バニラと宿命
そうこうするうちに正装に着替えさせられ、皇宮から来訪許可の返事が来た。
転送ゲートも無事にジークラインの部屋とつながる。
――会いにいくのかぁ……
ディーネは複雑な気分だった。積極的に会いにいきたい相手ではもちろんない。それに仕事だってたくさん残っている。
それでも、今回持っていく新作のお菓子はひそかに自信作だった。材料を厳選して、一般向けに提供しているものよりさらにおいしく作ったつもりなのである。
――褒めてくれるかなぁ?
おいしく作ったといっても、すごくなにかが変わったというわけではないから、気づいてもらえないかもしれない。ふつうに食べて、おいしかったといってサラッと流されてしまうかも。そうなったらちょっとがっかりだけど。
――あんまり期待しないほうがいいよね?
ひとりで悶々と考え込んでから、ハッとした。
いかん。これじゃまるで、髪型変えたのに気づいてほしい女子みたいじゃないか。
――なんでこんなにそわそわしてるんだろ。
理由をつきつめて考えると嫌な現実に直面しそうだったので、そこで考えるのをやめた。
ゲームのセーブポイントのような幻想的空間――転送ゲートの中に向かって一歩踏み出す。
次に気づいたときはもうジークラインの応接間だった。
中世期、カーペットは床に敷くものではなく、壁にかけて鑑賞するものだった。それだけ手作業のカーペット織は手間暇がかかって高価だということだ。現代日本でもきちんとしたシルクの手織りペルシャ絨毯は高級車並みの値段になる。
西欧の唐草模様を思わせる、極彩色の紋様入り絨毯が、部屋の全面に敷きつめられていた。
隙間もないほどきっちりと織り込まれ、よく目が詰んだシルク地特有の、緻密でなめらかな感触に、浮き足立ったディーネの靴底がすべり、つるっといきそうになる。
「きゃっ……!」
それはまるで乙女ゲーのヒロインの宿命のように。
何もないところでいきなり転びそうになったディーネに、さっと手を貸してくれた人物がいた。
「あ……」
空気が動いて、誰かがディーネをしっかりと抱きかかえてくれる。おそろしく長い腕がディーネの腰元に巻きつき、壊れ物でも扱うかのようにふわりとやさしく持ち上げた。足を踏みかえてなんとかまっすぐに立ち位置を直したディーネは、赤面しながらしがみついていた広い胸から離れる。
「ごっ、ごめんあそばせっ……」
足元不如意になった恥ずかしさと急に密着された緊張で、心臓がドキドキ言い始め、謝罪もうっかり噛んでしまった。
「離しても平気か?」
ジークラインの低い声がすぐそばで聞こえる。脱がせたらさぞやいい腹筋をしているのだろうなあと思わせる、のびやかで響きのいいバリトンボイス。
子宮に響くエエ声に、ディーネは腰がくだけそうになった。
「ちょ、ちょ、ちょっと、待ってっ……」
もう一度しっかり絨毯を踏みしめて、よし、と思ったその矢先、ジークラインが鼻先をつむじのあたりに寄せてきた。
「……なぁんか、いい匂いがすんな?」
すん、と匂いをかがれて、瞬間的に血が沸騰しそうになる。
「はちみつか? ……違うな。なんの匂いだ? 甘ったるいな」
首筋のあたりの匂いをかがれ、吐息をふきかけられて、ディーネは悲鳴を堪えきれなかった。
「……いいいいやあああああああ!!」
じたじたじた、と暴れるが、ジークラインにしっかりと抱かれているのでびくともしない。
「おい、どうした、おい、ディーネ!?」
「はなして! はなしてー!」
戸惑うジークラインの腕の中からもがきにもがいて抜け出すと、ディーネは十歩分くらい距離を取った。
「ひ、ひ、ひ、ひとの匂いを、かぐなんて、犬みたいな真似なさらないでくださいまし! いきなり触るのも失礼ではありませんこと!?」
ジークラインは困ったように頭をかいた。
「いや、悪かったけどよ……そんなに嫌がるこたねえだろ」
「だ、だ、だ、だって!」
まだ心臓がバクバク言っている。当分収まりそうにもない。
「み、未婚の女子にあんなこと、失礼ですわ! ジーク様は私に謝って! もう二度としないで!!」
「謝罪はもうしただろ。ちょっと落ち着けよ……」
ジークラインはテーブルを指すと、ディーネを手招きした。
「まあ、座れよ」