バニラと闘志
公爵令嬢のディーネは婚約者との定期面会の席にいた。
婚約者――ジークラインは彼女が持参したお菓子の物珍しさに少し躊躇している。
「ま、食ってみっか」
ジークラインは丸いお団子のようなお菓子、クヌーデルにナイフを入れると、きれいに二等分にした。彼はちんまりしたデザートに向かってナイフやスプーンを構えているのがギャグにしか見えないような大男なのだが、大帝国の正統な皇太子なので、見かけに反してテーブルマナーなどは地味にきちんとしているのであった。
割り開いたお団子の中にいちごのソースがたっぷりと含まれているのを見て、「うまそうだ」と目を細める。作った当人であるディーネとしては落ち着かない。いちごのソースなんてそんなに手間のかかるものではないが、それでも煮詰めるのにかかった時間などは間違いなく皇太子のために消費したのだ。ねぎらいぐらいはほしいと思ってしまうのが作り手の心理だが、ジークラインはこれまでにもそのへんを外したことはなかった。筋トレばかりしていていかに脳みそがすかすかしてそうに見えても、やはりそこは教育のいきとどいたお坊ちゃんなのである。女性一般の扱いも心得たものだ。
ジークラインはお団子の片割れをお行儀よくスプーンですくい、食べた。
「……」
ディーネは知らんふりで自分の分のデザートを食べつつ、気が気じゃない。
作るからには、やっぱりおいしいと言われたい。でもぱぱっと手早く食べられてしまうのも面白くないのだ。
ジークラインはわざとやっているのかと思うほどディーネを焦らしてから、ぽつりと言った。
「……うまい」
ディーネはニヤつきそうになるのをこらえる。当たり前じゃない、とは言わないでおいた。生地の材料からして厳選してある。けれどもそれをわざわざ自分から申し出て、これは特別製なんですよと教えてやるのもしゃくだった。まるで彼のためを思って作ったみたいに聞こえてしまうではないか。
さらに続きを食べてから、ジークラインはふと顔をあげた。
「ディーネが作ってくれるやつは、やっぱ違うな。生地の味が違う」
ディーネはぴくりとした。そこに気づくとはなかなかの男である。
「ケーキ屋、繁盛してるらしいじゃねえか」
「ええ」
「食ったぞ」
「え?」
「母親に付き合わされてな。まあ悪かねえ。まあまあの食い物だ」
――お母さんと仲良しだな!
あのハリウッドスターみたいな皇妃さまとジークラインが一緒にケーキつついている図を想像すると、なんだかほほえましい。
「そうですか。よろしゅうございましたわね」
「けどよ、お前の作ってくれるもんはあんなもんじゃねえだろ? ディーネ。なんでもっと本気で提供しねえんだ。お前ならまだまだいいものを出せるだろ」
「それは……」
「この団子はいいな。ちゃんとディーネが作ってる。でもあのケーキ屋はだめだ。味が何レベルも落ちてて同じ食い物とは思えねえ」
ケーキ屋のレシピはディーネが考案したものなので、基本的には彼女がいつも作っているものと同じだが、お菓子づくりには素材や作り手のちょっとした差が如実に表れる。やはり彼ぐらいの天才にもなると食べただけで分かるらしい。
「お前が命をかけて始めたケーキ屋が、あんなぬるい出来のもんでいいのかって聞いてんだよ。なぁ、ディーネ」
「か、簡単に言わないでよ……」
動揺して、思わず素が出てしまうディーネ。
ケーキ屋を始めるにあたって、一番困ったのが、冷蔵庫がない、ということだった。お菓子づくりには致命的な問題だ。
「わたくし、このクヌーデルは、バターからちゃんと作っておりますのよ。生地を滑らかにするには、バターの質がとても大切なのでございます。本当にいいものを作ろうと思ったら、無塩無発酵で、気をつけて冷やしておいたバターを使うべきなのですわ。でも……」
