令嬢は 婚約破棄を となえた!
四つの国を支配する大帝国の皇太子ジークラインは、困った顔で婚約者の公爵令嬢ディーネを見ていた。
生まれついての魔術の素養に策略を巡らす天才的軍師の才能、絶技ともいうべき剣の腕前をふるう芸術品のようなたくましい肢体。女ならば誰もが夢中になるであろう美しい容貌。
神の祝福を一身に受けたかのごときこの傑物が、ディーネの婚約破棄の申し出に、要領の悪いお使い小僧さながらにまごついているさまは、いっそ愉快でさえあった。
「わたくしは、ジーク様とは結婚、いたしません。とくに」
きっ、と気丈ににらみつけるディーネ。
「俺の女、などと、もののようにわたくしを扱う方とは結婚したくありませんし、わたくしが差し上げた好意に、受け取ってもらえて光栄だろう? とおっしゃる方など、わたくしのほうから願い下げです」
ディーネの前世は日本人だった。
そのころのことを思い出す前であればジークラインの言動は男気にあふれる英雄のものとして受け止めることもできただろう。しかし、今の彼女は知ってしまっている。
彼の言動が、厨二病、と呼ばれるものだということを。
たまにならいいかもしれない。遠くから見ているだけであればそれなりに愉快だろう。
しかし、こんな発言を四六時中するような男と一緒にいたら絶対にうんざりするに決まっている。
その上、ディーネはどうも、前世の知識からいうと、不幸な目にあう役回りのキャラのように思えて仕方ないのだ。バッドエンドを回避するためにも、とっとと婚約を破棄してしまいたかった。
ジークラインはディーネが本気らしいと悟ると、困ったように切り出した。
「まあ……お前がどうしてもいやだってんなら俺も無理強いはしねえよ。嫌がる女に強要する趣味はねえからな。女にも困ってねえし」
だから厨くさい喋り方をするなというのに。
「けどよ……」
ジークラインは首をかしげた。
「それじゃオヤジたちは納得しねえんじゃねぇか……? お前んとこの家と、おれの家との結婚が政略的に大事だってのは……まあ、ディーネになら解説するまでもねえとは思うけどよ」
そのぐらいはもちろんディーネにも分かっていることだった。
ウィンディーネ・フォン・クラッセンはバームベルク公爵家の長女にして二人の弟たちの姉。
公爵家は三十六の領地と称号を持っているが、そのいくつかの継承権が長女のディーネに発生しているのである。ディーネが結婚してしまったら、公爵家の領地の三分の一が結婚相手に譲り渡されてしまうのだ。
バームベルク公爵はそれをよしとしていなかった。外国人に領土が渡ってしまうのは論外のこととして、帝国随一の財力と軍事力を持つ貴族が弱体化すると、属国の反乱を誘発しかねないのである。
とても簡単にいうと、あの巨大な公爵家が抱えている常備兵三万がおそろしいから、法外な重税でもおとなしく収めておこう、となっているものが、二万に減ると、ひょっとしてあのぐらいならうちでも倒せるんじゃないか? そしたらもう属国でいなくてもいいのでは? と考えるやつらが出てくるというわけだ。
これを防ぐ方策がふたつある。
ひとつ、彼女が結婚を諦め、華やかな俗世を捨てる誓いを立てて修道院に入ること。
「修道院に入る気になったのか?」
「いいえ! わたくし、そんなところには参りません」
修道院。ああ、最悪の施設だ。
――なにが悲しくて黙々とキャベツとローソク作りながら暮らさなきゃいけないのだろう。
修道女というとなんとなく清楚できれいな人というイメージがあるが、実態は大違いだ。ストイックな修業僧といったほうが正解に近い。暮らしぶりはみじめなもので、自分の服は二着ぐらいしか持てないし、暖房もそんなにつけないし、娯楽などもってのほかで読書もおちおち楽しめない。ひどいと『他人と口をきいてはいけませんよ』という、『沈黙の戒律』が厳守されているところもある。
へたをすると囚人よりつらい生活だ。
ディーネは絶対に耐えられない。
「じゃあ、おとなしく俺と結婚しとけよ。この俺が結婚してやると言っているんだ。この世の女にとって望みうる最上の幸せだろ?」
「だから! そういうところが! いやなんですってば!!」
ディーネが公爵領の相続を放棄して、修道院にも入らずに済むもうひとつの方策は、より高位の貴族に嫁ぐことだ。
公爵領の相続権をすべて放棄してもいいと寛大に約束してくれる人を見つければいいのである。
もちろん、公爵家の目もくらむような莫大な財産を思い切りよく諦めてくれるような相手は非常に限られてくる。
その奇跡的なお人よしこそが、皇太子ジークラインだった。
「じゃあ、どうするんだ。なあ、ディーネ……俺よりいい男がいるとでも思ってんのか?」
「うぐっ……さ、探せばどこかに……」
ディーネは一応考えてみたが、もちろんそんな人物に心当たりはなかった。
仕方がない。ディーネは発想を切り替えることにした。
「わたくしが、稼ぎます」
「……は?」
「自分の結婚ですから、その持参金ぐらい、自分で稼いでみせます。すなわち、公爵領の三分の一に相当する金額を耳をそろえて準備して、わたくしは自分の結婚を、自分の心に決めた殿方と、自分の意志で執り行います!」
ジークラインはその話を聞いて、数秒絶句した。
それからいきなり、弾かれたように笑い出す。
「ははははは! そうかそうか! 面白れえ冗談だ!」
「冗談などではありません! わたくしは本気ですッ!!」