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いちごとバニラ


 五月のとあるうららかな午後。

 ディーネの部屋にしつらえてある応接間で、筆頭侍女のジージョが努めてさりげなく言った。


「姫。そろそろいちごがおいしい季節でございますね」

「そーねー! いちごフェアとかやりたいわね。ジェラートとかもいいよね!」

「いいですわね~!」


 まわりで聞いていた三人の侍女たちも騒ぎ出した。

 そこに、ジージョが絶妙のタイミングで言う。


「ところで、ジークライン様もいちごがお好きだったかと思いますが」


 ディーネは口をあんぐりと開けた。


「あいつそんなカワイイもんが好きなの!?」

「姫! あいつとはなんですか! あいつとは! 仮にもご婚約者さまで、長年のお付き合いでございましょう! まさか忘れたとは言わせませんわよ!」


 そういえばそうだった。

 ただ、ジークラインは戦神と呼ばれるほどの武芸者で、鍛え上げられた肉体は鋼のごとき剛健さ。

 いちごよりも、生卵ジョッキとかりんごを掴んで粉々に粉砕する芸とかのがよっぽど似合いそうなデカいイケメンなのである。


 ディーネはつい最近日本人だった頃の記憶を取り戻した転生者だが、そっちの感覚が入ってきて以来、どうも今世のいろんなことを忘れがちなのだった。


「でも、いちごって……いちごって……あいつ卵とかちゃんと割れなさそうなのに……いちごなんて掴んだ瞬間に粉々になるんじゃ……」

「あら、ジークライン様はとても手先が器用な方ですわよ」

「絵がとてもお上手なのですわよね!」

「あいつがカンバスに絵筆なんか乗せたらその瞬間に爆発四散するんじゃないの……?」

「姫!! いい加減に下品な言葉遣いはおやめくださいませ!!」


 ジージョはとうとう泣き真似を始めた。


「わたくしの教育が悪かったのでございますね……立派な淑女になっていただきたいからと厳しくしすぎたのがいけなかったのですわ……ああ、わたくしはもう公爵さまご夫妻に顔向けができませぬ……」


 ディーネがめんどくさそうに聞き流していると、ジージョはわざとらしい泣き真似をやめた。

 目をつり上げてディーネにつめよる。


「姫。姫が最後に殿下のもとをご訪問させていただいてからどのくらいの日数が経ったかお分かりですか」

「……一週間くらい?」

「ひと月! でございますよ! ひと月以上もご無沙汰しているのでございます!」


 ジークラインは転移魔法の使い手なので、園遊会の最中にも少しだけ会ったし、つい先日も公爵領で新商品を開発中のディーネのところに顔を出していた。なのでひと月の間、まったく会っていないわけではないのだが、事情を知らないジージョには遠ざかってるように見えてしまうのだろう。


「きっとジークライン様も寂しくしていらっしゃることでしょう」

「ええー……あいつそんなけなげなタマかな……」

「婚約者から放っておかれたら寂しくなるものです。でも殿方からそんなことは申し出ることはできないでしょう? ですからディーネさまが気をきかせて、お会いしたいですとこまめに申しあげることが大事なのでございますよ。お分かりですか?」

「いやだよ面倒くさい……」

「姫!!」


 そんなに怒鳴らないでほしい。鼓膜が破れそうだ。


「そろそろいちごの季節ということで、厨房にもいちごを各種取り揃えてございます。新作のすいーつとやらを作ってジーク様にお持ちしてさしあげてくださいませ」

「……はぁい……」


 忙しくてそんな暇ないのになと思いつつ、ディーネはしぶしぶうなずいた。


***


 ディーネはいちごのクヌーデルを作った。クヌーデルとは団子のことで、丸めた小麦粉の生地の中に、果物や液状のチーズなどを好みで入れて茹でるお菓子だ。今回はこの団子の中に、いちごの甘く煮たのを詰めてある。


 さらに、全部同じというのも芸がないと思ったので、プレーンないちご味とは別に、いちごバニラアイスといちごチョコレートのガナッシュを半々ぐらいで入れてバリエーションをつけた。


「今日のディーネさまからはなんだかすごく甘い香りがしますね」


 着替えを手伝ってくれているナリキが鼻をすんすんさせながら言う。


「これ? いいでしょ。バニラっていうのを加工した香料なんだけど、なんか時間がかかるらしくてね。最近ようやく実用化できそうな目途が立ったんだよね。おいしそうでしょ?」


 バスケットの中身を披露すると、ナリキはうなずいた。


「すごくいい香りです」

「いろんなお店屋さんが立ち並ぶ一角で、ひとつだけこんな甘い香りをさせるケーキ屋さんがあったら、みんな立ち止まってしまうと思わない?」


 ナリキはごくりとつばを呑んだ。


「……思います」

「でもバニラビーンズはなかなか数が取れないうえに、オイルを精製するのに手間がかかるらしいから、そっちのカフェに回せるようになるまでにはちょっと時間がかかるかも。でも、なるべく早く提供できるようにするから」

「ありがとうございます」


 ナリキはしゃくしゃくとディーネの髪をとかしつけ、ねじりあげてアップにまとめながら、ふいに小さな声でささやいた。


「……ディーネさまと業務提携ができてよかったと、わたくしの父も申しておりました。くれぐれもお礼を申しあげておいてくれと」

「そう? まあ、誤解が解けてよかったよ」


 ナリキの父が悪質な破壊工作まで行ってディーネの商売を邪魔しようとしていたのは、ディーネが市場の独占をしようとしていると誤解したからだ。

 その誤解が解けた今は、ゼニーロもあえてディーネと敵対する気が失せたのだろう。商売人らしく、利益が出るならば利用しようと考えたに違いない。


「それに、わたくしのことも……わたくし、もうここの職場は解雇されるものと思っておりました。社交界にも行けなくなるだろうと……なのに……」

「まあ……その……なんていうか、人の黒歴史えぐるのはやめてほしいけどね?」

「くろれきし……とは?」

「忘れたい恥ずかしい思い出のことよ」

「……わたくしがいつそんなことを?」

「だから、ジーク様好き好きうるさかった時期とかがね、私にもありましたけどね……」

「それは別に恥ずかしくないことでは? ジークライン様のことを好きにならない女性なんているのでしょうか」

「なんでみんなそんなにジークのことが大好きなの……」


 やっぱりこの国には厨二病の概念が共通認識としては広がらないのだろうか、とディーネはちょっとがっかりした。



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