその一瞬のスキに、セバスチャンの真っ黒な革靴のかかとが男の足の甲を踏み抜いた。
「ぐおぉぉっ……!」
苦痛にくずおれる男を目の当たりにして、野次を飛ばしていた周囲の男たちも沈黙した。
「……早く医者に診せてあげたほうがいいかもしれませんよ。足の指の骨は砕けやすいですから」
――うわ、痛そう……
足払いからの踏みつけまでの一連の動作はどう見ても付け焼刃の護身術のものではなく、体重の乗った一撃は確かに骨ぐらい簡単に砕いてしまえそうだと思わせる威力だった。
「まだ続けますか? あまり、人に怪我をさせるのは好きではないのですが……」
本人は純粋に心配だから口にしているのであろう、聞こえようによってはとんでもなくなめきった煽り文句。
包囲している男たちの目の色が変わった。