ディーネには生まれつき氷雪系統の魔術の才能があり、それを訓練する環境に恵まれていた。しかしそれはとても珍しいことなのである。
「お店で出すものは、保存の効く有塩発酵バターでなければ採算が取れなくなってしまいますもの……常温で置いておくものですから、泡立ちが悪くなるのは避けられませんわ……」
ジークラインは露骨に侮蔑の表情を浮かべた。
「つまんねえな。負け犬の遠吠えにしか聞こえねえ。そこで諦めちまうのか?」
「だから、簡単に言わないでってば!」
――ムカつく。これでも苦労してるのに、こいつはなんにも知らないで勝手なことを。
「こっちのバニラアイスの香料だって、やっと少しだけ使えるものができたから、わざわざあなたに持ってきてあげたのにっ……!」
売り言葉に買い言葉でしゃべってしまってから、ディーネはしまったと思った。
「……へえ」
ジークラインがひとの悪い笑みを浮かべる。
「わざわざ、おれのためにか。いい心がけだな、ディーネ」
「ちっ、ちがうし!」
「おいおい、素直じゃねえな。おれに貢ぎ物ができて光栄ですって言ってみろよ」
「はあっ!? なんなの、もう!」
ディーネはストレスを目の前のお菓子にぶつけるべく、ぶすりとフォークを突き立てた。
ムカつくと思っていても、フレーバー違いのお菓子に手をつけたジークラインからまた味を褒められてしまっては、怒りが長続きしなかった。
厨くさいところは本当にいただけないけれども、彼ほどにもなるとこちらが褒めてほしいと思っているところにちゃんと気づいてくれるので、やっぱりうれしいと思わされてしまう。
「お前がさせてたのは、こっちの白いやつの移り香か」
「そうですけど。それが何か」
「じゃあ次も、またこれ作ってこいよ」
「……さっきも申しあげましたでしょ。あまり採れませんの。稀少なんですのよ」
「へえ、そうか。じゃあ、俺専用の貢ぎ物にしちまえよ。他の誰にも作ってやるな」
ディーネはちょっとなんて返事したらいいのか分からなかった。
なんたる図々しさ。
「……わたくしは、あなたにも作る気はないと、申しあげているのですわ」
ジークラインはどこ吹く風で、にいっと笑った。
「作ってくるだろ? ディーネ」
「作らないって! 言ってるじゃん!」
「それで、他のやつに作ってやるのは禁止だ。あの香りはヤバいからな。あんなもんつけてうろうろすんじゃねえぞ」
「……そんなにくさかった?」
ディーネは思わず自分の服のすそをたぐり寄せてくんくんしてみたが、自分ではよく分からなかった。
「うまそうな匂いだった。だから、ヤバいんだろ。取って食われても知らねえぞ」
「……!」
ジークラインの発言に、ディーネは今度こそ気を悪くした。
からかわれるのは好きじゃない。それが強くて立派な男から、か弱い女性へという図式であればなおさら。
この男の何がそんなに偉くて、ディーネを格下の従属物のように扱うのだろう?
許せなかったし、悔しかった。
でも、それ以上にもっと許せないのは、彼が相手なら仕方ないかと心のどこかで思ってしまう自分だ。いろんなことを諦めてしまっている弱い自分がそこにいた。
――どうしたらこの男に認識を改めさせることができるのだろう?
闘志を燃やしながらディーネがジークラインをじーっと観察していると、彼は何を思ったのか、また面白そうにニヤッとした。またその顔が銀幕の俳優のようにばっちり決まっている。ディーネは悶絶することになった。悔しい、悔しいけれども格好いい。
「……いつか、倒す」
「なんか言ったか?」
「なんでもアリマセーン」
――とくに盛り上がりもなく、ジークラインのお部屋訪問は終わった。
クヌーデルの生地を一から作る
団子にした生地に液状のチーズなどを入れて茹でる料理。
ジャガイモ生地で作るおかずの団子のほかに、小麦粉で作る甘いお菓子もある。
生地にはバターを混ぜ込む。