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化学式がちゃんと言えないお嬢様

 カフェの一角で、女の子のグループが騒いでいる。


「あっ、それも注文しちゃう?」

「しよしよー! もうここのケーキ大好きー!」

「食べ過ぎるよねー! 体重増加ヤバーい!」


 近くの席で会話を聞いていたディーネは、ほっと安堵の吐息をもらした。


 ここは彼女と業務提携をした商会が運営するカフェ。

 一時期は苦いケーキを提供したことで騒ぎになったものの、すぐに味が改善され、さらに見たこともない新商品を提供することで有名なケーキ屋さんの商品も注文できるとあって、ちまたで人気上昇中なのだった。


 新商品の開発をしたのは転生公爵令嬢のディーネだ。今日は庶民の一般客に混じって好感度の覆面調査をしていたのだが、どうやら盛況らしい。


 偵察についてきてくれた執事のセバスチャンが彼女に向かってほほえみかける。


「成功、おめでとうございます」

「あー、ほっとした……」

「お疲れでしょう。ここのところ、なかなかお休みになれなかったようですし」

「ほんと、もう、気が気じゃなくて。今日はもう寝るよ」

「あとで何かお部屋にお持ちしましょうか?」

「ほんと? じゃあ、甘いもの以外でお願い。もうしばらくケーキは見たくないの」


 うんざりしたようにため息をつくと、セバスチャンはのんびりと「私もです」と言った。


「お嬢様は働き者でいらっしゃいますね」


 言葉少なにディーネをねぎらってくれるセバスチャンにつられて、ディーネも、軽く「うん」と答える。


 運ばれてきたカフェラテを飲みながらぼーっとしていると、こちらをにこにこと見つめているセバスチャンと目が合った。つられてディーネもにへらと笑う。


 ――あー、癒されるわー。


 セバスチャンはあまり多くを語らず、普段は鉄壁の無表情なのだが、ディーネがお茶に誘うとゆるんだ笑顔を見せてくれるので、ついこちらも毒気を抜かれてしまう。


 執事喫茶ってのもアリだよね、などとくだらないことを考えつつ、ディーネはカフェの偵察を終えた。


「雑貨屋のほうはどうかしら。オープンしてからもうしばらく経つけれど」


 次は商会が運営する雑貨屋に移動する。


***


 ディーネはミナリール商会と、ベーキングパウダー以外にもいろいろと商品の契約を結んでいた。


 ケーキ屋の準備をする一方で、お抱えの錬金術師と一緒に化学の実験をたくさんしていたのである。いろいろなものができた。重曹を使った各種せっけん。漂白剤。研磨剤。


 重曹はアルカリ性なので、どうにかこねくり回せば洗剤として使える、程度のことはディーネも知っていたのだが、あいにくちゃんとした化学式などが分からなかったため、結構開発には苦労した。


「えーと……成分を抽出して、もっと強いアルカリ性にする?」

「……?」

「あ、重曹にお湯をかけると強アルカリ性になるから、重曹を煮詰めたらいいんじゃないかな……?」

「はぁ……」

「あれ、アルカリ性とか、酸性の概念は伝わるわよね……?」

「おっしゃりたいことは、分からないでもないです……」


 すごく頭の悪い説明だった。

 あれをちゃんと解読した研究員はすごい。


 ――その研究結果が並んでいるのがこの雑貨屋なのだ。


「便利な染み抜き用洗剤……? フラー土みたいなものかしら……」

「台所用品がこんなにたくさん置いてあって、すごいわ、見ているだけでも楽しいのね」

「これこれ、このシャボンほんとによく汚れが落ちるの! 洗い物の時間が半分になったわ!」


 日常で便利な品をそろえたおかげか、一般庶民のご家庭の奥様から、本格的な屋敷の管理を担う大貴族の使用人までさまざまな人が押しかけるという騒ぎになった。


 すごい混雑でなかなか中に入っていけない。これは店舗をもっと増やしたほうがいいかもしれないなと思った。


 ようやく隙間に割り込んでみると、まだ午後になったばかりだというのに、棚の陳列はスカスカになっていた。生産が、需要に追いついていないのだ。

 残り少なくなった洗剤に向かって、黒い執事服の袖が伸びた。


「私が下働きをしていた時分にこの洗剤があればどんなによかったことでしょう」


 遠い目でそうもらしたのはセバスチャンだ。

 ディーネは不思議に思った。


「セバスチャンって生まれつき執事だった人とかじゃないの?」


 たまにいるのだ。代々執事の家系に生まれて、幼いころから執事一本槍で教育されるエリート執事が。

 セバスチャンもこの若さで執事をやっているのだから、当然のようにエリート執事なのだと思っていた。


「いいえ、始めはひたすらご主人様の靴を磨くボーイをやっておりました」

「わあ……」

「大帝国の公爵さまともなると、革靴の底が私のいただくステーキ肉よりもはるかに分厚いのだなと思ったのを覚えております」

「セバスチャン、今日はお肉を食べましょう」

「いえ、そんな……昔の話でございます。今はとても、満ち足りておりますから」


 ふわーんとほほえむセバスチャン。一瞬、背後にお花のエフェクトが飛んだような気がした。


「お嬢様のおかげでございます」


 のんびりとそう言われてしまい、ディーネもだんだん思考がまひしてきて、「そっかあ」とたいへんにゆるんだ返事をした。彼の性格のせいなのかなんなのか、彼に付き合っていると、マイナスイオンのようなものにあてられて、だんだん言語中枢が破壊されてくるのである。


 最終的にセバスチャンと意味もなく見つめ合うことになった。


「あは」

「うふ」


 ――なんだこれ。付き合いたてのバカップル……?


 調子が狂う。内心そう思いつつも、セバスチャンといると和んでしまって、ツッコミもどこかに行ってしまうのだった。





重曹を煮詰める

重曹を加熱し、二酸化炭素を飛ばすと炭酸ナトリウムが残留。

強アルカリ性なので取り扱い注意。


フラー土

天然で産出する脱脂用の酸性白土。古代から近代まで羊毛の脱脂や衣服の染み抜きとして使われていた。


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