カフェで物騒な相談はしないでください
グラガン暦は六月にさしかかった。
六月というのは転生者のディーネが勝手に割り振っている数字だ。グラガン暦は春の四月スタートなので、現地の言葉を直訳すれば三月といったところだろうか。日付は一年三百五十五日、一週が八日周期、ひと月あたりだいたい三十日前後、つまり地球とほとんど変わらない。わりと不正確らしく、季節と暦が合わなくなったら改暦が行われる。
公爵家の転生令嬢ディーネは執事のセバスチャンと毎週カフェに繰り出している。
そう、毎週だ。
「お嬢様、今日はお嬢様のお好きなサクランボのお菓子がございますよ。こちらにいたしましょう」
「……ありがとう……」
「お嬢様、お茶のお代わりは?」
「う、ううん……もういらないかな……」
「さようでございますか」
「はい……」
そしてセバスチャンのこの、裏表のない笑顔である。
にこにこと見つめられているうちに、ディーネもようやく気がついた。
――これ、別にデートじゃないわ。
おばあちゃんが孫にいっぱいはりきってお菓子とか食べさせちゃう感じのやつだわ、これ。
セバスチャンはディーネのやることなすこと面白いと思っているらしく、にこにこ見守るのは好きらしいのだが、なぜそれをするのかについてはよく分かっていないようだ。
――孫がなんか新しいゲームに夢中みたいだけど、よくわかんないなあ……でも楽しそう。
ディーネの喋る内容については、おおよそどれもこのような感想を抱くらしい。
「お嬢様はがんばり屋さんですね」
とりあえずそう言ってはいるが、棒読みである。気持ちはまったく入っておらず、むしろほのぼのとした色彩が色濃い。
――よくわかんないけど、なんか一生懸命でかわいいから、いいかな? 和むなぁ。
だいたいそういう感じらしいのだ。
そこでようやくディーネも、セバスチャンといるとだんだん言語中枢が破壊されてくる理由が分かった。おそらくセバスチャンは、ディーネが次はあれをしたいとか、これをしたらきっと儲かるとか、そういう話をするたびに『お嬢様のおっしゃることはよく分からないなあ』と思っているのである。こうなってくるともう、セバスチャンがほのぼのしている天然なのか、それともディーネがほのぼの系の天然なのか、という問題になってくる。
しかしディーネ自身は絶対に癒し系ではない自信があるので、おそらくセバスチャンが天然なのだろうと結論づけざるを得ない。
お互い悪くは思っていないので、最終的に無言で見つめ合うことになる。
セバスチャンは実にきれいな顔立ちをしているので、目の保養だった。
ディーネがそのへんの景色と一緒にセバスチャンのことをぼへーっと眺めていると、彼はにこりとした。つられてディーネもほほえむ。
「あー……なんか……コーヒーおいしいー……」
「おいしいですねえ」
「ああーコーヒーおいしいよー……わたしはいまコーヒー飲んでるー……おいしいねえー……」
「そうですねえ」
会話を小耳にはさんだらしき中年の男性が気味悪そうにこちらを見たが、ディーネにはもはや気にならなかった。いいのだ。いまがたのしければ、それでいい。
ディーネは毎日分刻みで忙しいのである。頭をからっぽにできる時間は逆にとても貴重だ。一分一秒も無駄にしたくはない。
「あぁー……コーヒーだよぉー……おいしいねぇー……」
「はい、お嬢様」
癒される。癒されるが、そろそろ脳みそが溶けてスライムになりそうだ。
――とくに生産性もないまま、その日のカフェ巡りも終了しそうになった。
しかし。
「――カナミアの悲劇を繰り返すつもりか!」
不穏な怒鳴り声がカフェの片隅から聞こえてきて、ディーネは飛び上がりそうになった。
「シッ――」
「声が大きいぞ、誰かに聞かれたら――」
たしなめられても、男のがなり声はやまない。
「いまに皇太子のやつが一族郎党根絶やしにしようと乗り込んでくるぞ! それでも男か? 武器を取れ! 神より授かりしカナミアの宝冠が誰に頭上にあるべきかあの薄汚い簒奪者に思い知らせてやろうという気概はないのか!? ――武器を取れ、武器を取れ、武器を取れ!!」
ディーネは凍った笑顔でセバスチャンに目くばせをする。天然のセバスチャンも、さすがに空気を読んだ。
「ディー。そろそろ行こうか」
セバスチャンから突然なじみのないあだ名で呼ばれても、顔色に出さないぐらいの機転はディーネにもきかせられた。皇太子の婚約者であるディーネがいまこの場にいると知られたら、絶対に大ごとになる。
「ええ、お兄さま」
ディーネも適当な呼び名で応える。庶民風の服を着ていてよかったと心から思った。
なるべく目立たないよう、そっと席を立ったつもりのディーネだったが――
「おい、そこの女!!」
怒鳴り声は、まっすぐ彼女に向けられていた。