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ナリキの過去 2

 ナリキは女主人である公爵令嬢に仕える侍女だ。

 当初は好きになれない相手だと思っていたが、次第に打ち解け、彼女にも忠誠心を感じていた。


 ――そんなウィンディーネお嬢様が、ある日、突然、商売を始めると言い出した。


 あの甘いお嬢様に、商売などできるわけがないとたかをくくっていたナリキだったが、戦車の模型が完売し、大流行しているのを見て考えを改めた。


 彼女はもう、以前のように甘くない。

 お嬢様と商売の話をすればするほど震えがくる。


 帝都にケーキ屋を出すと聞いたとき、何の冗談だろうと思った。そこにナリキの家の経営するカフェがあって、競合することは彼女も知っているはずなのに。もしも設立されれば、互いに競合しあう。


 ――乗っ取られる。


 わけもなく直感した。まさか、お嬢様に限ってそんなことをするはずがない。そう信じたかったけれど、現にお嬢様はナリキのところの経営をまねて、スキのない計画を立て始めている。あのカフェを営業するまでにはそれなりの苦労があったのに、いいところだけを要領よく取り入れて。


 ――まずいことになった。


 これは怖いことだと、ナリキにもすぐに分かった。彼女が公爵家の資本を駆使して本格的に商売を始めた場合、まず既存の商会では太刀打ちができない。帝都の商人頭は、商人頭――つまり庶民出身の筆頭とうたいながらもその実態は貴族の世襲制で、大なり小なり皇帝家と連なりのある家が担当している。


 つまり、帝都の商人頭は実力で選ばれたわけではない。

 だから、実務の能力は決して高くない。


 その上彼は権力におもねることを悪いと思っていない。だから、公爵家が手を伸ばそうとするならば、積極的に支援をするだろう。いい意味でも、悪い意味でも。


 ナリキの父も、ナリキと同じ懸念を抱いた。


「帝都から商会が軒並み叩き出されかねない」

「……どうなるんでしょうか」

「パン、それからジャガイモの値段が上がるじゃろうな。わしらが死守してきたカルテルなど、たやすく吹き飛ばされよう」


 ナリキの父はほんの十年前に起きた悲劇の話をした。

 今上陛下ヨーガフは、戦費の捻出で続けた無理がたたり、破綻しかけた帝国財政を立て直すため、小金貨、銀貨の切り下げを行った。


 次いで、銅銭を廃止した。

 国内での銅銭の使用を禁じたのである。


 物の値段は高騰した。

 犠牲になったのは、銅銭を使い、ささやかな暮らしをしている庶民たちだ。特注の大金貨以外は見たこともないという貴族にはなんらの影響も及ぼさなかった。彼らはこの改悪を見越して、先に外国貨や大金貨などに資産を移していた。


 皇帝は庶民に戦費を負担させる目的で一連の政策を打ち出したのである。


 犠牲になった帝都民は当然、議会で貨幣の改悪をやめるよう強く求めたが、功を成さなかった。なぜなら下院は庶民出身のブルジョワで構成されるという伝統は忘れられ、席の半数近くが貴族出身の人間で占められていたからだ。商人頭がお飾りのポストになっているのと同じく、議会の席も貴族が就く名誉職に成り果てていた。


 その下院から貴族たちを追い出し、庶民の手に取り戻す努力を続けてきたのがミナリール商会をはじめとした商会連合なのである。


「このままでは十年前に逆戻りしかねん。また、飢えた人であふれかえるぞ……」

「でも、まさか、そんな、ディーネ様に限って……」


 ナリキの女主人は、人を疑うことを知らない。


「悪気がないのがもっとも性質が悪い、ということもある。もしも彼女がこの先、皇帝陛下や皇太子殿下にうまく操られるようなことがあってみろ。誰にそれが止められる?」


 ナリキはぞっとした。

 確かに彼女には、そういう弱さがあった。

 やさしくて素直で、人を疑うことを知らない彼女が、甘言をささやく佞臣や、恋い慕っている皇太子に指図を受けて、それを拒絶できるだろうか。


「どうなのだ? わが娘よ。フロイラインは、信用に足る人物なのか?」


 ナリキはなんとも答えられない。

 個人としての彼女は、もちろん信頼できる。とても心のやさしい子だとも思う。

 でも、それと、政治の世界での信用とは、まったく別のことだ。


「……分かりませんが、近ごろ、彼女は皇太子との婚約の破棄を希望しているようです。……私がよく知るディーネ様とは、少し様子が異なるのです」

「心変わりか。原因はなんなのだ?」

「それが……私にもよく……」

「たわけ!!」


 父の怒声。こんなに真剣なゼニーロは初めて見る。


「お前がついていながら、なんて失態だ! もういい! お前はこの父の言うことに従っておれ! 反抗は許さんぞ!!」


 ――事態はすでに、女主人とそれに仕える使用人、という図式では計り知れないところまで拡大していた。

 数多くの庶民が犠牲になるかもしれない、という状況で、個人の感傷を差し挟む余地などない。


 それからのナリキは、父の言うなりに動いた。


 鍵を盗み出したとき、どうにかうまくやりおおせたと思ったが、それは早計だった。

 お嬢様はこちらの意図などお見通しだったのだ。悪事がバレて、ナリキはこれでもう彼女のそばにはいられないと思った。解雇は当然のこととして、国内にいることも難しいと。


 しかし、予想に反して、お嬢様はナリキのやったことを誰にも言わなかった。

 これまでと変わらない待遇で侍女を続けさせてくれるようだ。


 彼女の支度を手伝い、髪を梳く。


 本当にこの子は変わっている。ふつう、あんなことをされたら、身の回りの世話など任せておけないと思うものではないのだろうか。少なくとも、ナリキならばそんな相手に髪を触らせたりしない。


 お嬢様が無力で、ただ守られるだけの存在ならば、この決定はただの愚行だろう。

 でも彼女は、自分の意志で、ナリキを『許す』選択をしたのだ。


 それはとても勇気のいることで――

 臆病で、他人を信じられないナリキには、決してできないことだった。


 ――どうすればいいのかな。


 ナリキはそれにどう応えればいいのか、決めかねていた。

 まだしばらく、思い悩む日々が続きそうだ。



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