腰を痛めた祖父とけなげな幼女
公爵令嬢ディーネは諸事情により、公爵領の改革に励んでいる。
その最中、帳簿を眺めていて、ふと疑問に思うことがあった。
「ねえ、ハリム。ここの、この、裁判記録なのだけれど」
家令の男を呼び止めて確認させる。記事は『とある農夫が畑にまいておいた種イモを小さな女の子が盗んで食べてしまった』というもので、女の子が小さいこともあり、刑罰なしで無罪放免。裁判にかかった費用などの請求が領主であるクラッセン家に回ってきていたのであった。
「ここのね、女の子にお金払わせるのかわいそう、ってのは分かるし、裁判費用はうち持ちでぜんぜん問題ないけど……」
「ええ」
「この女の子、このあとどうなったの? 種イモを盗んで食べなきゃいけないほど貧しいってことだよね?」
「そこまではちょっと……裁判所の管轄外ですから」
「孤児院とかに入れてあげたのかな? すごく気になるんだけど」
「調べてみましょうか」
「お願い。だって種イモよ? ジャガイモは修道女だって食べないって言われてるのによ?」
どれほどの困窮なのだ。
ハリムはほどなくして女の子の家を突き止めてくれた。彼女は祖父と二人暮らしで、どうもこの頃、祖父が体調を崩して寝込んでいるらしい。
「不幸の予感がすごくするわ……このあと悪い越後屋さんが来て女の子を売り飛ばしそうね……」
「使いの者をやって、様子を見にいかせましょうか?」
「ううん。私が見にいく。転移魔法の準備をお願い」
事情を知ってしまったらもう放っておけなかった。ディーネはさっそくの外出に備えて、着替えにいくことにした。
***
そしてやってきた民家は土壁の、こじんまりとした家だった。
麦藁のタペストリで塞がれた戸口のそばに立つ。
すると中の様子がすき間から丸見えになった。
「いつもすまないねえ……」
「おじいちゃん、それは言わない約束でしょ」
ディーネはちょっとずっこけそうになった。まさか現実でその台詞を聞くことになるとは思わなかったのである。
「あたたたた。たたた……」
「おじいちゃん、大丈夫?」
「腰が……」
――腰痛かあ。
ディーネはちょっと悩んだ。ヘルニアは薬でどうにかなるようなものではない。整骨の医者がいれば少しはマシになるのだろうか。さもなければ温泉?
さらに、家屋の横にある大きな二枚の畑をちらりと見やる。そこはしばらく手入れがされていないのか、草が伸び放題で、荒れていた。
この規模の畑ならば、作物次第では十分に食べていける。しかし、祖父が腰を痛めてしまったので、仕事ができなくなり、収入が途絶えてしまった、といったところだろうか。
「ごめんください」
ディーネが声をかけると、中から少女がでてきた。格好が薄汚れているのがまた泣ける。
「あなたがソルちゃん?」
あらかじめ調べてあった名前で本人確認を試みると、彼女は一気に不安そうな顔になった。
「はい……でも、あの、あたし、もう盗んでません」
少女――ソルは、どうやらディーネたちを警吏かなにかと誤解したようだ。
「ああ、そうじゃないの。ええっとね……私はあなたとお話をしにきたのよ」
「お話……ですか?」
「そう。まずソルちゃん。孤児院に入る気はない? 食事もあるし……」
「――いや! あたし、絶対孤児院になんて入らない!」
おもいのほか強く拒絶されてしまって、ディーネはたじろいだ。
「孤児院はいや?」
「だって、おじいさんの面倒までは見てくれないって言うんだもの!」
「あー……じゃあ、おじいさんと一緒だったら、大丈夫そう? そうね、どこかの修道院とか……」
「いや! あんなところにいったら、おじいちゃん死んじゃうもの!」
それもそうか、とディーネは思った。修道院と養老院は違う。働けない者はお荷物になる。であれば、それなりの扱いになるだろう。
女の子は目にいっぱい涙を浮かべて、ディーネを見あげている。
――うっ。その顔反則。
「もしかして、畑のお金が支払われていないから、出ていけってことですか? 困ります! あたしたち、行くところなんてないんです……」
「それは、しばらくは払わなくてもいいって裁判で決まったんじゃないの?」
バームベルクの慣習法は盗人に厳しいことで有名だ。しかし、ディーネのパパにあたる公爵はけっこう親切というか、地代の徴収などに頓着しないザル経営の人なので、持たざる者に対してはかなりの恩赦を与えている。
「そうだけど、でも……」
「じゃあ、ソルちゃんはどうするつもりなの? 怒らないから、どうしたいのかを言ってみて」
ディーネが彼女の目線の高さに合わせてしゃがみこむと、ソルはこわごわといった風にこちらを見た。
「あたしが、畑を耕せればいいなって、思うんですけど……場所が広すぎて……」
確かに。この広さをひとりで耕作するとなると、幼女には辛いだろう。
しかし、人の手で畑を耕せないのであれば、家畜を使役するという手もある。
「一応確認するけど、畑さえ耕せれば、なんとか生活はやっていけそうなの?」
「はい」
「他に困っていることはないの?」
「ありません。あたし、なんでもひとりでやれます」
ちょっと怒ったようにソルが言うので、これがこの子なりの意地なのだろうな、とディーネは理解した。
「分かったわ。じゃあ、私に考えがある」